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3F/長期滞在者&more

部屋日記 2020年5月

長期滞在者

5月3日 
ゴールデンウィークの予定は真っ白だ。例年と同じく今年も神戸の実家に帰省する予定だったが、おとなしく家にいる。三密空間の極みである夜行バスで寝られない時間を過ごし、身体の痛みに耐えられなくなる一歩手前でサービスエリアに着き、一息ついてトイレで歯を磨いて、発車するまで5分ほど夜の風に当りながらベンチでボーっと過ごすこともできない。朝にバスターミナルに着くと、身体痛いし、中途半端に最後の最後でほんの少し眠れたことが逆に堪えて、身体に血が行き渡らない状態のままパソコンと衣服を詰めたそこそこの重さのリュックを背負わないといけない。こうしたつらい思いをしてまでわざわざ夜行バスに乗るのは、(お金のためももちろんあるが)朝に梅田駅前にある喫茶店YCコーヒーでモーニングを食べるためだ。禁煙とは無縁の空間で、バターを乗せた食パンと塩をかけたゆで卵とコーヒーを楽しむ。いつも初めの数口はブラックで、残り半分になったところでミルクと砂糖入れて味わう。店内の新聞を棚に戻すのを忘れて席に置きっぱなしにしていたら、「兄ちゃん、これもろてええ?」と腰の曲がったおっちゃんが声掛けてくる。夜の間に東から西へ移動したことをこの喫茶店で噛み締める。こんな朝の贅沢なひと時を今年は味わえなかった。

5月6日
ゴールデンウィークが終わった。家の前の鶴見川でテント張ったり、サイクリングをしたり、三密とは無縁な形で多少アウトドアチックなことはしたが、大半は家で過ごす。スーパーに買い出しに行くことが楽しいと思えるようになった。にんにくの芽、エンサイなどこれまでの人生で一度も料理したことない野菜にも手を伸ばしてみる。美味しい。野菜は本当に美味しい。醤油とみりんとオイスターソースの万能性に驚愕。いまは足し算で料理を作ってるが、いつか引き算で料理を作っていきたい。

5月9日
昨年末に引っ越してから家の目の前の川沿いを3日に1回は走ってきたが、さらにペースがあがっている。1ヵ月100キロは優に超えているはずだが、記録をつけてないので定かではない。この日、何気なくフェイスブックを見ていたら、予備校時代から付き合いのある友人が「月間の走行距離200キロを突破した!」と投稿していた。私が一度も欠席せず生真面目に予備校に通い続け、果てはストレスからか上手く笑えなくなって他人と話すのもツラい状況になって昼休みにトイレの個室で過ごすなんてことをしていた頃、東大に落ちたら愛媛で漁師を継がないといけないのに授業に出ずマンガ喫茶に籠っていた友人。大学の夏休みを使って私がベトナムとカンボジアを放浪していた間に、たまたま井の頭線沿いの同じ駅に住んでいたからと私の当時の彼女を口説いていた友人。なぜかまったく憎めない。運動するようなキャラではなかったが、毎月200キロも走っているとは。走行距離で負けたくない。俄然走る理屈がついた。面と向かったコミュニケーションを取る機会が極端に減る中、こうしたSNSで近況を知ることが刺激に繋がる。

5月10日
世間では様々なベネフィットが企画されている中、私も2つ参加した。1つは学生時代にバングラデシュの国際援助機関の視察でお世話になったNPO。コロナの影響で、フィリピンで物乞をして生活している人達が路上でお金を集められなくなっており、こうしたストリートチルドレン達への支援金。もう一つはライブハウス支援を兼ねたForwardのCDの購入。新大久保にあるライブハウスEarthdomへの支援。新宿南口のAntiknockと同様に、入る際に最も緊張するライブハウス。いつもライブが終わり、23時頃に新大久保から新宿駅まで歩いていくと、途中の大久保公園前で立ちんぼの女性たちがガードパイプにもたれてスマホをいじっている。昨年の11月から12月にかけては、その公園から少し奥に進んだ大久保病院の通り沿いでタイ人女性の集団が立ちんぼをしていた。その後は一切見なくなったから短期間の出稼ぎだったのか。または一斉摘発か。

5月12日
穏やかな日々が続く。通勤や移動のストレスもなく、疲れもあまり出ない。ガラガラポンな状況なのは大企業でも中小企業でも同じで、0から1のアイデアが求められているため、私としてはコロナ前よりもワクワクした思いで仕事を進められている。昼飯を買いに行くついでにブックオフで本を買う。コルタサルの短編集など。三密を避ける形で午後に同居人と自転車で出かける。と、とある海沿いの工場地帯にエッジの効いた通りを見つける。ただ、大阪のそれとは異なり、郷愁を感じる雰囲気ではない。大阪の路地とどう違うかはうまく言葉で説明できないが、感覚的な違いか。

5月14日
無性にセルビア、ボスニア、クロアチアに行きたくなる。行けばいいやん。それだけだ。学生時代にあれほど無計画に無鉄砲に海外を飛び回れたのも、気分が高ぶってるときに「えい、ままよ」と強引に航空チケット買っていたからだ。冷静な心持ちなときは、やれ試験が~、就活が~、バイトが~、サークル~がなど日本に留まる理由ばかり考えてしまっていた。その時の反省を踏まえても、気分が高ぶっているときに航空券を買ってしまうことにつきる。あとはどうにかなる。とはいえ、現実問題、次に海外へ旅立つことができるのはいつになることやら。コロナのおかげで、”行ける時に旅しておけ”という教訓が再び身に染みる。

5月17日
NetflixやAmazonプライムで映画を見ることもあったが、途中で画質が悪くなったり突如画面にクルクルマークが出て止まってしまうことがあったので、TSUTAYAディスカスを利用してDVDを借りる。探していた作品も家にいながら簡単にレンタルできる。奮発してメーカーズマークを買ったので、夜に同居人が寝てから氷と水で割ってグラスを傾けながら映画を見る。最も楽しみにしていたのは、メロドラマの巨匠ダグラスサークの作品。見ながら、自分の中にわずかにある乙女心を感じてしまう。美人とは少し異なるタイプの女優が主人公なのもリアリティがあってよい。ダグラスサーク作品を見ていると、小学生の頃、休日の昼に母親が家でよく見ていた刑事コロンボを思い出す。当時と同じく字幕でなく吹替でまたもう一度見てみたい。

5月18日
去年の7月に書いた記事にも登場する、インドネシアのMarjinalのドキュメンタリー映画がベネフィットとして配信されることになったことを知る。必ず見なければ。Marjinalもインドネシアの様々な施設にマスクを配るなど活動してるよう。日本に向けて日本語verを加えた”Luka Kita”もYouTubeにアップされていた。タリンバビにまた行けるのはいつになるか。

5月19日
いつも通り部屋で仕事をしていたら、夕方、久しぶりの友人から連絡が来る。急遽、コロナの影響でテレワークしてる人のインタビューを撮りたいからと某テレビ局でお昼のワイドショーのディレクターをしている友人がこれから我が家に来て収録することに。せめて一つの角度からは部屋がきれいに映るようにと、机の周りの雑多なものをカメラに映らないであろうスペースに急いで移動させる。せっかくやったら放送の時に視聴者から何かTwitterで呟かれるような経験をしてみたいなと思い、加川良さんのポスター(遺作となった『みらい』の発売時のもの)を目立つように部屋に貼る。

その後、駅の近くのイトーヨーカドーまでディレクターを迎えに行き、部屋に戻る。部屋に着くなり、直ぐにハンディカムで「早速部屋に入るシーンから撮っていい?」と聞くので、その前に企画の意図を整理する。すると、単にテレワークの際の感想を撮るのでなく、番組としてはテレワークのマイナス面に焦点を当てた構成にしたいから、そうしたコメントをどこかに盛り込んで欲しいとのこと。私自身、コロナ以前から海外の顧客との打ち合わせ時にはZoomやSkypeをよく使っており、特に今の環境に不満が無い状態だったので、「不満に思うことか、、、あんま無いわ、、」と友人に伝える。結局取材趣旨に合わないという結論になり、部屋でボブディランを聴きながらレモンサワーを飲み交わした。彼曰く、テレワークにおけるハラスメントの問題についてインタビューを取ってこいとチーフに言われてるけど、実際そうした事例は周りにほとんどない。そんな中、上層部の判断でハラスメントがある前提で番組構成が先に決まり、ディレクター以下社員は必死に素材集めに汗を流し苦労しているとのこと。21世紀にもなってこんな有様、、、どうにかならんのかね、、、。

5月22日
突如冷え込む日々が数日間続いた。外に出られない中、以前よりも天気が生活に影響を与えることは少ないはずだが、窓から見える景色がどんよりした日々が続くと、中にいても少し堪える。じめっとした日ではあったが、下着が在庫切れになりそうだったので仕方なく洗濯をする。と、近所のお家のベランダにも洗濯物が干してある。「こんな天気やけどお互い無事に乾けばええねー」と謎の共同体意識を持つ。夜に締め切りを4日ほど過ぎてしまったアパートメントの原稿(この記事)を仕上げる。この週末は岡山県「内田百閒文学賞」に応募する作品を書く予定。来週頭にも緊急事態宣言が解除されるよう。

キタムラ レオナ

キタムラ レオナ

1988年兵庫生まれ

Reviewed by
小峰 隆寛

レオナさんの世の中との距離感が心地良い。50年後のネット記事「緊急事態宣言が出された当初の、都市部に住んでいる人の生の声」で、この日記は一つのサンプルになるべきだ。そこには抑制があり、想いがあり、リアルがあり、憂いがあるが、それでもと生きている男がいる。

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