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2F/当番ノート

乱離協同とオフラインの集合知について

当番ノート 第21期

さてー。
おつかれさまです!
公開が遅くなってすいません。

いま、すみだの食育の全国大会の打ち上げが終わって、
事務所というか、シェアオフィスに戻って来たところ。
なんと言うか上気している状態でこれを書いています。

墨田区の食育は、大小200近くの団体や個人がそれぞれに持ち寄れる企画を持ち寄って、
みんなで協同しながら、それぞれがそれぞれに最大限の過程がつむげるようにする活動で、
なんと県や政令指定都市でやっていた全国大会を、墨田区という小さな特別区でもってやりきっちゃったんだ。

今日はその打ち上げで、
ひとりひとりの思いを聞いているうちに、
みんな涙をいっぱいに溜めていた。
最後は、元気にハイタッチをしながら笑顔でおつかれさまを言い合った。

すばらしい1年間になった。
食育に関わられた皆さん、本当におつかれさまでした。

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さてと。
僕から皆さんへの手紙は今回が最後になっちゃいましたね。

アパートメントという他人の土俵で、
知り合い以外の人に文章を書いてそれを読んでいただきたくて、
今までSNSで積極的に文章を公開しなかったんです。(今回はしてみます)

おかげさまでいい勉強になり、普段は考えない懐の部分というか、
脇が甘くならないよう気にしながら少しでも手を伸ばすような、
もどかしいけど新鮮な文章を書く事が出来た気がします。

毎週、これを書く時間が楽しみで、
でもやっぱり何かを表現するのは難しくて、
書いたあとは少し何かを出来たようなこそばゆさもあり、
自分にとって不思議な時間でした。

文章を書く事。
それは誰かに何かを伝える事ですが、
いずれにせよ相手がいないと無意味なんです。
だからこれは、皆さんと一緒に書いた文章です。
この場を設定してくださったアパートメントの皆様、
そして読んでくださった皆様、ありがとうございました。

最後に先日経験して見えて来たものについて書こうと思います。

最初の食育の話にも繋がりますが、
集団が集団として最大のパフォーマンスを対象に対して行う方法。

乱離協同と集合知の活用についてです。

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先日、墨田区京島界隈のまち歩きを一緒にしたあとに、飲み会をした。
メンツは大学の先生や雑誌の編集者、職人、学生などなど。

飲み会の席では日本中にある面白い動きをシェアし合い、
その意義をみんなであーでもないこーでもないと話しているうちに、
その人にみんなで会いにいこうということになった。
飲み会のときの話はほとんどがお酒と共に抜けてしまうものだけど、このメンバーは違った。

先週の日曜日、農文協の甲斐さんや明治学院大の猪瀬さん、佐藤さん、週刊朝日の西岡さん、つむぎやの友廣くん、明治学院大生の丸山くんなど多士済済のメンバーで、郡山市石筵にて後藤克己さんにお会いしてきた。

克己さんは養蜂業を営むにこやかなおじいさんで、手挽きのそばやじゅうねん餅を振る舞いながら、
石筵という地区の様々なお話を聞かせてくださった。

すべての話が面白く、みんなで笑いながら、それぞれ頷きながらたくさんのお話を聞いた。
中でも特に面白かったのが、集落の上流に計画された、屠場建設の反対運動の話。

石筵の集落の上流に屠場が出来るというのを、そこに住むみんなでもって反対し、
機動隊まで出動して強引な建設が始まったのにも関わらず、その計画自体を最終的に白紙にさせたという。
そのやり方というのが、中心を設けないでまとまり、まとまりながら各々が各々から取り組む、
という姿勢でもって役場や建築事務所と対峙したというもの。

この集落には入会(いりあい)という総有のグループが江戸時代からあり、
入会権をもつ集落みんなで用水や里山、かや場などを維持・利用し合って来た。
これらがきっかけになって集落のまとまりを持ちながら有限な資源を公平に活用し、
同時に総有であるため、全員一致であらゆる物事が決められた。
つまりは合意形成のために、全員が責任を持って意見を言うし、同時に時々取っ組み合いをしながらじっくり話し合う。
その上でどうにも合意がなされなければ『風くっちょけ』といっていったん棚上げにする。

驚くべきは、そうやって一つの合意形成が何十年もかけて非常にゆっくりと行われたりすること。
具体的には祭りを旧暦でやるか新暦でやるかは何十年も議論されているそうだ。
自由闊達な議論を無制限の場でとことんやりあう。

反対運動ではそれがすごくうまく作用した。
屠場が出来て用水が汚れてしまうのでないかと考えた集落の人はそれぞれがそれぞれに持てる智慧で、できる行動で、
団結しながらおのおのが問題を考えて行動した。
困ったのは相手側で、集団に中心構造や階層構造がなければ、
その集団の分断や妨害工作はうまくはたらかない。

古文書を持ち出して、真っ正面から理屈が通らない建設計画だと主張する男衆や、
人の鎖で現場に作業員が入るのを阻止しようとするお母ちゃんたちがいて、
同時にガソリンスタンドで働き始めた若者は、持ち込まれた危険物が合法的に運用されていない事を指摘した。
面白いのは猟師のおっちゃんが、屠場が出来ると「カラスが胸焼けをして、周辺の野菜畑を荒らす」と言った事だ。
長い間、野生動物を見て来た人に、役場の担当者は反論できなかった。

しかもこれを県庁に泊まり込みで何日でも行う。
なにしろ時間無制限の議論はみんな慣れている。
担当者はひとたまりもなかったろうな、とおもう。

これは地域限定のWikipediaのような集合知であり、
方向性をもちながら各々で動く、言わば乱離協同だ。

政党やプロ集団に頼まず、アマチュア的にそれぞれが自在に動く。
だから強いし、しなやかなんだ。

すみだで僕らが集住しながら進んでいく先に、
いったいなにがあるのか、大きな気付きがいただけた。
そんな大事な1日だった。

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人間の本質は主体でも客体でもない。

人はただの要素で、能力があろうがなかろうが、あまり意味はないと思う。
たぶん、人と人との間にあるもの、つまりは関係性がどのようにその集団をつないでいるのかが最も大事なのだ。
どうやって繋がっていくか、そしてどうやって暮らしていくか、、、

関係性を良くするのは優しくてまっとうで、継続的な要素が必要で、
どういう仕組みやふるまいがこれを醸成するのか。

死が訪れるその日まで、
これをして生きていきたい。
そのために出来る事を、
今日もひとつ積み上げていこう。

この2ヶ月間付き合ってくださってありがとうございました。
いずれあなたと会うことが出来るのを楽しみにしています。
それまでお元気でお過ごしください。
それでは、また。

松浦伸也

松浦伸也

すみだ青空市ヤッチャバの運営をしています。
シェアハウスの運営をしています。
研ぎ屋をしています。
売れない芸人を目指しています。

Reviewed by
小沼 理

中心を設けず、全員に責任がある関係。必要な善意や熱意が膨大すぎて難しそうと思っていたけれど、石筵地区の具体的な話や松浦さんの取り組みを見ていると、そのしなやかさに圧倒されながら不可能ではないのだと気づかされる。そしてそれを支えるのは水がこんこんと湧き出るような対話だ。話をしよう。手を繋いで大きな輪郭を描いてみよう。優しい社会はそうやってはじまるのかもしれない。

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