どうゆうふうに悲しんだらいいのか、どうやって強くい続けたらいいのか。振る舞い方がわからない、その迷いに一旦区切りをつけたのは、思い返すと、半年の月命日だったのかもしれない。
—
半年の月命日は、奇しくも父と母の結婚記念日だった。
もういないのに祝うのはなんだか不思議な感じもしたが、悩んだ結果、プレゼントを贈ることにした。一人で結婚記念日を迎える、丸い背中が震える様子が目に浮かんだのだ。
何か父との関係性を敬いつつも、人との縁を感じられることをしたい。そう思い、花束とメッセージにすることに決めた。
グリーティングカードを選びに、本屋へ行く。カード売り場を目の前にして、さてどんな種類を選べばいいのか。分類は「結婚式」「出産」「誕生日」。どれにも当てはまらないので、「多目的」というこじんまりしたコーナーから選んだ。I wish your happiness と書いてあった。なんだかダサいけど、間違いってはいない。
そのあと、花屋へ。
花束を注文したいと言ったら、何用ですか、と聞かれた。一瞬迷って、結婚記念日です、たぶん、と答える。花の色味をどうしますか、と聞かれたので、結婚記念日の場合、何色が多いんですか、と返したら、ピンクですね、とのことで、それはちょっと違う。
最近実家に届く花は、当たり前だけど白ベースの薄い色のものが多かった。白は無難だけど喪中の延長みたいかな、思い切ってダリアの赤い花の花束にするか。しどろもどろになってしまい、店員が不思議そうな顔をする。結局「白をベースに、ちょっと黄色やオレンジ、青とかを入れてください、あ、でもあんまり白すぎない感じで」という、半端なオーダーになってしまった。
はたして、花を贈ることは正しかったのか、2、3人に相談したら、反応は様々。生きてる人と、いない人のペアへのプレゼント。たぶん正解がないのだと思う。母から、お父さんがいない結婚記念日は、初めてだ、と当たり前の内容のメールが届く。
1週間後、帰省する。
帰ったらすぐに、まず線香をあげることにしている。お昼どきだったらか、台所から広がる麻婆豆腐の匂いと、線香の匂いが混ざって広がった。線香の煙は、すっかり生活に馴染んでいる。父、随分仏壇が似合いようになったねぇ、と母に言ったら、似合うようになっちゃ困るんだけどねぇ、とのこと。
その夜、父が過去の人になってきていのだと実感した。父のことを思い出すことも自然と少なくなっていた。もっと一緒に過ごした日々にすがっていたいのに、カレンダーはどんどん前に進むし、深い悲しみに襲われる夜は、もうあまりない。だんだん、距離が離れている気がする。距離もなにも、もういないのだから物理的に離れることはできないのだけれど。気配、や、記憶、といった単語がしっくりくる。気配が薄くなっている。そして、これからも、どんどん薄まる予感がする。
仕事が終わった帰り道、ふと父のことを忘れて仕事をしている自分を、なんて残酷で身勝手な人間なんだろうと思った。
それは悲しくて、でももう前に進んでいくべきサインでもあった。