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3F/長期滞在者&more

「世界がどれだけ崩れても、音楽で生まれる微笑みを信じて」【SOPHIA「Kissing blue memories」(1995年10月2日リリース)】

長期滞在者

1997年8月30日。
インディーズ時代から大好きなバンドが初めて日本武道館でワンマンライブを行った。
ずっと日本武道館の実現を応援して、彼らの夢が現実になったその夜は胸がいっぱいだった。

同時に、自分がまだ果たせていない私の夢を必ず叶えようと思ったその帰り道、まだ持ち始めたばかりの携帯電話が鳴った。電話から伝わってくる声はこう告げた。「大阪に来ませんか?」と。

2022年3月27日。
ネモフィラの青い花が我が家のベランダに咲いているときは、必ず幸せなことが起こる。

最近の私の心は、すっかり光を失っていた。
ロシアのウクライナへの軍事行動によるあまりにも悲しくて残酷なニュースに、長年難民支援をしていく中で様々な過酷な現実を目にして、おそらく人よりも耐えられる心があった私でも、毎日信じられないことが起きる現在に引き裂かれるような気持ちでい続けている。

同時に。
自分の生活でも、容赦のない青天の霹靂に見舞われた。
悔しくて、残念で、一人、部屋の中で声を上げて泣いた。

朝起きたときに、身体が全く動かない。
顔の表情としては、笑っているのだけど、心が全く笑っていない。
ただただ毎日疲れ切っては眠るだけ。
ここ最近はそんな1ヶ月を過ごしていた。

ちょうど昨日。
「それ以上やったら、あなたの身体がもたないですよ」と言ってくれた仕事仲間に、
「誰も助けてくれないことは、もう十分わかっているから、やるしかないんですよ」と言ったあとに、無意識の涙が出そうになって、「あ、これはやばいな」と思った。心が完全に追い込まれている、と。

そんな今朝ももちろん起き上がれなくて。
ネモフィラの花が昨日よりも咲いていることに、少し力をもらって、ベッドから無理矢理のように起きて、ベランダに出た。

2年前からネモフィラを育てていて、今年も冬に蒔いた種からたくさんの青い花がこの春を彩り始めた。
わずかな光の中で輝くその姿が愛しくて、尊敬している写真家から譲っていただいた、毎日持ち歩いている、FUJIFILM XF10のカメラのシャッターを切った。

いつものように仕事に行って、回らなくなってきた頭と重たい身体のまま働いて。
仕事を終えたときに、iPhoneの電源を入れて、ニュースをチェックした瞬間に、
「ええ!!」と思わず大きな声を出してしまった。

活動休止中のSOPHIAが、2022年10月11日に、日本武道館で復活ライブを行うことを発表した。

その理由として、こんな言葉が届けられた。
「今現在も日本はおろか世界中を不安と恐怖に陥れ、被害を出し続けているcovid-19の影響があります。
そして、ロシアによるウクライナ侵攻ももちろん、大きなきっかけとなりました。
(中略)
未来に希望を見い出せない雰囲気に覆われている。
しかし、この今だからこそ、アーティストとして、表現者として、SOPHIAは立ち上がるべきではないか?
自分たちの作品やLIVE活動が、疲弊した人々の心のVitaminや治療薬になり得るのではないか?」

まさに自分の心は、これらの理由で、疲れ切っていた。どうすれば良い未来に進めるか。そのことを考えない日はない。けれども、どんどん悪化していく事態にダメージを受けていたことは事実だ。

SOPHIA復活のニュースはあっという間に、Yahoo!リアルタイム検索でも1位になった。
SOPHIAの復活が嬉しいという人たちが、この世界には、こんなにもたくさんいた。
みんな待っていた。

その事実に興奮しながら、SOPHIAの曲を聴いた。
インディーズ時代からライブを観てきた私が、ライブの度に盛りがっていた「Kissing blue memories」を聴いた時に、今までライブでの「楽しい!」という記憶しかなかったこの曲に、初めて大粒の涙をこぼした。

「終わらない約束を」

2013年8月12日に日本武道館でのライブをもって活動休止したSOPHIA。
ヴォーカルの松岡充は「前に進んでたらまた絶対会えるよ」と約束していた。

崩れ落ちていく日々の中で、必ず良い未来は来ると食らいつくように前に進みながら生きてきたが、それでも私は、どこかであきらめていた。
こんな世界で、本当に、その日は来るのだろうかと。
SOPHIAの音楽が聴きたいと願いながらも、あきらめることで、自分の心を傷つけないようにしてた。

私の人生で、大好きなあなたにもう二度と会えないことが、あまりにも寂しかったから。
あきらめることで、心を守ろうとしていた。

2022年10月11日に日本武道館に帰ってくる。
約束が現実になる日が明確に提示された。

復活のニュースを見てから、数時間が経つ今も、まだこの手の震えが止まらない。
落下していくだけの私の世界に、光が射した。

2022年は、私がラジオDJとして、大阪のFM802でデビューしてから25年となる。
SOPHIAが初めて日本武道館でワンマンライブを行った、1997年8月30日の夜。ちょうど、その年のFM802のDJオーディションの最終選考を受けて、結果を待っていたときに、その後、私のデビュー番組の担当ディレクターとなる人からの「大阪に来ませんか?」の電話が、私の夢を実現へと導き、1997年10月8日、私は大阪のラジオ局、FM802でラジオDJとしてデビューし、現在に至る。

あの頃の私は、ラジオDJになりたいという夢に必死だった。とはいえ、どうやったらラジオDJになれるのか全くわからない中、くじけそうな心を支えてくれていたのが、SOPHIAの音楽だった。「Eternal Flmae」、「Belive」、「MY SELF」、「もしも君が迷ったなら」といった曲がどれだけ私の味方だったか。ラジオDJになってからも、理想とは違う現実に泣きながら、何度も「ALIVE」を聴いて乗り越えたことも、私の人生の大切な記憶だ。そして、バンドとしてどんどん上昇していく彼らに刺激を受けて、私も絶対負けたくないと、その背中を追い続けたことが、私の力となっていた。

SOPHIAと同じ時代に生きていたから、私は自分の夢を叶えることができた。

私の人生にとってかけがえのないバンドが、2022年に帰ってくる。
あの日、日本武道館のライブを見た帰り道、私の未来は大きく花開いた。
25年後となる、2022年10月11日に、SOPHIAの日本武道館のライブを観た私にどんな未来が待っているのか。

あなたとの再会と未来への始まりを、何よりも心の灯火として。
あなたが放つ光と、その音楽に直接触れられる、約束の日を楽しみに待っている。

【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ×1〜14秒”に乗せて)
活動休止から9年。世界はcovid-19、戦争と先の見えない不安にあっという間に包まれてしまいました。
そんな暗闇を一瞬で希望に変える嬉しいニュース、10月に日本武道館でライブを行うことを発表したSOPHIA。世界がどれだけ崩れても、音楽で生まれる微笑みを信じて。

SOPHIA「Kissing blue memories」

武村貴世子

武村貴世子

ラジオDJ、MC、ライター。
これまで、FM802、Fm yokohama、FM-FUJIなどで番組を担当。

ラジオ番組、司会、ライター、トーク&アナウンス講師はもちろん、
朗読と音楽のコラボレーションライブも展開中。

国連UNHCR協会 国連難民サポーターとして、
難民支援を始め、世界や社会への関心が深く、社会貢献活動にも積極的に取り組む。

また、タロット・リーディングの学びも深め、
フリーランスでその活動の幅を広げ続けている。

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