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2F/当番ノート

凪子#9 (終)

当番ノート 第56期

  9 凪子

 ナラザキくんにフラれたその日、わたしは、久しぶりに泣いた。学校の、女子トイレの個室で、声を出さないように気をつけながら、しくしくと泣いていた。わたしはこんなに悲しいのに、溢れ出る涙は暖かくて、それが余計に悲しかった。

         ◯

 どうして男の人と寝るのか、わたしにはよくわからない。でも、社長たちに抱かれている間は、少しだけれど寂しさを紛らわせることができた。わたしは寂しかった。どうしてかはわからない。どうしてか、いつも寂しかった。そういう寂しさは、男の人が消してくれた。みんなわたしに優しく接してくれたし、その優しさに甘えることに、わたしは何の抵抗もなかった。

「大丈夫だよ」

 みんな必ず、静かな声でそう呟く。もちろん、なんの根拠もないのだけれど、男の人の、野太く強い声でそう言われると、わたしはなんだか安心する。

 その一言が聞きたくて、わたしは、男の人と寝るのだ。

         ◯

 ナラザキくんのことが好きだった。心の底から。本当に好きだった。ナラザキくんは、他の男の人と違っている。「大丈夫だよ」なんて言わないし、「好きだよ」とか、「愛してる」とか、そういう言葉も使わない。でも、わたしの話を、つまらなくてくだらないわたしの話を、楽しそうに聞いてくれた。ただ笑って、わたしを受け入れてくれた。そんなナラザキくんが、たまらなく好きだった。

「なあ、俺たち、結婚しないか?」

 ナラザキくんに言われた時、わたしは、なんて言って返したらいいのかわからなかった。ナラザキくんと一生一緒に生きていけたら、どれだけ幸せだろうと思った。ナラザキくんとワンルームに住んでいるところを想像して、わたしはクスッと笑ってしまった。幸せすぎて、現実味がなかった。

「だめだよ」

 わたしはナラザキくんの目を見た。彼の目は、野山の湧き水みたいに透き通っていて、その目を見る度、わたしは緊張してしまう。

「ナラザキナギコになっちゃう」

 ナラザキナギコになる。そんな幸せを想像して、わたしはまた、クスッと笑った。

         ◯

 わたしは、社長たちと別れることにした。もう寂しさなんてどうでもよかった。この寂しさは、何かで誤魔化したところで、なくなることはないのだから。

 社長のラインに、「別れましょう」とだけ打った。それから、社長のアカウントをブロックして、削除した。意外とあっけないものだと思う。

 きっと、もう二度と、社長とは会わない。

         ◯

 わたしは幸せを守るのが下手だ。

 どれだけ大切にしていても、自分でそれを壊してしまう。

 わたしは幸せを守れない。

 わたしはダメダメだ。

         ◯

 自分の捨ててきた幸せについて考える。今まで、いろんな幸せを捨ててきた。まだ使えるものもたくさんあった。直せばいくらでも使えたのに、わたしはすぐに捨てた。

 わたしはきっと、これからも、いろんな幸せを見つけて、また意味もなくその幸せを捨ててしまうだろう。だからせめて、本当に大切な幸せだけは、何がなんでも守り抜こうと思う。本当に大切にしたい幸せ。そんなものをもし、また見つけることができたなら、全力で守ろうと思う。今のわたしには、幸せを守れるだけの強さがない。守り抜く自信もない。

 強くなりたい。

 そう切実に願いながら、わたしは今日も、家に帰った。

七瀬 薫

七瀬 薫

大学生。
小説家。

Reviewed by
マスブチ ミナコ

もし凪子の物語がもう一度始まるとしても、
凪子はまた色々な幸せを捨ててしまうかもしれない。
きっと「これで気づいたから全て変えよう」なんてできないのだろう、誰も。

どんなに悲しくても涙は暖かくて、
大好きでもその幸せが怖くて、
そんな自分に気づいた凪子は今日も家に帰る。
社長たちを捨てて、ほんとうに大切なものを見つけたれたら守りたいと思いながら。

凪子#9(終)の文字を見た時、いつもよりここに来ることをためらった。
あんなに会いたかった凪子に会うのはこれで最後だ。

今までの凪子に会いに来ることはいつだってできるけれど、
家路に着く凪子を見送って、わたしも家に帰ろうと思った。

いや、帰るんじゃないんだ。きっと凪子の次の物語のために
”わたしは凪子に捨てられた”。

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