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2F/当番ノート

旅のおわりに

当番ノート 第24期

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アパートメントの連載も早いもので、今回で最終回。この2ヶ月は、毎週締切に追われているうちに、あっという間に過ぎていった。

連載の文章を最初から読み返してみる。書きたかったことはどれだけ書けただろうか。高校入学後のこと。浪人中のこと。早稲田での学生生活。卒業式に父ちゃんが上京して、友達を交えてみんなで飲んだこと。書きそびれたこともたくさんあったけど、なんとか無事に最終回を迎えられてほっとしている。

最後なので、これまでの28年間の人生をすこし俯瞰してみる。
物心ついてからずっと、自分と周囲の世界が薄くて透明な膜で隔てられているような感覚があった。
生まれと育ちに明確なアイデンティティを置けず、集団に溶け込まず、一つのことに深くコミットできないまま、中途半端な自分を抱えて、ここまで生きてきた。
どこにいても、自分がしっくりくる場所が見つからない。それなりに適応してうまくはやれるけれど、長く腰を据えたいと思えるような場所はなかった。

いつも、それなりに楽しくて、それなりにむなしかった。
心の中にぽっかりと穴が開いてるような感覚。
自分の人生をどこか他人事のように感じてしまうときが、今でもしばしばある。
すべては縁やなりゆき。流れに身を任せ、気が付けば、いつの間にかこうなっていた、という具合。自分の人生を主体的に生きようとする意思が欠けている。
自分の中にあるはずの喜び、怒り、悲しみといった感情や、欲望もどうやったら呼び起こされるのかよくわからなかった。

からっぽだから、自分で自分のことがよくわからない。だから、自分のことばかり考えてしまう。他人や、社会に、自分以上に興味が向かない。語られる自分が好きなのも、人との交わりを通して、自分の輪郭を確かめたいからだ。「死んだら自分の葬式を見てみたい」と思うのも、自分の生きた手応えのようなものを、集まった人たちの様子を見て、感じたいからだろう。
結局、すべてのベクトルは自分自身に回収されるから、大抵のことは、どうだっていいのだ。あったらあったでいいし、ないならないで問題ない。
おそらく、僕は仲のいい友達が明日急に死んだとしても、メシが喉を通らなくなることもなく、眠くなったら寝て、裸の女の子に目の前で誘われたらセックスしてしまうのだろう。

人との関係性の中に生き、そこに自分のアイデンティティを見出そうとしてきた僕は、主体性を持たなくても、人の波の中をゆらゆらとたゆたっているだけで、これまで不自由なく生きてこれた。でも、それは、親や、友達や、一緒に暮らしていた人たちがいたから、当たり前のように成立していただけで、ほんとうは当たり前ではないはずだ。

レビュアーの大見謝さんが書いてくれた前回の記事のレビュー。

居心地のよい場所から(一度)離れてみることは、“そうじゃないかもしれない自分”が本当にそうじゃないのか、と実証するチャンスであり、仮説通りであればまたその場所に戻ればいいし、(ややこしいけど) ”そうじゃないかもしれなくない”予想とは反して心地のよい自分が見つかる可能性だってある

という言葉。今までの僕は、やりたいこともとくにないまま、「そうじゃない」「なんか違う気がする」と言って、心地よい自分の枠から飛び出そうとしてこなかったし、飛び出す必要性も感じていなかった。でも、今は”そうじゃないかもしれない可能性”に身を委ねてみたいと思っている。変わらない自分でい続けることには、もういい加減、飽きた。変わらないことは、楽だけど、決して楽しくはない。

最近、就職活動を始めた。彼女に応援してもらいながら、転職サイトに登録し、求人の多そうな営業職の仕事を探してエントリーしている。久しぶりに履歴書を書き、年に数回も着ることのなかったスーツを身に纏い、緊張と新鮮さが入り混じった気持ちで面接に足を運ぶ。今週は不動産系の会社を2社受けた。来週もいくつか面接がある。

今住んでいるシェアハウスも出ることにした。働いてお金を貯めて、一人暮らしか、彼女と一緒に住みたいと思っている。

自分のことなんて、うだうだ考えてる暇もないくらい、一生懸命働いて、お金を稼いで、大切にしたいと思える人を、ちゃんと大切にする。僕が今までやろうとしてこなかったこと。今はやってみようと思えるようになったこと

僕はふらふらしているし、からっぽに見えたりもするかもしれないけど、何もない人間ではないと信じている。細かいことはいちいち気にしないけど、人から舐められたり、馬鹿にされるのは好きじゃないし、僕は、僕なりに、この世界にしっかりと根を張って、力強く生きていきたいと思っている。

ベクトルを自分から、外へと向けることで、からっぽな僕の心がどう変化していくのか、もしくはしないのか、自分の目で、足で、確かめてみたいと思う。

最後に。管理人の朝弘さん、森山さん、悠平さん、レビュアーの大見謝さん、キャン語りを引き受けてくれた人たち、そして、記事を読んでくださったみなさん、2ヶ月間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。アパートメントという素敵な場があり、読んでくれる人がいたから、なんとかここまで書き続けることができました。機会があれば、またここでなにか書かせてください。
 

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キャン語り最終回は、彼女のまなちゃんにお願いした。付き合った直後に始まったこの連載をリアルタイムで読みながら、僕と、僕を取り巻く人たちとの関係性に触れた彼女が、何を感じ、何を思ったのかを、素直に言葉にしてもらいたいと思った。
出会ってしばらくは、付き合うことなんて考えてもみなかったけど、一緒に過ごしていく中で、彼女は僕に寄り添おうとしてくれたし、僕も彼女ともっと深く向き合いたいと思うようになっていった。
このままじゃいけないと思いながら、進むべき道を具体的に見つけられず、自信を失いかけていた僕は「あなたは能力あるし、将来有望だから、大丈夫。がんばって。」というまなちゃんの言葉に何度も救われた。隣にいてくれる誰かと共に歩む人生というものに、今までずっとリアリティーを持てずにいたが、彼女となら、出口の見えないこのトンネルを抜けられるような気がした。その先の景色を一緒に見てみたいと思う。

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こんにちは、喜屋武悠生くんの最愛であるわたしです。
フィリピンのミンダナオ島の、とある孤児院ですごしたことが
彼を立体的に理解するのにとてもよかったという話をしたいと思います。

戦争で両親を失ったり、崩壊家庭で帰る家がない子どもたちと過ごすのは、
最初はすこし不安もあったけれど、
歌も笑顔もたえることのない、すこやかな時間は
ゆったりまったり、ヒトが歩く速さですすんでいった。
幸せのモノサシの変更を余儀なくされる、貴重な体験が盛りだくさんだった。
(そちらのことは今回ほとんどふれないけれど、facebookなどで読んで頂けるとありがたいです。)

ミンダナオ島の人たちはTシャツも着ているし、
携帯電話を持っているひともいる。
見た目だけではわからないけれど、
彼らのその生活は原始時代とさして変わらない。

原始のそこにはちょっとした娯楽はあっても、文化の匂いはなかった。
素敵な絵もないし、
ごはんの献立は3日で1サイクルしてしまうし、
これといった民芸品もない。
文化とはなんだろう。
文化の種は「より良くしよう」とか「向上心」とかそういうものなんじゃないか。
私はあなたより優れている、あなたと私は違うという気持ちが芽生えたなら、
個をつくり、壁をつくり、自分という木を形成してゆく。

強烈に個を主張する欧米型の木を大木とするなら、
ミンダナオの子どもたちはやわらかに絡みあう蔓(つる)だろう。
柔軟でつよいが、自立はしていない。
たがいに絡み合って、強靭になる。
文化がない……つまり優劣のない、勝ち負けのないせかいで
いきている子ども達は、オンリーワンな大木になる必要がない。
個性が大事。勝つことが大事。とは1ミリも思っていない。
長く戦争が続いたミンダナオでは、
みんなが協力して楽しくいきていくことが重要で、
Always〜三丁目の夕日〜的あたたかさが残っている。

こども達は集団でいるときは主張したり、
時には怪獣となっておそいかかってくる。
けれども誰か一人にフォーカスしてカメラをむけたり、
話を聞いたりすると途端にシャイになって、逃げ出してしまうことが度々ある。
リーダータイプの子もいないし、目立ちたがり屋もいない。
そりゃ顔も違えば性格も違うから、みんな同じというわけではないけれど、
では一言、どんな子なの?と聞かれてもなぜか答え辛い。
没個性といってしまってもいいかもしれない。

「自分」という概念は村の人たち、家族、友人といった共同体に溶け込んでいる。
「私」は強調されることも、だからと言って必要以上に卑下されることもない。
輪郭のない多数の意識の中にただ、漂う。

孤児院の食堂で、おかず一品とコメだけの食事を済ませると、
誰ともなく私のお皿を下げ、自分の分と一緒に洗ってくれる。
蔓である彼らには、共同体の一部である彼らにとって私のすべき仕事も、
自分のすべき仕事も同列なのだ。

そんな子どもたちと過ごしていると、
離れているはずの悠生くんがそばに居るような錯覚に陥った。
空気のような、空っぽな、海みたいな、という彼のタグも
石垣島の共同体意識の中ではぐくまれたのかもしれない。
(あるいはただのサイコパス説もある)

蔓である彼は、大木に憧れる。
たくさんの仲間がいる時に力を発揮できる。
彼がひとりでうだうだ
悩んだり
なやんだり
nayanndariしているのは、
早稲田大学という、力を発揮させてくれる
大きなバックグラウンドがなくなったからではないか。
そう思うようになった。

もしかしたら彼は花に生まれるべきだったんじゃないかと思う。
情報感度にすぐれた、文明のともしびに憧れる原始人、
というイメージがあったのだけれど、
彼といるほど哺乳類のなまなましさや
グロテスクで恐ろしい感情や、
人間的な温かさが感じられない。
というと悪く聞こえるかもしれないけれど、
とりあえず花を思い浮かべてみると、納得がいく。

日を浴びて健やかに育つ。
その葉を食いちぎられても、あるがままに。
悲しみすぎたり、喜んで我を忘れたりしない。
大丈夫、根は大地とつながっていて自分はただ一つの命、というわけではない。
根は広大に広がって、次の命が生まれるときを待っている。
透けて見えるくらいの、やわらかな細胞壁。
すぐ周りの浸透圧に左右されてしまう軟弱な細胞壁。
環境次第の生育状況。
植物だから自分から動かない。
彼にたくさんの体毛はあるけれど、
あれはどこかへ飛んでゆくためのわた毛ではない。ひげ根だ。
手が加えられなければ、まっすぐ伸びなかったかもしれない。
だから助けてやらなければ!
と周りに思わせてしまうところが彼のずる賢いところだが、
彼は彼であることにひたすらに誇りを持っている。
世界に一つだけの俺。
うん、やっぱり、花だ。

花だったら。
中村うさぎみたいなのを読んでメンタル童貞をこじらせてみたり、
最近髪が薄くなったといじられたり、
まだ働かないのか社会のゴミめと言われなくて済むのだ。
花は散ってもハゲとは言われない。
置かれた場所でハゲなさい。

そんなわけで彼の原産国、石垣島からもほど近いミンダナオ島で、
私は喜屋武悠生くんの処方箋を見つけることができたような気がしている。
たくさんの人から愛されている彼の良いところを消さないで、
慢性化しているうだうだ病に効く農薬を撒くことができるのは、
最終的にはわたししかいない。たぶん。
(ミンダナオでシラミをもらって頭に農薬まいてたのは私だけど)

処方箋はいくつかパターンがある。

1.細胞壁(もとい心の壁)の強化。
他人に自分を語ってもらうことで、自分探しをしない。
体験と経験によって「自分」を強化する。
なんでもかんでもウンウン肯かない。

2.核(もとい心)の爆発
植物から動物へ。
わたしをまるごとぶつけて核分裂させる。
爆発させて二度目の誕生をしてもらう。
どんだけ体張るねん、わたし。

3.環境を変えて、彼により光合成させる
フィリピンだったら、あなたは幸せにやっていける。

この全てをバランスよく配合した劇薬を投入していきたいと思います。
そして物理的にも、でかいおしりをバンバン叩いていきたいと思います。
処方箋自体はむずかしいものでもなくて、
だれもが簡単に考えつくものだけど、ポイントがある。

彼のたくさんのともだちに会わせてもらって、
みんななんてスーパーナイスなんだろう、
彼は本当にラッキーな男だなと感動してしまった。
その彼のステキな友人たちは数年間に渡って、
喜屋武モンダイについて語り、実際投薬を試みてきたにも関わらず
成果はイマイチだったという。
わたしから言わせてもらえれば、彼は蔓(つる)なのだから、
哺乳類用の投薬は効果がみこめない。
彼に必要なのは、叱咤激励でも、短期的な旅でも、質疑応答でもない。
支柱です。
しちゅー。
アサガオが巻きつくアレです。

授業やサークルやシェアハウスでは、蔓だとおもっていたまわりのともだちが、
就職をし、社会にでて、一人前の木になった。
彼はどの木にも巻きつくことが今のところできていない。

彼は大木になる必要はない。
大きく育ちつつある木であるわたしたちを、
後から後からゆるりと巻き込んでいけばいい。
そしたらいつか、しなやかだけれども強くなっていくでしょう。
たおれそうな木を支えることもできるでしょう。
わたしたちを土台にして、誰よりも太陽の近くにいくでしょう。
投薬やこやしを与えるよりさきに必要なのは、
ながく支柱となってくれる人なんです。
彼に巻き込まれたわたしたちが、共生することも大切。
さぁ、すでに実験ははじまっている。
キャン細胞に酢酸カーミンをかけて、のぞきみる。
そこに核はあるか。
赤く、ちからづよくはたらきつづけるハートはあるか。
……今のところ、とても面白い。
ほかのだれとも違うし、ほかのみんなといっしょだ。
顕微鏡から目がはなせない。
ふしぎな引力。魅力。アトラクション。
それが私の、彼の横にいる意味なんだろう。

高田真奈実

まなちゃん

喜屋武 悠生

喜屋武 悠生

1987年8月15日生まれ。沖縄県石垣島出身。2浪1留を経て早稲田大学文化構想学部を卒業。3年のひまんちゅ生活後、28歳ではじめての就職。求人広告の代理店で約2年間の営業マン生活を送る。現在は、墨田区の長屋でシェア生活をしながら、友人と2人で立ち上げたソーシャルバーPORTOを経営してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

頭の中で動いていた自分には、きっと“手足”がついていなかった。未来を現実に引き寄せるために伸ばす手も、現実から未来へと歩み寄っていく
足もないままに、いったい何ができるだろう。

そして、その未来は不確定なものでいいはずで、不確定だからこそおもしろいのだとも思う。ただ軸はきっと必要だ。その軸がなんなのかを知るために、人は(広義の意味で)旅に出て、自分を見つめるのかもしれない。

ただ、その旅は、ずっと孤独で歩んでいくとしたら、きっと”自分の範疇をこえた自分”に出会えることはない。他人との関わりのなかで、自分を浮き彫りにしながら、“自分のなかにある自分”と“他人のなかにある自分”の間にあるギャップに苦しむのだろうし、といういうか、苦しめばいい。

その苦しさから脱するために、“手足”が必要なわけで、そうやってちょびちょびとでも進みながら、日々を重ねていくのが人間なのだとぼくは思っている。そして、苦は楽のたね、というが、そうでもあって、そうでもない。苦Aは楽Aのたね、であり、それが終えると、苦Bがおそらくやってくる。

その苦しさを、“楽にするため”という結果はもちろんだろうが、それ自体を“楽しめる”という過程もあったらよくて、ずっとずっと一緒に歩んでいくものと考えると、付き合い方が見えてくる。“そうじゃないかもしれない”自分はその苦しさの一つになりえるけど、二つの“楽”を得られれば、そこに大きな意味が出てくるんじゃないかって。その手と足が感覚を覚えてるから、次への進み方が変わるだろう。

そして、突き放すようだけど、大きな物語のなかでいえば、哀しいことに、ぼくら一人ひとりが何者であるか、そして、どんな苦しみを抱えているのかなんてことは、一切関係のないことかもしれない。自分のことをどれだけ語れようが、他人に語られようが、それは淡々としたぼくらを包みこむ生き物からすれば、どうでもいいことかもしれない。

だけど、だけども、個人が持つ小さな物語のなかにある人情がぼくは好きだし、同じように好きな人が、喜屋武さんのまわりには集まっているのだろうし、「小さな物語」が淘汰されやすい今の時代に、そうやって人を引っぱる力があるのは、すてきなことだと思う。

ただその小さな物語に飽きはじめている人(それは喜屋武さんも含めてかもしれないけど)は、大きな物語にのっかったうえで、なおも色を個性を放ちつづける喜屋武さんに引っぱられたいと思いはじめているのではないか。その未来がくるために、手足が自然とついたんじゃないか。そう思えて仕方ないわけですよ。

最後に。処方箋は、科学的な意図が入り交じったものではなく、あくまでその人の体質を重んじた、漢方薬であったほうがいい。病状に効く薬ではなく、その病状になりやすい体質そのものへの問かけなのだ、おそらくは。そして、体質を変える変えないは、他人がとやかく言ってもいいが、強制できるものではなく、本人の意思を尊重してこそ。その意志の変化が生まれることが、実際にはむつかしい。

けど、その変化のための言葉が「あなたは能力あるし、将来有望だから、大丈夫。がんばって。」であるのだろうし、それを声にし、文字にもできたあなたは本当にしあわせもの。そのしあわせをより味わい深いものにするために、“そうじゃないかもしれない”自分を追っかけはじめてるのでしょうね、と。

最後の最後に、言わせてください。偉そうですみません。いまだかつて出会ったことのない、記述と伝聞のなかで生きる喜屋武さんだけしか知らないぼくですが、たがいが手足をつかって歩んでいくそのどこかで対面できることを楽しみにしてます。

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