昨日から熊本へ出張しており、
今日は今から高千穂の神社へ籠もり、作品制作をしてくる。
今までも神社に居候して制作してきたけれど、それは社務所の中で。
今回は、ご神体のある、とても貴重なスペースで制作をさせていただく。
空海や、良寛。
彼らは仏教や密教だけれども、
私の尊敬する文字を書く表現者たちは、
何年もこうした行をおこなっていると聞く。
ただ、私は修行者でもない。
修験者でもない。
私が書を始めた一つの理由に、『一本の線で心を響かせる作品を創りたい』がある。
書の歴史の中で、文字だけを書いていては学べないことがある。
それは体験だと思っていて。
私は『体験』を何より重視して生きてる。
文字を書く上で、アパートの一室で書いている作品なのか?
彼らのように庵や神聖な場で制作している作品なのか?
それだけで、そこに入るエナジーは違うものになるのではないか。
そう思う事があり、今回、高千穂のとある神社で、
一晩、籠って制作する。
書き続けた先には何も残らないにしても。
きっと書き続けた先の自分は変わっているのだと思う。
何かを続けるという事は、それだけ力がある。
今日は、ひたすら『線』を書き続けようと思う。
それは文字であれ、点であれ、線。
その体験が、今後の自分の大きな糧になりそう。
私は、そうして自分を鍛えてきた。
きっと書道教室にいっていたら見えなかった事が見えてる。
ただ、書道教室じゃなきゃ見えない事が見えない。
それでいいのだ。
自分は自分だと、近年思えるようにはなった。
今日の気付きは、また次回、書くことにします。