Reviewed by
松渕さいこ
お月さんが新しく生まれて、数日かけてまん丸に膨れて
ふたたび新しく生まれる日に備えてどんどん欠けていくその時間を
私たちは普段、あまり意識していない。
だからその間えまこさんのお話のような出来事がお月さんに起こっているなんてことを
私たちは知らない。
何事もなかったようにまん丸に膨れたお月さんを見て、「先月と変わらない綺麗な満月だな」と思うんだろう。
お月さんにとっては痛かったり温かったりする日常を通り抜けてやっと昇る日だとしても。
このお話は私にも分かる気がしている。
私は好きな友達と次ぎ会う日まで彼らが過ごす時間を知らない。
小さな驚きや、嬉しい出会いや、悲しい言葉を投げられたりだとか
そういうことがあるんだろうけれど、SNSじゃ酌みきれないものだなぁと思う。
言葉にしたくないことは、良いことにだって悪いことにだってあるから。
会えば「元気だったよ」と言ってくれるだろう。
でもその間のことはもう遠すぎて覗くことはできない
今元気ならいいかとも思うけど、実際に知らないことの多さに唖然とする時がある。
あなたも私も、ひとりで生きているんだなと思うのはそういう時だ。
その「知らない時間」の詳しいことを知れなくても構わない代わりに
いろいろあったかもしれない時間ごと「よかったね」と言えるようになりたいと思う。
知らない時間に嫉妬しても、「なにかできたはず」と悔しい思いをしても
「なんでいってくれなかったの」と居たたまれない気持ちになっても、その知らない時間は彼・彼女だけのものだから。
知らない時間に起こっているであろうことがある、と思うだけでいい。
みんなそれを通り過ぎて、繰り返して、新しく生まれていく。
お話の最後、ふっくら満足そうに夜空に昇るお月さんみたいに。
余談だけれどえまこさんの描くお月さんの足と、雲の柔らかさがたまらない。
言葉のいらない野原みたいなこのコラムを、ぜひみなさまも。