フランス語でお茶はThé(テ).たった一音.簡潔で気持ちのいい響きだ.
紅茶ならThé noir(テ・ノワール)、緑茶はThé vert(テ・ヴェール)、白茶はThé blanc(テ・ブロン)、烏龍茶はThé oolong(テ・ウーロン)、とても簡単.
私のお茶好きは親しい友人なら誰もが知るところだ.今、キッチンで目に入るものだけでも30種類はあった.毎日ざんざん飲むので茶葉が古びる暇もない.
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紅茶と言えばイギリスが有名だが、私の一番好きな茶葉はフランスのDammann Frèresのものだ.Frères(フレール)は兄弟を意味するので、「ダマン兄弟」が立ち上げた店ということになる.ルイ14世によって国内の紅茶販売独占権を付与された組織が元となっており、19世紀にダマン兄弟が買い取ったところから現在の名前になった.
パリのヴォージュ広場本店では、天井まである棚に黒と深い赤の茶缶がびっしりと並んでおり、100種類近くある茶葉を前にするとどきどきする.お茶選びの基準として、紅茶、緑茶、白茶、烏龍など、どのタイプの茶葉かも大事だが、私にとっては名前も大切だ.
《Thé des poètes(詩人たちのお茶)》、《Nuit de Versailles(ヴェルサイユの夜)》、《Thé des songes(夢想のお茶)》…本を選ぶときと同じで、タイトルや装丁が気に入れば、中身もあまり外さないように思う.
春に合うのは、アーモンドの香りが甘やかな《Coquelicot Gourmand(グルマンな芥子)》.夏はジンジャー、青レモンとパッションフルーツが爽やかで華やかな《Tisane de la Reyne(女王のハーブティー)》.秋の気配には落ち着いたネパールのダージリン.冬の寒さにはシナモン、バニラ、林檎、アーモンドにジンジャーがブレンドされた《Noël à Londres(ロンドンのクリスマス)》…
少し珍しい緑茶ブレンドの一つに、スパイスと蜂蜜、そしてフルーツを合わせた《Thé de la Cathédrale de Strasbourg(ストラスブール大聖堂のお茶)》がある.
このブレンドは、ストラスブールが誇るゴシック建築の大聖堂の始まりから1000年を記念して作られたものだ.この教会には豊かな経済力と技術力によって生み出された美しい薔薇窓や高さ18mもある精密な天文時計があり、文豪ヴィクトール・ユーゴーも「巨大で繊細な驚異」と評したそうだ.
ブレンドされたシナモン、蜂蜜、オレンジなどは、どれもアルザス地方の冬のお菓子によく使われる材料で、私には馴染み深い香りだ.東京に暮らす今も、大聖堂ブレンドを飲むたびに楽しく誇らしい気持ちになる.
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パリのMariage Frères本店2階には、小さいながらも充実の紅茶博物館がある.狭くて急な階段を上った先には、貿易の書類、数量などが記された納品書、取引用の印鑑、茶葉のサンプル専用の鞄、ヨーロッパの陶磁器に加え日本を始めとしたアジアの茶器などが、所狭しと並んでおり、訪れる者はたちどころに紅茶の記憶を辿る旅に誘われる.
フランスの紅茶の歴史は17世紀より始まる.まずフランス国王アンリ4世がフランス東インド会社を設立.その後ルイ14世の重商主義の中で、フランス東インド会社は総合商社として活動を本格化させ、貴族社会にも紅茶文化が浸透していく.胃腸が弱かったルイ14世は、医者の勧めでお茶を飲んでいたそうだ.
18世紀には、エリートたちによる親密な社交場、サロン・ド・テが定期的に開催されるようになり、紅茶やコーヒー、ショコラショーなどの温かい飲み物が振舞われた.植民地であった西インド諸島からもたらされる砂糖も、華やかな菓子となってサロンに訪れる者達を楽しませた.
茶会は品性と趣味の良さの見せどころでもあり、貴族やブルジョワたちのティーカップやソーサー、ポットへの趣向は高まっていく.彼らは自分だけの特別な茶器を求めて、中国や日本に様々な陶磁器を発注している.
当時の図面や木型からは、器の形や図柄に始まり、持ち主のイニシャルの入れ方まで、注文主から細かい指示があったことが伺える.茶器は己の世界を演出する大事なアイテム、妥協は許されなかったのだろう.
その後、ヨーロッパの窯々が独自の硬質磁器の製造に成功し、茶器はさらに多くの人の手に渡っていく.
我が家にあるカップはどれもとても大事なものたちだ.いくらでも眺めていられる.
たとえば、北ドイツにある本店の工場で買ったマイセンの「青い双剣」.物静かな青みがかった白に、細い筆で2本の青い剣のロゴが描かれている.ヨーロッパ初の白色磁器を生み出した窯らしい、自信と誇りに裏打ちされたシンプルなカップだ.紅茶用よりも珈琲用のフォルムが気に入ったので、そちらを選んだ.チューリップのようなラインで、手のひらのくぼみにぴったりと馴染む.同じ形の「ブルーオニオン」は初めて金継ぎした食器だ.
あるいは、一緒に行った母が選んだ「ピンクの薔薇」.まるで絵画のようで、正面にオールドローズが一輪、脇にはぷっくりとした蕾、細く繊細な茎に丸い葉、刺は薄いピンクで描かれている.カップを真上から覗くとふんわり広がる花びらのような輪郭で、貴族的な美しさだ.
あるいはイタリアのカップ、ジノリ.白地に大輪のブルーの薔薇が咲き誇る「ローズブルー」は、日本や中国の染付けを思わせる、洋風で大胆かつオリエンタルな要素も持ったシリーズだ.マイセンの安定感に比べると、持ち手が華奢なので少し持ちにくいのだけれど、優美さに負けて使ってしまう.
同じジノリの「イタリアンフルーツ」は、友人とのお喋りが弾む陽気さだ.これはフィレンツェ近郊の町ドッチアで考案されたロココ様式のフォルムシリーズ.カップ下部分の丸みは、ふくふくした冬の雀のようだと思う.全面に散らされた青紫のプラムや、甘く炒めた玉葱のような色の石榴、ローズに菫色の小花たちが賑やかで、縁の金とブルーのラインが全体をまとめている.内側は素直な白さで、お茶の色が明るく綺麗に出る.
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けれども、どんなに高価なカップよりも大事にしているものがある.アルザスの画家Hansi(アンシ)のカップだ.それは普通のティーカップ2杯分は悠にある、たっぷりとした素朴なティーカップ.淡いピンクの線に縁取られており、ガチョウを枝で追う伝統衣装姿の女の子が描かれている.
アルザス地方は、その豊かさ故にフランスとドイツに取り合われてきた土地だ.アンシは1873年、フランスがドイツに負けた普仏戦争直後に生まれる.この時アルザスはドイツ占領下にあった.
アンシは地元を愛し、伝統衣装の子供達を沢山描いた.大体の場合、男の子は黒い帽子に黒いズボン、女の子は頭に赤か黒の巨大なリボン、白ブラウスに、チェックや縞模様など温かみのある柄のエプロンをつけている.石板を持って授業に向かう子、パンをこねる子、クグロフ(伝統菓子)をお盆に乗せていてこちらに見せている子、手を繋いで一列に並ぶ子達…多くの絵には、さりげなくフランス国旗が描きこまれており、ドイツからのアルザス解放、フランスへの返還を願う気持ちが表れている.
人生の2/3以上を共にしてきたティーカップだが、低めの温度で焼成されたものなので脆く、いよいようっすらとヒビが入ってきたように見える.それでも、このカップを使わない日はほぼないし、全く飽きがこない.
私は転勤族の娘だったし、大人になってからも引越しの多い人生だ.だからこそ、アンシのカップを手に取るたび、自分の故郷を確かめるような気持ち、自分を形作った文化を確かめるような気持ちになるのだ.いつどこで暮らしていても、アンシのカップで紅茶やチャイやスープを飲む時、私のアルザスがそこにある.