泣ける話と泣けない私03

第47期

 洋子は自分の薄情さに失望した。父方の祖母が死んで、悲んでいない自分に気づいてしまったからである。
 「祖母が死んだ」という母からの留守電を聞いたのは、友人である美央との楽しい飲みがひと段落した頃だった。それより前の時間にもう1件、知らない番号からの留守電が入っていたのを、洋子は飲みに行く前に気づいていた。けれども、どうせカード会社からの勧誘とかでしょうと思って、すぐに聞かなかった。
「もしもし、沢田洋子様のお電話番号でお間違いないでしょうか。私、特別養護老人ホーム、やわらの郷の介護士、飯沼です。先ほど、当施設に入所している沢田様のおばあ様の容体が急変し……」
 電車に乗り込み、実家の病院に向かう途中で、その留守電を聞いた。かいつまんで言えば「おばあ様を病院に搬送した。あまり持たないかもしれない。お父様の勤め先やご自宅に連絡したが繋がらなかったので、緊急連絡先に載っていたこちらにかけた。聞いたらすぐに病院に行ってください」という内容だった。
 ああ、あの電話に気づいたときは、まだおばあちゃん生きてたんだ。すぐに聞いて帰っていたら、死に目に間に合っていたのかもしれないな。
 そう理解した途端、洋子は電車の中で一人ひっそり愕然とした。心を落ち着けようとして、慌てて車内広告を手当たり次第に黙読し始めた。祖母の死に際に友だちと飲んでいた、その事実に気づいてもなお、あまりショックを受けていない自分に、洋子は激しく動揺したのだった。

 実家に帰ってからは怒涛だった。葬式の準備など一切していなかったので、急いで整えねばならない。老人ホームから葬儀屋を紹介してもらったが、どうも何も分かっていないこちらの足下を見て、高いオプションを次々と押し付けてくる。普段ならこういう時、やや居丈高な父が毅然とはねのけるだが、珍しく、いや、やはりと言えばいいのか憔悴していて、その様子に当てられた母もおろろと狼狽している。私がふたりを守らねばと、洋子は意を決して業者をきっと睨み「余計なオプションは要りません。まず一番安いプランを教えてください」と声を上げ、交渉の主導権を握った。金曜日の24時から始まった葬儀の打合せは、途中休憩を挟まず、土曜日の4時までかかった。
 それから火葬が終わるまで、洋子はずっと気を張っていた。幸か不幸か、呼ぶような親戚や友人筋はいなかったから、葬式は私たち家族だけで執り行った。それでも「一番小さな所はここなので」と、50人も入りそうな会場が用意された。ズラリと並べられたままの椅子が「誰も来ないの?」と無言の圧力をかけてくるように感じられた。なぜこんな思いをしなければならないのかと、洋子は怒っていた。死体の状態をキープするためのドライアイス代の高さにも、怒っていた。
 運よく火葬の手配がスムーズに行って、月曜の午前中までに一連の葬儀タスクを消化し、そのまま洋子は日常に戻るべく、東京へ帰る電車に乗り込んだ。そこでまた、忙しさと憤りで忘れかけていた思いが、ふつふつとこみ上げてきたのだった。もはや、洋子の認識の中では、葬儀はタスクでしかなかった。とにかく、父と母の負担を減らしたい一心だった。そこに祖母を悼む気持ちが、ほとんどなかったことに、あらためて非道さを覚えてしまった。

 洋子が最後に健在な祖母の姿を見たのは、15年前のことだった。その頃の祖母は、千葉の片田舎にある少し豪華なプレハブ小屋のような家に独りで住んでいて、年に一度家族で定期視察に行っていた。こういう時、普通なら「遊びに行く」という表現を使うのだろうが、洋子は自分の言葉には誠実でありたいと思っていた。床から天井から時折ネズミの走る音が聞こえてくる度、その振動で崩れ出さないかと心配になる祖母の家に行くことを、洋子は心底嫌がっていた。行ったところで、おばあちゃんは私に全然話しかけない。いつもお母さんに清貧であれ子どもに甘くしすぎるなと小言を並べ、お父さんには偉ぶってるんじゃない喋んなきゃ伝わんないだろと、黒糖かりんとうをぼりぼり齧りお茶を啜りながら忠言する。いつもきびきびとぷりぷりしている様子は、甘くないけど瑞々しい柘榴みたいだった。
 そんな祖母に痴呆の兆候が見え始めたのが15年前だった。父は祖母を説得して、実家近くの老人ホームに入所させた。みるみるうちに祖母の痴呆は進み、覇気がなくなり、入所して3年も経つと別人のように老け込み、むやみやたらにやさしくなってしまった。5年経って記憶が曖昧になり、10年経ってほぼ意思疎通ができなくなった。その頃から洋子はもう、年に1回すら祖母に会っていない。

 祖母の死から意識を逸らしたい一心で、しばらく柄にもなく、洋子は仕事に明け暮れた。幸い、決算期を前にした経理部の床には、誰かが拾うべきなのに誰も拾わないボールのような雑務が山ほど転がっていた。
 慌ただしい3月と浮足立った4月が過ぎて、美央は久しぶりに洋子を映画に誘った。それまでも一緒にランチはしていたものの、仕事後に一緒に出かけるのは、あの日ぶりだった。洋子の身の上に起きた話はランチの時に聞いていたが、どこか上の空というか、自分事でないような語り口調だったことが、美央はずっと気にかかっていた。近しい命が亡くなることの虚無感は、美央も直近で嘗め尽くすほどに味わっていた。だから、時間を置いてもう一度、話を聞いてみようと思っていた。あの日、洋子がただただ話を聞き、涙を流してくれて、泣けない自分が救われた気がしたから、と。
 しかし洋子の心の澱みの在り様は、美央が思うものと完全に異質だった。洋子の戸惑いは、心の動きが事実に追い付かないことではなく、そもそも心が動いてないことにあったからだ。美央は「祖母の死より誰も死んでないドラえもんの映画のほうが泣ける」と泣きながら嘆いた洋子の悲しみに寄り添いたかったが、彼女にとってそれは納得しがたい感情で、そして安易に共感してはいけないものだと感じた。脊髄反射的に思わず「わかるよ」と言いそうになって、それは相手のためのようで実は自分を安心させたいだけのウソっぱちだと気づいて、喉元でグッと押し殺した。
 洋子が自分に対する失望を他人に打ち明けられたこと、美央がそれを否定も肯定もせずただただ聴いたことは、実は十分お互いにとっての救いに繋がっていたのだが、この時の2人はまだ気づけてはいなかった。いや、今でもはっきりとは気づけていないのかもしれない。何もかもが言語化できるレベルで明確に認知していなければならない、ということもない。大事なのは2人の関係性が現在進行形で無二であること、洋子がその後まったく思わぬ契機から亡き祖母との関係性を構築し直す機会を得られたという事実であり、これらはまた別の機会で誰かに語られるはずだ。