500点以上作品が展示されていたはずなのに、1200万円の値札がついた三角形のことしか覚えていない。
LondonにあるRoyal Academy of Artsで開催されているSummer Exhibitionでは、12000作品の応募の中から選ばれた500作品が展示されている。そういう展覧会には、日本にいる時から久しく足を運んでいなかった。
知り尽くした現実と永久に未知の真実、理解不能な評価と突拍子もない価格、ひしめき合う価値の中に「正気の作品」も正気の価格できちんと並んでいる。「アートのことはわからないのですが」という台詞をよく耳にするが、私もわかったためしはなく、ただ言えるのは、正しいとか間違っているとかそういうものではないということだ。
誰の琴線に触れたか、そんな話にもなってくる。
例えば、毎年20倍以上の倍率を叩く応募数を知った上で「一色で三角形を塗りつぶして善し」と提出する勇気が、私にはあるだろうか。絵を描き続けて最後に行き着く境地が「ここ」だと示しているのだろうか。全知全能の誰かしらが宇宙の真理を悟っており、その境地に存在するのは辺と頂点の数が最も少ない多角形、そう、三角形様こそ究極の美だというのだろうか。陰謀説に浮上するシルエットが脳裏をちらつく中で「三角形 謎」という文字をインターネット検索欄に叩き込む。
そうだ、そもそもこの作品の題名はなんだったのだろうか。
“TRIANGLE PAINTING” なるほど、そのままじゃないの。
ところで、この一連の考察への誘導が彼の「アート」だというのなら、私はこの作品を味わい尽くしたと言ってもいいだろう。
個人発信の活動を越えた先に、私がどうしても辿らなければならない道がある。「選ばれる」ということだ。誰に?わからない。そこに価値は?わからない。それがゴール?わからない。けれども「選ばれる」という優越性はどの世界でも存在している。その漠然と大きな存在からの仕分けから逃げる言い訳は、いくらだって作ることが出来る。ただ「選ばれた者」にしか、選ばれることの価値を語ることは出来ない。大したことじゃないと語ることが出来るのも、確かに素晴らしいと言えるのも、道を通ったことがある人だけなのだ。
“TRIANGLE PAINTING”は、その道の先を走る大先輩の示す1つの形である。そうだとしても私は、明日も明後日も、相変わらず複雑な色合いで、複雑な線と点を繋ぎ続けるのだ。
「こうあったら上手くいく」とわかっていたって、容易くそうなってしまいたくないという矛盾した葛藤がある。成功した誰かの真似をすれば必ず、その人と同じ喜びを得るのかと言えばそうではないということくらい明白ではないか。
尖り過ぎた角は、自分の「どうしても通りたい道」の幅に合わせ、いずれ痛みを伴いながら削っていくことになるのだろう。
小林舞香