光について2

第14期(2014年4月-5月)

今回は前回に引き続き、私の作品について書きたいと思う。
私の光のシリーズは前回書いたように祖父の記憶からスタートした。
現在私は祖父以外の写真でも同じように光を透す作品をつくっている。
そこに祖父の時とは共通するところや、また違う意味を込められると感じているからだ。

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この作品は友人から頂いた写真がもとになっている。昔の結婚写真だ。よくみると男性は軍刀を持ち、軍服を着ているので出征前の姿だと思う。友人もまた別の方から貰ったものなので、ここに写っている人の名前やどういう方なのか、今も生きているのか分らない。ただ、この作品のもとになった写真の裏に写真館の住所と思われる「京城市明治町」という印があり、日本に併合されていた時代韓国のソウルで撮られたものであることだけは分かる。この明治町、検索すると今はソウルの原宿のような場所だった。私は韓国に行ったことがないので分らないけど、有名な場所みたいだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B4%9E

戦争が終わったのが1945年。仮にこの写真が終戦の1年前の1944年に撮られたと仮定すればこの写真は70年前に撮られたことになる。70年前という数字はとても大きく自分の感覚の枠外のように感じた。自分の手が届かないような感覚になる数字だ。どうにか自分の感覚でこの数字を捉えたいと考えた時、自身の生きてきた時間を基準にシンメトリーで考えみることにした。私はいま32歳。生まれたのが1981年だ。1981年の32年前は1949年、1944年から5年しか違っていない。自分の生きて来た時間ならその長さが分る。あの結婚写真が撮られて、自分の年齢+5年で自分が生まれたと年に行き着いたと考えることで、やっと自分なりにその時間の長さを分ったような気がした。そう考えると意外に近い年月だと感じつつ、それ以上に自分が生まれる前の32年間+5年の日本の「変化」と「成長」は凄まじいものだったのだと感じた。その間に日本は戦争で多くの人が亡くなり、原爆が落ち、敗戦を迎えて、朝鮮戦争の特需を経験し、公道成長してオリンピックを開いたと思うと、自分の生きて来た時代の日本の時間がとても薄いように感じる。

話を戻す。この結婚写真の二人はどうなったのかと考える。彼は生きて戦争から帰ってくることが出来たのだろうか?しかし戦争が終わった時に帰る場所は違う国になっていた。おそらく韓国に留まったとは考えられないので日本のどこかに住んでいたのか。いや、そもそも韓国が日本に併合されていた時代だから、この二人は韓国人の夫婦で日本式の式を挙げたのではないか。。想像することはいくらでも出来るが、結局何が事実かは分らない。私が分るのは、「かつて二人の人がそこに存在してた」ただそれだけだ。

この写真に光を透すことにしたのはそうしたことを考えた時だった。
かれらの存在を示す情報はもうこの写真以外にない。しかし、かれらは確実にかつてそこにいた。
祖父の写真のように私の縁者ではない。しかし上記のような時間を考えた時に祖父と同じ時代を共有していたことや、自分の年齢から70年という時間を考えることで、その時間は自分の気持ちの届くものだし、届かせたいと感じるようになった。

祖父の作品と同様に人に光を透すことで空白をつくり、写真の「記録」の一部をそぎ落とし、かわりに自分自身を投影する場所を設定した。それは観光地にある‪顔ハメ看板‬に似ている。時間や自身との関係を越えて自分自身を投影できる「空白」として光を設定することで、観る人それぞれの存在に繋がるものにできたらと思った。

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現在この作品をパリのギャラリーで展示してもらっているが、こうした作品をフランスで発表することが改めて面白く感じる。私はギャラリーにいくのによくコンコルド広場を通っている。ルイ16世とマリーアントワネットを処刑したこの広場にはエジプトから手に入れたオベリクスがそそり立っている。革命の流血や帝国主義を経て、コンコルドという名前がこの広場に与えられた。日本語訳は「和合」だ。全ては過去から繋がっている。私がここにいるのは会ったこともない、みたことのない人の存在が幾重にも重なった上での奇跡だ。だから過去を後ろ向きではなく前を向くために対峙したい。