5月を迎える上野公園は、徐々に緑が鬱蒼としてきて、軽やかな桜の時期よりも、なんだかたくましい。
田舎の自然に比べたら、都会の緑なんてたかが知れているのかもしれないが、それでも夜にすっと耳を澄ませると、上野公園にも、夏に向けて芽吹きはじめた、たくさんの草木の気配を感じる。
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四十九日が過ぎ、次に帰省すると、蛙がゲコゲコと鳴き、葉は水に揺れ、実家のまわりはまた新しい風景になっていた。あんなに父を悼んだ八重桜はもう過去で、まるで無かったみたいだった。感傷的になりたいこちらの都合に関係なく、実家のまわりを取り巻く自然は、独自に季節を進めていた。なんだか寂しくて、そして頼もしくもあった。薄い緑がさらに薄く引き伸ばされて空を透かす。こうゆう景色を見ると、すでに、これまでと日常の中に、美しさは潜んでいることに気づく。
亡くなってから2ヶ月近く経って初夏を迎える頃には、少し落ち着き、日常生活も難なく送れていた。にも関わらず、どうしてもどこか気分が晴れず、活気に満ちた繁華街や人の幸せが疎ましかった。
大丈夫、と心配してくれる人や、話を聞いてくれる人がいる。それと同じくらい、自分を保つために必要なのは、生きているものを食べることだと感じていた。野草を食べてみたり、採れたてのミントで紅茶を飲んだりした。とてもダイレクトに、生命力をかき込んでいた。高級で肉厚の焼肉や回らないお寿司を食べても何も思わなかったのに、土から出てきたばかりの野菜を食べると、なんだか少し元気になった。
昔、死んでしまった飼い猫を根元に埋めた梅の木も、大ぶりの実をつけていた。ふわふわの生き物の肉と骨が土になって、その栄養から生まれた実を、食べたい、と思った。それは、いただかなければ、という、衝動に近いものだった。
土から取れるものばかり欲していたのは、多分この記憶のせいなのではないか、という出来事があった。
父の病状が悪化して入院していたとき、1週間ぶりに見舞いに行った。寝たきりのため、1週間前と体勢も表情も機材も何も変わっていなかったが、ヒゲは生えて、爪も伸びていた。動かないけど爪は伸びるんだね、と言ったら、母に、当たり前でしょ、と叩かれた。
ベッドの横に座って、父の顔のふわふわした産毛をじっと見ていた。そしたら急に実家の何もない畑に雑草が生え始めている風景が目に浮かんだ。徐々に暖かくなってきたからか、冬の間は何も生えていなかった畑に、雑草が顔を出し始めていた。やがて薄茶色の地面を緑に染めていく、小さいけれど力強い芽。父の産毛が、不思議とそれと重なって見えてきた。それはつまり父自身を、ばかみたいだけど、まるで大地のように感じてしまったのだった。でもそのとき、どうして逝ってしまうんだろう、という答えのない問いから、少しだけ抜け出せた気がした。逝くのではなく、きっと帰るのだ。人の形ではなくなるけれども、自然が何万年と脈々と続いてきた自然の大きなサイクルの中では、当然のように、有機物は土に帰る。父は、そろそろ土に帰ろうとしている。職業、ルール、社会性、思想、親としての顔、そうゆうものが剥がれ落ち、ただの土になる。そう思ったら、ずっと渦巻いていた疑問が、ストンと落ちた。
初夏の実家の食卓には、摘んだばかりの菜花のお浸しが並ぶ。淀みのない、ジューシーな緑。
手を合わせながら、わざと大きな声で、自分に言い聞かせるように、「いただきます」と言った。仏壇の中から「はい、どうぞ」と父の声が聞こえた気がした。