「こんな場所で死ねたらしあわせだろう」
中学時代、地理の資料集で厳島神社の写真を見て、そう考えた。
こんなに静かで、美しくて、神秘的な場所にひとりでいたら、誰も悲しませることもなく、誰にも悲しませられることもなく、石や草みたいに平和な気持ちで死ねるんじゃないか。そんなことを考えていた。
中学生の頃は、学校にうまく馴染めなかった。「自分」というものにも馴染めなかった。けがらわしい獣の肉体に自分が閉じ込められているような気がしていた。
写真の中の厳島神社は、神秘のかたまりだった。鳥居と、海と、遠くにみえる山のほか何もなく、鏡のような水面は空だけを映し出している。どうして海の上に神社を建てたのだろうか。意味がわからない。すごい。不純物を一切排除するような空間であると同時に、その場所自体が世界から隔絶されているようにも見えた。風ひとつ立たないような静けさを、写真から感じ取った。
自分のなかにある薄暗い気持ちは、年齢を重ねるごとに弱くなっていったけれど、水底に沈殿する泥のように、自分の底のほうにずっと残っていることを知っていた。じっと観察しながら、それが上にあがってこないよう、水かさを増やしたり、激しくかき混ぜないよう注意したりしながら、こわごわと日々を送ってきた。
そうこうしていたら、大人になり、有給休暇がたまっていた。
有給休暇がたまっていたので、どこかにひとりで旅行をすることにした。数年前の話だ。旅行先の候補をいろいろ考えて、いちばんしっくり来たのが広島だった。いつか絶対行ってみたいと思いつつ、一度も行ったことがなかった。
厳島神社が広島にあることは忘れていた。行くことを決めてから気づいてしまい、どうしようと思った。昔、あんなこと考えてたけど。すこし照れくさい気持ちだった。
広島旅行の何日か目、快晴の日。フェリーに乗って厳島神社のある宮島を訪れた。大鳥居に向かう道の途中、鹿を見た。修学旅行だろうか、学生服の少年少女たちや、外国人の旅行客、お年寄りたちがにぎやかだった。「静かな場所」とは言えなかったけれど、陽気でいい。なにしろ天気がいい。海は穏やかで、きらきらしていた。
いまは修理工事中の厳島神社だけれど、私が行ったときはまだ大鳥居を見ることができた。大鳥居は、あっけらかんとそこにあった。干潮時の干潟の突端まで水たまりをびちゃびちゃと歩いて、鳥居に近づいた。私の前で写真を撮っていた二人連れが去って、私ひとりになった。一歩半、前に出た。大鳥居と向き合ってしばらくぼうっとしていたら、風が止み、人の声が途絶えてしんとする瞬間があった。私は息をひそめて、その瞬間をやりすごした。
「こんな場所で死ねたらしあわせだろう」とは、思わなかった。中学時代の自分がここにいたら、裏切り者と呼んだかもしれない。でも、申し訳ないけれど私は宮島の牡蠣を食べたかった。ビールも飲みたかった。もっともっと生きたかった。自分が牡蠣を貪り酒をすするけがらわしい獣であったとして、だからなんだと言うのだろう。どうせ生まれてきたからには、どうにか生き抜いてやる。生きるからには、飲んで食べるのだ。私は、大鳥居の前から立ち去った。
宮島を訪れる人々は陽気で、牡蠣は美味で、鹿や鳥たちは健やかそうに見えた。のどかだった。
厳島神社が建てられたのは、推古天皇が即位した593年とされている。建てたのは、豪族の佐伯鞍職。私と同じ苗字だ。私はもともと佐伯という苗字ではなかったけれど、紆余曲折あっていまの苗字になった。厳島神社の写真を初めてみたころはこの苗字ではなかった。なにか因縁めいたものを感じた。私はこの苗字が好きだ。
神社でちょうど結婚式がおこなわれていた。建物のなかでは、複雑な手順でなんらかの儀式が進んでいた。ほかの観光客たちとともに、それに見入った。
厳島神社はほんとうに美しいから、めでたい場所であるべきなのだ。死よりも生、排除よりも結びの場所であるべきなのだ。こんな場所で結婚式ができたら、きっといい思い出になるだろう。そう考えて、ようやく胸のつかえが下りた気がした。