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2F/当番ノート

La vie en rose @Sao Paulo

当番ノート 第4期

午後、ブラジルのサンパウロからフランス、マルセイユに帰ってきた。

サンパウロでは夏日に恵まれた。
それまでのブエノスアイレス、ポルトアレグレの春は晴れの日が少なく、気温もぐぐぐと低かった。
初春にもかかわらずサンパウロは35度まであった。

なんて巨大な街なんだ。
ぱっと街を見上げると日本みたい。高層の建物が似ているからか。
一瞬どこにいるのかわからなくなる。

3年前に来た時もそうだった。オフィス街を歩いたときたまたまだと思うが、東洋系のスーツを着た人と沢山すれ違った。耳に入ってくる言葉はポルトガル語。あ、ここはブラジルだったと気づいたんだっけ。3週間ツアーの初めの頃に訪れていたから言葉にも街のシステムにも慣れていなくて。だから今回はすでにアルゼンチンから日々は過ぎていたので随分南米慣れしてきているのが大きな違いかな。

ブラジル最大の都市で南アメリカの経済・流通の中心地であるサンパウロには、日本やアメリカ、スペインやドイツなどの世界中の大企業や金融機関などが古くから多数進出している。世界第10位の都市GDPで2009年には個人所有のヘリコプターとヘリポートの数が世界一になった。ただ自動車の排気ガスや工場の排気による公害、市内中心部の慢性的な交通渋滞などが深刻な社会問題である。

また美術館もたくさんあり、2年に一度開催されるサンパウロ・ビエンナーレはヴェネツィア・ビエンナーレ(イタリア)やドクメンタ(ドイツ)と並ぶ世界の重要な国際美術展のひとつ。公演の合間に行ったが公園のなかにある驚くべき広さのパブリオンで、数百点にもおよぶ展示が4ヶ月間入場無料!!無料ですよ!!ゆっくり見るだけの時間がなかったのだがとても楽しめた。これはすばらしいことだ。一度でなく何度もここを訪れる事が可能で新しい発見を持つ事ができる。色々見た中で写真作品が強く印象に残った。私の目の前に見えている事じゃなくてどうしてこのようになったのか、想像を張り巡らせる中、瞬間の背景が知りたいと強く思った。温度とかにおいとか見えない感情のこと。これは編集作業を始めてから変わった事だ。

日曜日は公園の外では大規模なマラソン大会が行われていた。大勢の人が参加していた。
とにかくふくよかな人が多い。良く言ってふくよか。まぁはっきり言ってかなりの肥満の人が多い。女性はびっくりするほどグラマーだ。お尻もかなりのでかさだが、みんなぴたっと身体にフィットした服を来ている人が多い。これもびっくり。自分のスタイルを強調する感じ。自分が女の人ばかりに目が行っているのに驚いた。ははは。友達に聞いてみたらみんなもそうだったみたい。逆にグラマーじゃない人を見つける事の方が難しいくらい。

サンパウロで有名なエリアといえば東洋人街リベルダージ。
2004年に東洋人街となる前は日本人街という名前であった。戦前戦後合わせて約23万人もの移民がブラジルに渡り言葉に尽くせないほどの苦労の中繁栄したリベルダージ。今では第4世代で日本語を話せる人も減ってきているがしっかり日本の文化が根付いている。他のアジア圏の移民も見られるが街づくりや店舗、レストランをみるとしっかり日本人街である。

リベルダージは自由という意味。移民は重労働を強いられ住むには困難であった谷間であるこの地区に住み自由を目指して生きてきたのだ。

私の友人がスーパーでレジの女性に日本語で話した所、
「あなたまだ日本語話してるの?」
と言われたそうだ。
片言で日本語を話してくれていた現地の人とコミュニケーション取れる事が嬉しかった。
同じ日本でつながっている事が嬉しかったが、当然の事ながら現地に住んでいる日本人で
ポルトガル語が話せるか話せないかもシビアな問題で一瞬笑顔のウラに現実を見た。
どの国だってそうだ。私も同じだ。
みんな必死に生きてる。

リベルダージで有名な寿司安に行く。
ダンサーズも日本食が大好きで興味津々。私も自然と笑顔になる。
寿司安では個室の畳の部屋でお食事出来た。
フランスでは寿司は赤身のまぐろとサーモンが主流だが、ここは本格的なお寿司!
南米料理は塩味が濃くて、肉ばかりでかなり胃がやられて消化に苦しんでいたのだが
ガリとお寿司で身体が癒された。。

サンパウロではほとんど日本食を食べていた。
寿司安では日系二世の女性が担当してくれた。彼女の名前は私と同じヨシコ。50代くらいか。
「ここで生まれたんですよー。私の両親は日本人でね。私は日本語は全然うまくないんですよー」
「そんなことないです!とてもお上手ですよ。お話し出来て嬉しいです。」
「まぁありがとう。日本からいらしたの?」
「いえ、私たちはフランスから来ました。みなも本当においしいと言って食べてましたよ。」
「あらまぁ。ほんとうにありがとうねぇ。おいしいって?うれしいねぇ。」
ここで彼女の目がぐっと深くなったというか、暖かかった。

今こうして何の苦労もせず、豊富な野菜、果物を口にしたり、米を食べたり、お豆腐の味噌汁が飲めるのも、この広大な地で故郷を思い出しながら汗を流した移民の人々のお蔭だ。「お金を出せば何でも買える」ではなく、「移民の人々の望郷の思いから生み出されたそれらの食品を頂いている」という感謝の気持ちでいっぱいだった。

なにより沢山ある日本食レストランには本当に大勢の人がきて日本食を食べている。
ブラジル人も日本人だと知るとにっこり笑顔になって「日本は大好きなんだ」と言う。
ある黒人のおじさんは
「おれは日本に行ったんだ。松坂慶子と友達なんだ!」
というので驚いたら
「ほら見て」
といって出してきたのは雑誌の広告。本当だ。真ん中には若き日の松坂慶子。
その後ろにバンドの人がいて「これがおれだ!」といって見せてくれた。
そしてLa Vie en rose(バラ色の人生)を私たちの為に日本語で歌ってくれた!!!
ブラジルでフランスの歌を日本語で聞くなんて!!
地球の裏側でこんなにも日本を感じるなんて。
かれらは私たちに伝統工芸のマラカスをくれた。
明るい。本当に明るい人たち。
笑顔も美しい。

サンパウロは大都会だ。
大きすぎる。
最後にサンパウロに来たからなのか、他の街はもっとブラジル色が強いように思う。
発展もいいが、失うものもある。3年前と比べると明らかだ。

また飛行機に10時間以上閉じ込められて、着いた所はパリ。
本当に空を飛んでいたのか、相変わらず不思議に思う。
飛行機の中でじっとしていてドアを開いたら別の場所。
ドラえもんのどこでもドアだとその瞬間移動できるから、
時間が経ってるってことは移動していたんだな。
実感がない。

あぁ。帰ってきた。マルセイユに帰ってきた。
本当に嬉しい。

南米での体感を言葉にするにはもうちょっと時間が必要。
当初私はこのツアーに参加しない予定だった。
けが人が出た為に代役で急遽南米行きが決定した。

おかげさまで二回目の南米は新たに見える事がたくさんで素晴らしい出会いが沢山だった。
多くの人々のおかげで私たちは踊る事が出来た。
本当に多くの人が関わっている。しかも長い時間をかけて。
怪我してしまった彼女には申し訳ないが、みなさん、ありがとう。

オブリガーダ Obrigad!!!

木下 佳子

木下 佳子

ダンサー。

フランスはマルセイユ国立バレエ団で踊っています。

竹のように強く凛とまっすぐに、時にはしなやかに。

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