高校の時、物理の授業で、「この世に一度生まれたものは絶対になくならない。形を変えて、残り続ける」と習った。
はたして、それは本当なのだろうか。
だとしたら、今年もまた変わらず咲いた八重桜を、父も楽しめているといい。
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四十九日の朝、空は珍しく快晴で、緑色になった桜の木がさわさわと揺れていた。
納骨が終わり、ぐったり疲れて帰宅する。
骨さえいなくなってしまった居間は、なんだかとても広い。広くて、寂しい。
小さな遺影を仏壇に収め、祖父と父と、2人の写真が並ぶ。父のはカラーで、祖父のは解像度の荒いモノクロだ。
父の位牌は、まるでゼーレのように並んだ、先祖代々の位牌の先頭に置いた。まるで将棋の歩兵、という感じ。王将の位置に、新入りの阿弥陀如来さまが見える。
新入り、というのも、実はこの仏壇には、阿弥陀如来さまがいなかった、というのが、発覚した。親族一同で驚いて、急いで購入したのだ。ちなみに、阿弥陀如来さまは掛け軸タイプで、それは銅像にすると手の隙間の掃除が大変だから、紙にするとのこと。なんだか味気ない。
何かと格式張るくせに、こうゆうところに抜けがあるとは、と呆れていると、どうやら昔の貧乏な農家だった家は、阿弥陀如来さまが買えなかったらしいことがわかった。
この家には、いろいろな神様(みたいなもの)がいる、と思う。
神棚、仏壇はもちろんあるし、恵比寿様も大黒様もいる。
正月には、小さな鏡餅をたくさん作って、家中に置いて回った。そこに神様がおりてくるのだという。例えばトイレや台所、小屋、寝室、など。置く場所と数は決まっており、そこに蕎麦と御幣(木の棒に白い紙がついた神具)とともにおいていく。
どうしてそんな仕来りがあるのか、と父に理由を聞いても、ずっと前からやっているからだ、としか返ってこない。置く場所は父しか知らないので、去年の正月は、ヨタヨタ歩くのを支えながら、一緒に餅を置いて歩いた。
理由はわからないがやっていることを、父も、父の母も、ずっと続けていた。それはきっと何かを信じているからだろう、と思った一方で、何か期待する様子もなく、淡々と決まりをこなしていくのだ。まるで夏が来たら草むしりをするように、猫に餌をやるように、そこに共生するためにやっているようで、当たり前に生活の中に溶け込んでいる。
神様のサラダボウルの中で、残った家族と、何匹もの野良猫と、何億何万匹もの虫たちが一緒に、それぞれの都合で生きている。ムスカリは勝手に自生して広がり、自分勝手なところに作られた蜘蛛の巣を人間が取って、落ちた主に猫がじゃれる。神様は、ただそこにいてくれて、たまに願い事を叶えてくれる。同じところにいるのに、きっと全く違うふうに見ている。
そして父もこの度、仏様に仲間入りなのだ。他の神様たちと、うまくやれるといい。
仏壇に収まった父は、そこに収まったみなさんと同じ、いかにも「故人」らしい。四十九日前まで「お父さん」としてここにいたその人は、今日、私の一番近い「先祖」になった。