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2F/当番ノート

イメージの海で #2

当番ノート 第22期

#2 不滅のイメージ(前)

砂の上の絵が波にさらわれていくように、誰かの死後そのイメージは記憶から少しずつ流れ出ていく。どんな顔だった、どんな手だった?何を着て何を歌い、どんなふうに名前を呼んだ?

時間が流れる限り私たちは死んだ人のことを忘れ、死んだ人もまた私たちのことを忘れる。かぐや姫は月に帰るとき羽衣を着せかけられて地上でのことを忘れる。日本の三途の川も西洋の忘却の河も、その水を飲むと生きていた頃の記憶を忘れることができるという。あんなに生きたのに、あんなに愛したのに全部。

本当はいなくなってからも覚えていてほしい、不在をなぞってほしいと、程度の差はあれほとんどの人が思っている。けれども誰かの思い出の中に留まらず、人々の間でイメージだけが一人歩きしていくことを考えたとき、私たちはそれをまったく抵抗なく受け入れられるだろうか。
生きている間は自分にまつわるイメージの手綱をある程度握っていられるが、死後はそれを手放すことになる。丹念に手入れしていた馬は野放しになって、プライベートな手紙や心ない噂話なんかで少なからず荒らされるだろう。誰かの好奇心が誰かの名誉を汚点で区切っていく。いつだって悪いほうに上書きされたイメージを覆すのは難しい。

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特に後世まで語り継がれるようなスケールの大きい業績を成し遂げた人はイメージの料理人達にとって絶好の材料で、その手から逃れることは不可能だ。
彼らの死後、水揚げされたイメージはまな板に乗せられ、体は捌かれて頭と尾ひれが添えられる。そして恋愛遍歴や陰謀説で食べやすいよう味付けされ、食卓に提供される。
実際が生魚の状態だとしたら、流布して人々の記憶に残るイメージは刺し盛のようだ。歴史上のどんな気難しげな人物でも、ウィキペディアには飾りたんぽぽのような親しみやすい逸話がそっと挿しこまれていたりする。

天才や英雄、周囲を顧みることなく燃え尽きるような架空の人物の生き様を伝える小説には、多くの場合読者と彼らをつなぐ「語り手」が存在する。例えばシャーロック・ホームズシリーズはワトソンが書いた伝記という形をとっている。「ティファニーで朝食を」の語り手は奔放なホリー・ゴライトリーに振り回される男たちの一人だ。他にも「こころ」や「月と六ペンス」などいくらでもある。
彼らは大抵、波乱に身を置く主人公の近くにいる常識人だ。自分が平凡であることを認める一方で非凡な主人公に理解を示す寛容さと誠実さを持ち、信頼されて深く関わるが、基本的にそばにいるだけで物語を大きく動かす要因にはならない。彼らの役割は主人公が行方不明になったり死んだりした後も生き延びて、語り継ぐことだ。語ることによってイメージが紡がれ、英雄は英雄に、天才は天才になる。

現実にもそのように語り手の役割を引き受ける人がいる。偉大な人物と親しかった友人や弟子が証言者として発表したものは重要な資料と見なされる。しかし生身の彼らは影に徹しきることはなく、自分の都合の良いように事実を脚色し、改ざんしてしまうことさえあるのだ。
ベートーヴェンの無給の秘書シンドラーは晩年最も身近にいた人物として伝道者を名乗るが、貴重な筆談記録を都合の悪い部分だけ捨ててしまうなどしてさんざん嘘を語ったことが後世の研究で判明し、彼の言葉はもはや裏付けがない限り信頼されなくなっている。しかし広く知られているベートーヴェンの奇人・変人のイメージの多くはシンドラーの創作したエピソードに端を発しており、今なおそれが決定的なものとなっているのだ。

ミラン・クンデラの「不滅」という小説に、死後の世界でヘミングウェイとゲーテが語り合う場面がある。すべてを注ぎ込んだ作品よりも飛びつかれやすい数々のデマやまかり通る変人説に辟易とするヘミングウェイに対して、自身もかつての愛人ベッティーナに好き放題「証言」されたゲーテは「それが不滅というものですよ、仕方がないですな。」と言う。「不滅は永遠の訴訟です。」と。

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そう言うゲーテは死後の見た目にあえて突拍子もない珍妙な格好を選んだ。ーー「光のせいでちくちく痛む目を保護するため、彼は緑色の透明なひさしを細紐で頭のまわりに固定して、額の上につけていた。足にはスリッパをはき、そして寒気を感じないように、ひどく多彩な色合いの肩掛けに身をくるんでいた。」ーーそれは行く先々でゲーテへの熱烈な愛の話をするベッティーナのせいだった。彼女は、愛の対象がどんなロマンチックも台無しにしてしまうバカバカしい格好をして出歩くのに怒り地団駄を踏んだ。
刺し盛の話で言えば、食べようとしたとたん刺身が中に仕込まれた光ファイバーによってにわかに虹色に光りだし、エラが自動ではためき、目が回転しだして完全に「食えない」ものになってしまうといった具合だ。料理人はその姿を見るなり逃げ出した。

不滅を逆手に取り、死後の世界で喜劇として回収してしまったゲーテの茶目っ気ある復讐を私は愛したい。クンデラの不敵な笑みがよぎる。そうだ、そうであってほしい。

*後編に続きます

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写真家、書店員

Reviewed by
横山雄

死者が鍊金術で蘇るのは物語の中に限られるが、我々はその技術に関わらず、イメージを呼び戻すシャーマンになれてしまう。
誰もが善良な語り手でないのなら、時としてイメージを弔うことが望ましいのかもしれない。
ゲーテは何者でも無くなり、ありのままの姿で過ごす。そんな死後もあっただろう。

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