幼い頃、自分の名前が嫌いだった。上の名前も下の名前も大嫌いだった。
わたしの旧姓は動物の名前とリンクしていて、幼い頃は頻繁にそれについてからかわれた。
小学校低学年の時は点呼のたびに誰かがその動物の鳴き声を真似てみせて労なく笑いを取った。
わたしは「女の子は結婚すると苗字が変わる」という事実を知って歓喜して、嬉々として家族に報告し父親を苦笑いさせた。
「いつか名前が変わること」、大げさな話だけどそれを希望に生きていたと言っても過言じゃない。
同時に、下の名前は結婚しても変わらないというのは本当に憂鬱だった。
名簿の中で浮いている、ひときわ古風な名前。せめて漢字がハイカラならば救いがあるもののそれもない。
改名について本気で調べたこともあった。けれど改名はそもそも生活に支障がないと不可能らしい。
生活に支障、あるんですよ。気持ちが鬱々とするんですよ。どうか分かってもらえませんかね?
心の中で悪態をついた。
わたしは自分の名前を錆びていると思った。
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時は流れ、この名前もまあ悪くないか他の人と被らないし……と気持ちを落とし込める年齢になった頃、友人から「中学の同級生が死んだ」と聞かされた。車の事故らしい。
その男の子は中学1年生の時に出席番号がひとつ後ろで、入学早々わたしの苗字をからかってきた子だった。
メソメソと泣いていた小学校低学年の頃とは違い、中学生になるともう「まだコレ言う人いるんだ。幼いな」程度に受け止められるようになっていた。
お通夜に行くかどうか親に尋ねられたけど行かないと即答した。訃報を聞いても蘇る情報がわずかしかなかったのだ。何度も動物の鳴き声を後ろから真似してきたことくらい。
普通、人が死んだのだから、思い出すことなんてもっと他にあるはずなのに。
彼の名前と、わたしの名前。頭文字だけが一緒だった。
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娘へ。2020年7月末。大好きだったwebメディア「アパートメント」に入居する運びとなり、どんな連載にしようかと考えて、管理人さんとのやりとりの中で執筆内容は「娘に伝えたいわたしの内側」に決まった。
きみに伝えたい8つのことは、わたしが教えてやれる8つのことだ。
性について、命について、友達について、笑顔について、音について、美しさについて、優しさについて。
そして今回が最終回。
わたしはきみに「善く生きてほしい」と願い、これまで静かに綴ってきた。
「善く生きる」というとまるで苦難などひとつもない順風満帆な人生を指すように思うけど、わたしが望むのは決してそうじゃない。
生きていてつまずくことは避けられないから、きみはきっとつらい思いも味わうし涙も流すし挫折も経験するでしょう。
それでも立ち上がればそのたびに人生は倍々ゲームで豊かになっていく。
それをひっくるめて「善く生きる」ことだと考えている。
そしてきみに伝える最後の1つは、「名前」にすると決めていた。
きみの名前をつけたのはわたし。
きみにはお兄ちゃんがいて、彼の名前は夫婦で考えた。
けれどきみが私の体に宿った時、「もしもお腹の子の性別が女の子だったら私に名前を決めさせてほしい」と夫に懇願した。それだけはどうしても譲れなかった。
きみには絶対に絶対に自分の名前を愛する人になってほしかったから。
出産予定日の数か月前から、どう名付けるか決めていた。
だからきみが生まれた夜わたしだけは当然のようにその名で呼んだ。
名前には不思議な力が宿っている。
わたしはきみが笑って生きていけるようにとこの名前を名付けたのに蓋を開けてみるといつもきみが周りを笑わせている。
この先つらいな、しんどいな、さみしいなと感じた時は、自分の名前の意味を信じてね。
名前は「変えられない」、わたしはそれを長年ネガティブに捉えていたけど、見方を変えれば「誰にも侵害されない」ということ。
わたしがきみを想って贈ったそれは誰にも捻じ曲げられない。
名前は、古くならないお守りのようなもの。
そしていつかローマ字が読めるようになったらこの連載のすべての回のURLの末尾を見てください。さかさまから読んでみて。
いろいろと複雑そうに書いたけど、ここで伝えたかったことはたぶん、そういうことです。
長い長い文章でした。ここまで読んでくれてありがとう。
これからもわたしはお母さん。いつもそばにいます。
きみの名前は「さち」。幸せと読むのよ。
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アパートメントでの当番ノートも最終回となりました。
お付き合いくださってありがとうございました。
ここでは2か月間、娘が撮ってくれたわたしの写真「わたしの外側」と、娘に伝えたいわたしの内面「わたしの内側」を記録しました。
だいたいいつもウキウキと書き始め、途中で一度泣きそうになるのを経て、最後にはあたたかい気持ちで「予約投稿」のボタンを押していました。
誤算だったのは、秋の始めから娘がわたしの写真を撮らなくなったことです。
この夏あんなにカメラにハマっていたのに、飽きるのが早い!わたしにそっくりです……。
そのおかげで10月の連載開始直前はハラハラと動揺したのはここだけの話。
たくさんの候補の中から「今週はどれにしようかな」と楽しみに選ぶつもりだったのに、数少ない写真から「わたしの外側」を選ぶ羽目になりました。
アルバムをめくるように過去の文章を遡ると、連載初回にこんなことを書いていました。
“これはわたしがわたしを知るための試みです。
そして、抱きしめるとも肌を撫でるとも違う、ちょっと変わった愛し方です。”
わたしはちゃんと愛せていたでしょうか。
最後になりましたが感謝を伝えさせてください。
アパートメント管理人のお一人であり連載を受諾くださった鈴木さん、当番ノート同期のみなさん、そして誰より毎週本編以上の(!)愛にまみれたレビューで併走してくれたレビュアーのteraiさん、とんちんかんな愛を目撃してくださった読み手の皆さん、心からありがとうございました。