昔、きみを産んだとき。どういう話の流れだったか「へその緒を切る時は母体も赤ちゃんも痛くないんだよ」と誰かから言われ、その後に続いた言葉が「髪の毛と同じで」だった。
へその緒と髪の毛が医学的に同じとは思えないけど、その時は「そっか、それならば反対に、”髪の毛切っても痛くない”ってことの方が不思議だな」と感じたのを覚えている。
髪の毛は体の一部なのだけど神経が通っていない。神経がないから痛みがない。
痛みがないということは、命が通ってないということ?
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社会人5年目の時、職場の先輩が妊娠した。ちょうどきみを保育園に入れて職場復帰した頃だった。
先輩は2年前に一度流産していてそのつらそうな姿も目の当たりにしていたから、わたしは祝福するというよりも正直ほっとしていた。
先輩が妊娠してくれさえすれば、わたしが先輩に対して抱えている「流産の悲しみを知らない後ろめたさ」が免除されると、そんなずるい気持ちがあった。 我ながら性格が良くないなと思うけど。
先輩はまだ大きくないおなかをさすって言った。
「この子には二倍幸せになってもらわないとね。2年前に空に帰ってしまった、お兄ちゃんかお姉ちゃんのぶんまで」
その言葉はわたしの体をぴくっとさせた。「そうですね」と答えないといけないのに、その五文字が言えなくて汗が噴き出す。
わたしは、命に理由を持たせることが大嫌いだ。
生まれながらに「あの人のぶんまで」「あの子のぶんまで」と与えられる思いやりは、決しておなかにいるその子本人のためのものじゃなくて、親のエゴ。
親が人生を物語にするために命に理由を持たせたいのだ。
生まれる前から使命を与えられたその子は、おなかの中のその子は、どうしても絶対にいかなる手順をもってしても”幸せにならないといけない”。
それはもう親心を通り越して、涙の約束された美しい呪いだった。
「誰かのぶんまで幸せになってほしいなんて、そんなの可哀想じゃないですか」なんて喉まで出かけて、分厚い粘膜がきゅっと絞られて声はひゅんと肺に戻る。
その時、わたしの外側は上手く笑えていたんだろうか。
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きみが死を知るとき。それは考えたくはないけど、おそらく(本当におそらくだよ)身内の死じゃないかと思う。
わたしの祖母は高齢ながら二人とも健在で、きみからするとひいおばあちゃん。きっと向こう5年のうちに亡くなってしまうだろう。
でもきみが年齢をあと5年重ねていたとしても、90代の曾祖母が亡くなるのはあまりちゃんと悲しめないと思うから、本当の意味で死を知るのはもっともっと先かもしれない。
というか、わたしもまだ知れてないのかも。だってきみに「これが死だよ」と差し出せる経歴があまり無い。
親の方が子よりも経験が豊富だなんて、それ自体が危うい認識なのかもしれないね。
まあとにかく、きみが死を知るとき、きみは朝が来るまで泣き明かすかもしれないし、髪の毛をチョキンと切られるように痛みもなく平気な顔をしているかもしれない。
「かもしれない」ばかりです。こればっかりは。
でもひとつだけ伝えたい。きみが生きる理由は、きみが自分で見つけてほしい。
身近な人の死に対して、逃げずにちゃんと悲しむこと。
でもそれに引きずり込まれないこと。
わたしはきみに生きてほしいから、きみの命に理由をつけない。わたしの為し得なかった夢を叶えてとか、誰かの仇をとってなどと求めない。
「誰かのぶんまで幸せになる」という使命を背負わせない。
命の理由は自分で見つけてほしい。
わたしは優しい母親じゃないから。
きみはどうか、ふがいなくとも自分の意思で生きろ。
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娘へ。きみが嫌いなものをママは知ってるよ。ドライヤーもそのひとつ。音がうるさくて嫌なんよね。
髪を乾かしてやろうとしても、1分も持たずにきみはわーっと去っていく。
離れたところで、きみはわたしが髪を乾かすのを見て大笑いしている。髪の毛があっちこっちに飛んで妖怪みたいなんだって。
「メデューサってこと?」と聞いたけどそれには答えない。メデューサ知らんのんかい。
わたしは髪の毛が四方八方に踊ることなんかよりも自分がナチュラルにトランポリンの上で髪を乾かしている事実のほうがよっぽど面白かったし、きみがけたけたと笑うなら毎晩ドライヤー片手におどけてもいいと思った。
きみは今夜も髪を乾かさせてくれないくせに、その濡れた黒髪を大事そうに丁寧に櫛で梳く。
その櫛はメイソンピアソンといってちょっと値段のはるやつ。知らずに使ってるんだろうけど。本当は使わないでほしいけど。
わたしはそれは言わないできみの後ろ姿を見つめて、まだ死を知らないその小さな頭の中を透かせて見れはしないかと目を細める。
そんな視線にも気づかず、きみはひたすらに、切られても痛くも痒くもない神経の通わない髪の毛を丁寧に丁寧にその手で梳く。