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2F/当番ノート

いつも、みまもっているよ

当番ノート 第54期

サンタクロースの存在を何歳まで信じていたのか、よく覚えていない。でも、サンタクロースを信じていた理由なら覚えている。

小さい頃のこと。クリスマス当日の朝、起きてすぐにベッド周辺でプレゼントを見つける。昨夜はわがやに忍び込んでくるサンタクロースの姿が見たくて、眠らず見張っていたつもりだったのに、いつのまにか寝てしまった。プレゼントは、たいてい私が希望していたとおりのおもちゃ。どうしてサンタクロースにはこちらのほしいものがわかるんだろう。

毎年、プレゼントの上にクリスマスカードがのせられていた。二つ折りのカードを開いてみると、不思議なかたちをした日本語の文字で、こんなことが書かれてある。

「こうすけくん。ことしもげんきで、いいこにしてたから、ほしがっていたものをあげるよ。らいねんも、ママとパパのいうことをよくきくようにね。いつも、みまもっているよ。メリークリスマス! サンタクロースより」

文字がどういうかたちをしていたかというと、たしか端の部分に短い棒をちょこちょことつけたような形状だった。小さい頃の私は、そんなかたちの文字を見たことがなかった。人間が書いたものとは思えなかった。呪文のような、摩訶不思議な文字。たぶん魔法のちからで書かれたものだろう。となれば自ら名乗っているとおり、サンタクロースその人が書いたものに違いない。そう、サンタクロースは存在する。証拠は私の手の中にあった。

そんなわけで、飾り文字でしたためられたクリスマスカードこそが、私がサンタクロースの実在を信じていた理由だったのだ。

その後、いつのまにかクリスマスカードは届かなくなった。私は世間ずれして、クリスマスのからくりを知り、サンタクロースを信じなくなった。

あとから聞いたところによると、カードは私の実父が書いていたのだという。田舎の秀才一家の末っ子として生まれ育った実父は、カメラマンだったり喫茶店の店主だったり会社員だったり家でゴロゴロしていたり、ようは職業不詳だった。私が小学3年生くらいのときに実父と母は離婚して、私は母に引き取られた。もともと母方の土地で暮らしていたので、実父が出ていくことになった。

それ以来、一度も会っていない。生きているのか死んでいるのかもわからない。私は、あのクリスマスカードを書いていたときの実父よりも年をとった。

もう手元に残っていないけれど、カードの文字は一文字ずつ、とても丁寧に書かれていた記憶がある。夜、小さなカードを前にして、じっくりと時間をかけて飾り文字を綴っていたであろう実父の姿を想像すると、どんな魔法よりも強くて尊い何ものかがそのときたしかに実在していたのだと、感じることができる。

「いつも、みまもっているよ」

そんな言葉はいつだって、もちろん嘘なのだが、嘘が嘘でなくなる時間というものがこの世界には存在していて、そのひとつがクリスマスの日なのかもしれない。私はサンタクロースを信じないけれど、そういう時間の存在は信じる。

佐伯享介

佐伯享介

青森県出身。SFと文学と犬と猫が好き。

Reviewed by
辺川 銀

あの朝、枕元にあった、プレゼントの箱の中身は思い出せない。でもあの箱のリボンを解く時の「自分は愛されている」という確かな実感だけは、大人になってもクリスマスのたびに思い起こされる。

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