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2F/当番ノート

徒歩主義者の誕生

当番ノート 第54期

「歩くことが好きです」とか「趣味は散歩です」とか、言ってしまう。でも言ってから、ちょっと違うなと思ってしまう。ほんとうに私は歩くことが好きで、趣味は散歩なのだろうか。そういう理由で歩いているのだろうか。なにか違うような気がする。

どうも私は、歩くことが「正しい」と思っているふしがある。

個人的な正しい・正しくないの感覚と、好き嫌いや趣味嗜好は、似ることもあるし私自身ごちゃごちゃにしてしまうことも多いけれど、正確には別のものである。私は歩くことが好きだけれど、「好き」と同じくらい、もしくはそれ以上に歩くことが「正しい」と思っているようなのだ。正しいと思っている、といっても誰もがそうすべきだと考えているのではなく、あくまで自分が歩きたいだけなのだが。

のっぴきならない執着心も、確実にある。

1日30分は必ず歩きたい。できれば電車やタクシーには乗りたくない。毎日スマートフォンで歩数を確認して、あまり歩かなかった日の夜には罪悪感を抱いたりする。逆にたくさん歩いた日には、なんらかの善を成し遂げたかのような満足感が得られる。

どうして「歩くこと」に正しさを覚え、執着するようになってしまったのか。これは趣味というより、主義である。徒歩主義。地元にいたころからそんな主義に染まっていたわけではない。

思い返してみると、それは上京して間もないある日から、はじまった。

私はなにかしらの事情でむしゃくしゃしていた。桜上水とか下高井戸とか、そこらへんに住んでいたころの話だ。

昼下がり、むしゃくしゃしていた私は、部屋に一人でいるのにうんざりして、財布と携帯電話だけ持ってアパートを出た。今までしたことがないことを、したかった。新宿まで歩くことを思いついた。

桜上水と下高井戸のあたりには甲州街道が東西に走っている。甲州街道は東京の日本橋と長野の下諏訪を大きく結ぶ街道である。甲州街道に並行して、京王線が走っている。まっすぐ東に歩いていけば新宿までつく。

ひたすらまっすぐ歩こう。シンプルなアイデアに満足した。なんの考えもなく、歩きはじめた。

まっすぐで、大きな道が好きだ。道に迷うのも好きだけど、迷う余地がなく、この先を歩いていけば必ずどこかにたどり着くという感覚も好きだ。生まれ育った場所が国道沿いだったこともあるかもしれない。夏になるとその国道ではねぶた祭りがおこなわれ、車の通行を止めて人々が跳ね回った。

明大前を経て、代田橋、笹塚、幡ヶ谷を通りすぎる。たくさんの車、たくさんの店や家、甲州街道の脇に伸びる商店街、そしてすれ違う人々。京王線沿いに住んでいると新宿には電車でよく行くけれど、こんなに多くの街を歩いたことはなかった。地方にいたころは、東京といえば華やかな場所というイメージだった。実際こうして歩いてみると、全部が全部きらびやかってわけでもない。さまざまな匂いがあり、生活があった。

歩き始めて1時間ほどたったあたりだろうか、足の感じがすこし不穏になってきた。痛くなりそうな気配がした。姿勢を楽にして、一定のリズムで歩くことだけを考えた。

「猫背、なおしなよ」

昔からいろんな人に言われた。自信がなさそうに見える、情けなく見えると。上京してから数か月、もともと弱々としていた自信は、いまや虫の息だった。なんだか怒りが湧いてきた。猫背なんて知ったことか。自信なんてどうでもいい。楽に歩こう。それだけを考えて足を前に進めよう。腹が決まると、むしゃくしゃしたものが、頭からすうっと抜け落ちていった。

だんだんクリアになっていく。歩くリズムを意識する。呼吸を意識する。身体の「型」を意識する。疲れないよう、痛くないように身体の動かし方を微調整する。からっぽになっていくみたいだった。何かがはっきりわかった気がした。これが歩くということか。もやが晴れるような気持ちだった。

徐々に道が、お祭りみたいににぎやかになってきた。新宿が近づいてきたのだ。地元にいたときはテレビ越しに見るだけだった新宿に、家から歩いてきてしまった。これはすごい。

新宿駅南口につくころには、家から2時間弱ほど歩いていた。桜上水駅から新宿駅まで、京王線なら13分で到着する。徒歩だとおよそ8倍の時間がかかる。

電車というのは不思議なもので、ホームから電車に乗り込み目的の駅に着いてホームへ降りる、そういった一連の流れを経ると、意識上でなにかが切り替わってしまう。ある街からある街へジャンプして、その間にあるはずの街たちがごっそり消え去ってしまうような感覚。店、家、人、匂い、生活たちが、ないもののようになってしまう。

私は東京という街の息遣いを、足で、全身で感じ取った気がした。いつもはこぼれ落ちてしまうものたちを、つかんだ気がした。

おそらくこのときが、私が徒歩主義者になった瞬間だったのだ。脳裏に「正しさ」が深く刻み込まれた。

そんなふうにして新宿にたどり着いた私だったが、足が痛くなってしまったので、泣く泣く京王線に乗って帰った。徒歩主義者も楽じゃない。

その後、町田に引っ越してからは駅から20分かけて家まで歩き、下落合に引っ越してからは隣駅の高田馬場から15分ほどかけて家まで歩いた。山手線を歩いて一周するという過激な徒歩行為にも出た。中目黒に引っ越してからは、道玄坂にある会社から家までほぼ毎日30分ほど歩いていた。

いまはリモートワーク中だから毎日歩く必要はないのに、愛犬の散歩だけでは飽きたらず、ひとりで散歩に出かけるための時間を探すことに余念がない。

徒歩主義者の道は果てしなく続く。この道もやがて、どこかに辿り着くのだろうか?

なおこの文章の何パーセントかは歩きながら書かれた。

佐伯享介

佐伯享介

青森県出身。SFと文学と犬と猫が好き。

Reviewed by
辺川 銀

休暇中の飛行機でしか感じ得ない高揚感がある。退勤列車の車窓からしか見えない景色がある。雨の日の車のオーディオからでないと聞こえない音楽がある。徒歩の歩幅でなければ素通りしてしまう出会いがある。

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