犬や猫がしあわせそうに暮らしている街なら、人間もきっとしあわせに暮らせるだろう。
中目黒への引っ越しを検討していたときに考えたことだ。下落合駅のホーム裏の部屋を引き払うつもりで、山手線沿いの物件を探していた。やっぱり山手線沿いに住みたかった。なにせ「東京の大動脈」である。憧れる。
探していたら、「目黒から徒歩20分」という条件の家が見つかった。調べてみたらじつは最寄りは中目黒で、「徒歩10分」とあった。
もともと、中目黒という街についてよく知らなかった。初めて行ったのは、目黒川沿いに昔あったCombineというカフェで友だちのライブをみたときのこと。その日は晴れていたはずだけれど、「灰色っぽい街」というイメージを抱いて帰った。
目黒川沿いの桜のことはうっすら知っているだけで興味がなかった。人が集まる花見スポットにあまり近寄りたくなかった。
それでも中目黒のワンルームを内見しようと思ったのは、中目黒から徒歩10分、目黒から徒歩20分ほどの立地なのに、7万円台前半というリーズナブルな家賃に惹かれたからだった。この場所なら、道玄坂にあるオフィスから歩いて帰ることができるし、山手線沿いの利便性もそれなりに享受できる。でも、相場よりもかなり格安な家賃なのだ。どんな部屋なんだろう。
部屋は、LDHなどがある青葉台・東山方面とは逆方向の、目黒方面にあった。山手通り脇の細い道を適当に入ると、予想外に静かな住宅街が広がっている。年季の入った家々や新しくてしゃれたマンションに混じって、ギャラリーやオフィス、個人経営の店などがひっそりと軒を連ねている。神社や小さな公園もある。ひたすら静かだ。
物件の近くで不動産屋の担当者と合流して、建物に入った。案外汚くない。そんなに古くもない。ただ、すこし狭い。さらに、床と直角になっている壁が少ない。三角形の屋根のかたちに沿って、床と鋭角をつくる壁が4面中2面もあるのだ。家具が置きにくい。名前を呼びたくないあの虫が出現せず、浴槽を水を流しても床に溢れてこないなら我慢できる気がするけれど、やっぱりすこし狭い。きっと本の何割かを処分しなければならない。それはほんとうに悲しいことだ。身が裂かれるみたいに。悩む。
不動産屋の担当者に相談して、いま持っている家具や所持品を伝えると、
「ここでそんなに物を置いて暮らすのは難しいんじゃないですかねえ。私は持ち物が少ないので暮らせると思うんですが。中目黒、いいですよね。人気ですよね。きっとすぐ決まっちゃうと思います。でも、荷物が多いと暮らせないですね、この部屋には入らないでしょう。私なら決めちゃいますけどね。荷物少ないんで」
「ここで暮らすのは難しい」というのが引っかかった。いや、暮らせるかもしれないじゃん。ちょっと反感を抱いた。荷物が多いのは事実だし、すこしこの部屋が狭いのも事実だけれど。
ひとまず契約は保留にし、悶々とした気持ちで担当者と別れた。気を取り直して、付近を散策することにした。天気がよかった。
山手通りに出てすぐに目に入ったのが、犬を連れた身なりのいい老婦人だった。連れられていたのは小型犬で、晴天の下をトコトコ歩く姿が満足げだった。なにものにも怯えず、誇らしげに見えた。しあわせそうに見えた。
犬や猫がしあわせそうに暮らしている街なら、人間もきっとしあわせに暮らせるだろう。
そう閃いて、この街に住もう、と思った。あんなふうにしあわせそうに暮らす人や動物たちのように、私もしあわせに暮らすのだ。
あたりを散策していて、気づいたことがあった。歩道に煙草の吸殻やビールの空き缶や新聞紙なんかがほとんど落ちていないのだ。住民たちの美化意識が高いからか、行政の清掃活動が行き届いているのか。どちらにしても、誰かのおかげでこの歩道の清潔さがあるのだろう。
思い返してみれば、数年前に初めてこの街に訪れたときに感じた「灰色っぽさ」は、アスファルトの色、だったのかもしれない。ゴミが落ちていないからこそ、アスファルトの色が目立っていたのかもしれない。
次の日、不動産屋へ電話をして、あの部屋の契約をしたいと告げた。
自分が住む街にはなにか貢献したい。そうつねづね思っている。地域貢献というと集会に参加したり、ボランティア活動に参加したり、飲食店の常連になったり、といったイメージだけれど、「しあわせそうに歩くこと」も地域への立派な貢献なのではないかと思うようになった。中目黒に住んだ4年間、しあわせそうに歩くこと、をときどき思い出しながら過ごした。
その後、世田谷に引っ越すことにした。今度はペット可の物件に。同居人の知人から子犬を引き取った。ワクチンや狂犬病の予防接種も終わり、いまは毎日お散歩にでかけている。
私たちも、あの日の老婦人と小型犬のように、この街とだれかを結ぶことができるだろうか?