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2F/当番ノート

年の瀬に

当番ノート 第24期

実家から荷物が届いた。母ちゃんからは、クリスマスプレゼントのニット帽と手袋。母ちゃんはけっこうマメで、誕生日やクリスマス、バレンタインと毎年、何かしらプレゼントを送ってきてくれる。実家からの贈り物は、そこに言葉がなくたって、いつも温かい気持ちにさせてくれる。

父ちゃんは自家製の油みそと豚の燻製、島らっきょを送ってくれた。父ちゃんの手料理は絶品で、今までシェアハウスやCan’s BARなどいろいろなところで振る舞ってきたが、どこでも大好評だ。先日も、クリスマスに大学の先輩たちを家に招いて鍋をしたときに、つまみで出したら大いに喜ばれた。酒飲みの父ちゃんが作るだけあって、酒が進む、進む。口にしたみんなの顔がほころぶのを見ていると、僕が作ったわけでもないのに、なんだかうれしくなってくる。

通称「キャン肉」と「キャン味噌」

通称「キャン肉」と「キャン味噌」

その会で、宴もたけなわになった頃、先輩がふと言った「選べないんだよ、仕事にしたって、なんにしたって。僕たちが選ぶんじゃなくて、向こうが僕たちを選ぶんだ」という言葉が、妙にしっくりきた。「もうすぐ30だし、今までふらふらしてきたから、そろそろ何かを選んで、始めなきゃいけない。来年が勝負の年だ」。最近はそんな風に思っていた。頭でっかちにならずに、具体的に動いていかなきゃ。うまくいっても、いかなくてもいい。それはやってみないとわからない。たしかにその通りだ。時間だって無限にあるわけではない。でも、そんな大事な時期だからこそ、焦らずにいきたい。僕を待っているものは、思いもよらないところに転がっているかもしれない。今までの僕が、今までのままで、選ぼうとしていたら見えてこなかったもの。来年はそういったものを拾って行けるような一年にしたい。

前回の記事を読んだ、妖怪の加藤さんから「喜屋武くんの歴史を短く網羅した印象が強いので、どれか一つのエピソードを深く掘り下げた方が、より面白くなるんじゃないかなとおもいました。頑張ってね。」という感想をいただいた。たしかに、僕の基本的な性質だとミクロ(一点突破)よりマクロ(拡散)に走りがちなので、高校時代の具体的なエピソードを交えながら、前回のつづきを書こうかと思ったけど、〆切に間に合わせようと思ったら、中途半端になりそうだったので、今回は小休止ということで、近況を書くことにした。
毎回、公開ぎりぎりまで書いてるので、レビューを書いてくれている大見謝さんには、迷惑をかけまくっている。最近ある人に「きゃんくんは人の時間の価値をまったく分かってないですよ。あまりにも。」と言われたが、怠惰で、自分のペースを優先しがちな僕は、たしかに他者への想像力が足りていないし、相手の状況を気遣って、コミュニケーションを蜜に取らなくてはと反省している。大見謝さん、毎度ごめんなさい。次回からは、公開の前日までに(遅いか)初稿を上げられるように、がんばります。

みなさん、2015年はどんな年でしたか? 残り僅かではありますが、よいお年を。来年も引き続きご一読いただけるとうれしいです。よろしくお願いします。

大学の先輩たちとクリスマス忘年会

大学の先輩たちとクリスマス忘年会

【キャン語り】
年の瀬を迎え、連載もそろそろ折り返しに近づいてきた。第四回となる年内最後のキャン語りは、紙谷(かみや)さんにお願いした。紙谷さんと出会ったのは、3年前の4月4日だったと記憶している。僕が、パーカーの上に青いちゃんちゃんこを羽織り、ミッキーマウスのプリントがされたハンチング、パープル系のマフラー、赤い島ぞうりという、今考えてもわけのわからない出で立ちで、当時住んでいた早稲田のシェアハウスを出ると、大隈講堂近くの路上で、自転車を押しながら歩いている、怪しげなおっちゃんがいた。白髪交じりの髪はぼさぼさで、着ているのは、どこかで拾ってきたようなくすんだ色の上着とズボン。ぱっと見、ホームレスかと思って眺めていたら、なんとなく目が合ってしまったので、とりあえず「こんばんは」と挨拶してみた。向こうも、怪しげな格好をしているこちらが気になっていたようで、訝しげな表情を浮かべながら、「どうも」と返してきた。よく見ると、前歯がほとんどなかった。これが紙谷さんとの最初の出会いだ。
当時、僕は大学5年生だったのだが、ファッションセンスのかけらもない僕の服装を見て、紙谷さんは「田舎から出てきたばかりの新入生かなあ?」と思ったそうだ。「早稲田の学生さん?」「はい」と答えると「なに勉強してるの?」と訊かれたので、「えーと、ユーラシア文化論ってゼミで、担当教授はロシアの文学や芸術が専門ですね」と答えたら、「あー、ロシアね。ロシアはめちゃくちゃ重要だよ。たとえば・・・」といきなり政治、哲学、文学の話を展開し出したのだ。「なんだこのおっちゃん!?」と思い、いろいろ聞いてみると、中学の頃から学生運動に身を投じ、あらゆる文学や哲学書を読み漁り、25年間フランス料理のコックをしながら、ひたすら独学を続けてきたという、なかなかファンキーな経歴の持ち主であることが発覚した。「おもしれー!」と一気に興味を引かれた僕は、行く予定だったイベントをキャンセルして、紙谷さんをシェアハウスに連れて行き、何時間も語り合った。みすぼらしい格好をしながらも、口を開けばあらゆる角度から、たしかな知識に基づいた言葉が飛び出してくる紙谷さんは、在野の哲学者ゆえのアウトローな魅力を放っていた。今思えば(今もそうだが)、自分の生き方、あり方に悩んでいた僕は、からっぽの自分が、よりよく生きていくための思想的根拠を求めていた気がする。そんなタイミングで唐突に現れた、紙谷さんという異質な存在に、強く惹きつけられた僕は、それから半年近く、彼と頻繁に行動を共にするようになった。大学の授業に紙谷さんを連れて行ったり、まわりの友人たちにも紹介したりしていく中で、いろいろな化学反応が起きたが、語りだすと長くなるので、今回は割愛する。
紙谷さんは、くせがあるので、人によって好き嫌いは別れると思うが、僕は紙谷さんの、素直で、率直なところが好きだ。予定調和を嫌い、相手が誰だろうが、おかしいと思ったことは批判するし、ケンカするときはしっかりケンカする。僕も、時たま批判の槍玉に上がるが、悪意はないので、一時的にイラッとすることはあっても、嫌いにはなれない。たまに浮かべる「てへ」っとした少年のような笑顔。なんだか憎めない、そんな愛嬌も紙谷さんの魅力のひとつだろう。
ちなみに、紙谷さんは携帯もパソコンも持っていないので、待ち合わせは、いつも事前に時間と場所を指定して会っていた。紙谷さんから連絡があるときは、いつも公衆電話から非通知で電話がかかってきた。そうした時代錯誤な昭和スタイルのコミュニケーションも、紙谷さんにまつわるいい思い出だ。そういうわけで、今回のキャン語りは、お願いしてノートにまとめてもらったものを受け取り、僕が書き起こす形を取った。
あらかじめ断っておくと、今までのものと比べて、かなり長い。僕について自由に語ってもらう、というコンセプトなので、あえて手は加えないことにした。小難しい単語もちょくちょく出てくるので、ちょっとした小論文を読むような感覚で、読み進めてほしい。面倒になってきたら、読み飛ばしてもらっても構わないが、途中で出てくる、『ゲゲゲの女房』のエピソードはぜひ読んでほしい。しげると、布美枝のような関係を将来、誰かと築いていけるように生きていきたいと思う。

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 ぼくの住む町、山谷は「下流老人」の集積地だ。ある者は引きこもり、誰にも看取られることなく、ある日突然、息を引き取る。かと思うと、別の者は、昼間から安上がりに酔っ払い、浮かれ騒いでいる。それが、この町の日常風景である。その一部であるぼくは、好きなジャズを聴いたり、小難しそうな本を読んだりして、日々を過ごす。 
 
 すでに「高学歴ワーキングプア」のひとりである喜屋武君は、無為徒食のまま「下流老人」の途をひた走っている。喜屋武君の周囲にいる「勝ち組」候補の子たちは、この大いにありえそうな未来図に、ピピピ、と反応し、何とかそうならないように、声援を送る。「高学歴ワーキングプア」、「下流老人」、「勝ち組」、これらはどうでもよい。格差社会だからね。一定の人々が、当人たちの資質、向上心とは関わりなく、憂き目にあう。ぼくは喜屋武君を軽蔑するが、それは喜屋武君が無為徒食のままで自分を承認させようと立ち回るからだ。
 本人の言。「折々に誰かが訪れて、何かほっこりとした気分を味わい、帰っていく。それがそのまま事業として成立している、というのがぼくの人生の理想なんですけど」。すぐさまコメントした。「つまり、猫カフェか。猫のセールスポイントはイノセンスだが、こんなビジネスモデルをたくらむ奴がイノセントであるわけがない。君が猫以上にカスタマーの歓心を買えるかどうか。はなはだ疑問だな」。
 喜屋武君の周囲には、また「勝ち組」候補とは別に、そのなれの果てとでもいうべきシニアの好事家たちもいる。「オルタナティヴ」とか「共生」とか、最近だと「多様性」とかの言辞で人心を惑わす、よからぬ輩だ。これらの言辞には、れっきとした文脈があるのだが、シニアの好事家たちにあっては「何かほっこりとした気分」を醸成するための道具に堕してしまう。一部では「ポエム」と呼ばれている。「自己啓発セミナー」や「ブラック企業」などで用いられる、前向きで耳あたりのいい、空疎な言辞。「被災地復興」、「国際社会への貢献」、「一億総活躍社会」も、これ。ここしばらくは「テロ対策」が続くのだろう。いたずらに危機感を煽るのも、「ポエム」の用途のひとつだ。
 
 喜屋武君の現状認識は、こうだ。「共同体なんか、もはやどこにも存在してないじゃありませんか。家族さえもその存続を脅かされている」。「本当かよ」とぼくは思う。後述する「ポエム」共同体と区別するために、ここでは実在した共同体を伝統社会と呼ぶ。伝統社会の解体作業は完了していない。いまなお進行中なのである。取り壊されていく現場に居合わせるぼくたちの思いは、複雑だ。それが、不可逆のプロセスであることを知っているから。
 近代化、と概念的に把握されるものは、その渦中に身を置くと、まるで違った見え方をする。おそらくそれは、価値観、さらには心性にまで及ぶ変容のプロセスだ。そして、一世代の存命中にかたづいてしまうようなものではない。その間、ぼくたちは、過渡期を生きなければならない。
 ぼくは近代化をいたしかたがなかったこととして認める。伝統社会には、弊害も多かったからだ。近代化はヨーロッパの諸都市から始まった動きだ。それは、当時の人々を活気づけた。「都市の空気は自由にする」。これは銘記しておいてよい。
 ところが、である。当初約束されていたはずの市民社会の実現が、いまだに果たされていない。このことに対する嗟嘆が、現代のまともな政治哲学の基調にある。
 東西冷戦の終結を機に、J・F・リオタールが声を上げた。理念としての近代は、すでに失効したのではないか。仕舞いには、信じてはいなかったが、「労働者の祖国」というポエムを唱導していたあの国がどうなったか、見るがいい。進歩史観の誤りを率直に認め、ラーゲリ(旧ソ連の強制収容所)の更地から、再起を図ろうではないか。新たな理念、それは「ポストモダン」である。
 J・ハーバーマスは、待ったをかける。市民社会の実現を阻んできたのは、資本だ。そのグローバルな運動に、ソ連、東欧だって搦めとられていた。末期のソ連、東欧における生活水準は、後進地域のそれと大差無かった。暴政に貧困、というありふれたカップルだ。そこに、「民主主義」を注入したからといって、ワークアウトするわけがない。グローバル資本のわかりやすい餌食になるだけだ。失敗につぐ失敗の連続だったが、その評価の基準である、理念としての近代を見限ってはいけない。グローバル資本の動きを射程に収めた上で、市民社会の新たな呼称を提案したい。「対抗公共圏」、これである。
 おわかりいただけたと思うが、ぼくは、ハーバーマスの側に立つ。残念なことに、当分の間、ぼくたちは資本と手が切れそうにない。市場経済に対するオルタナティヴを、理論的に整備できていないからだ。拙速は、まずい。しかし、真摯な知的選良による探求は、なお継続している。この学術の領域における営みにぼくは期待している。「対抗公共圏」は、伝統社会の最良の遺産を、まっすぐに引き継ぐだろう。

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 TVドラマ『ゲゲゲの女房』中のある場面で、松下奈緒扮する妻、布美枝は、夫・しげるを庇って、言う。「あたしたち、お金は無いけれど、笑って暮らしています」。しげるをとがめていた父は、一呼吸おいて、言う。「そうか。んなら、よか」。偉い。この父にして、この娘あり。
 布美枝にとって、しげるは、幸福になるための手段ではない。しげるの幸福が、とりもなおさず、布美枝の目的なのだ。布美枝にそんな気持ちを起こさせたのは、ひとつのことに真剣に打ち込むしげるの姿だ。戦争で失った片腕の代わりに肩で画用紙を押さえる。そんな無理な姿勢で、深更まで描き続ける。それを目にした布美枝は、思う。「こんな苦労が認められんようじゃったら、世の中ば間違っちょる」。
 実像のままと覚しきしげるの姿と、喜屋武君のリアル・ライフとの違いは明らかだろう。喜屋武君には、水木しげるにとっての画業のようなものが無い。当人も自覚しているが、空っぽ、なのである。
 伝統社会にも、ありうべき市民社会にも、実質がある。水木しげるにとっての画業のような。かつてのギルドの職人も、現代の企業の技術者も、この実質とともにあるかぎり、誇りと矜持を失わない。利潤の最大化、コストの最小化だけに腐心する俗物がけっして手に入れることができない、生きる喜び。人生にとって一番大切なこのことを学ばずに、喜屋武君は大学を卒業してしまったのである。
 「ポストモダン」系の頽落した社会モデルを、ここでは「ポエム共同体」と呼ぶ。率先して「動物化」したがる人たちにとっては、楽園だろう。シニアの好事家たちが場当たり的に口にする「ポエム」が、マンガ、アニメ、ゲーム漬けになった若者には、けっこう響く。で、さっそく。「シェアハウス」を始める。これが典型だ。
 「ポエム」は、情動に訴えかける。理性は、ただ情動が下した決定を追認するだけの存在に成り下がる。批判など畏れ多くてできない。紛争が起きても、誰が「ポエム」に忠実かということだけが問題にされ、「ポエム」自体に疑いの眼を向ける者はいない。
 「ポエム」の自明性は、それが多くの場合、伝統社会化からの取材であることに起因している。後期近代であるとはいえ、ぼくたちの中には、少なからず過去の価値観、心性が残存している。「ポエム」によって、それが息を吹きかえすのだ。
 「ポエム」共同体は、ワークアウトしない。曲りなりにも近代化してしまったからだ。後進地域に「民主主義」を注入した時と同様の拒絶反応を起こす。ミクロな事例に限っていえば、放っておくにこしたことはない。喜屋武君の場合はその最たるものだろう。
 今回は批判に終始したが、喜屋武君がこれに懲りず、また機会を与えてくれるなら、以降は生産的な議論をしたい。テーマは、「対抗公共圏のデザイン」なんて、どうだろうか。

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紙谷正嗣

喜屋武 悠生

喜屋武 悠生

1987年8月15日生まれ。沖縄県石垣島出身。2浪1留を経て早稲田大学文化構想学部を卒業。3年のひまんちゅ生活後、28歳ではじめての就職。求人広告の代理店で約2年間の営業マン生活を送る。現在は、墨田区の長屋でシェア生活をしながら、友人と2人で立ち上げたソーシャルバーPORTOを経営してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

求められることで、その存在に気付き,その対象への愛情が生まれることがある。一方、求めるから、求められる、という相思相愛のかたちもある。求められても、そもそも興味がなければ、そっぽを向く。それもいい。

“僕たちが選ぶんじゃなくて、向こうが僕たちを選ぶんだ”

その言葉の意味を考えれば考えるほどに、答えは一つではない気がしていまう。とはいえ、おこがましくも、少しばかりの主張をさせてもらうならば、自分がどこかで(潜在的に)選ぼうとするから、奥の奥底で求めているから、いつの間にか引き寄せられるものもあるのではないか。

一方的な溺愛というのは、実際には冷ややかであることもあり、どこかで相手と自分がすり寄ることで、体温を合わせ、バランスを保つ。求める存在、求められる存在へ、互いが互いを促し合える。『ゲゲゲの女房』でみた夫婦の姿は、一体どうであったのだろう。

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