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多様性があっての調和

メニハ ミエヌトモ

シュトレンを作る季節がやってきた。

我が家はキリスト教ではないけれど、クリスマスを待ちわびて1日一切れのシュトレンを食べる、という行為が大好きだ。

娘が通っていた幼稚園がたまたまカトリックの幼稚園だったのだけれど、その時にクリスマスがどれほどキリスト教にとって大切な行事なのかを垣間見る事が出来た。

12月に入ると毎日家でもお祈りをして下さい、とキャンドルとお祈りの言葉が渡され、(残念ながら我が家では3日も続かなかったけれど)幼稚園では学芸会の代わりに聖劇の練習が始まり、それと同時に各家庭で小さな募金活動が始まる。(子供が良い行いをしたりお手伝いをしたら、少額のお金を手作りの貯金箱へ入れて貯める。それをクリスマスの日に寄付するのだそうだ)

嬉しいのだけどどこか静寂さがあって、とにかく祈る。その日をとても待ちわび、大切にしている事が伝わったし、今まで捉えていた「クリスマス」という行事の印象が覆された3年間だった。

で、キリスト教にとってのクリスマスをもっと知りたくなった私は、一度だけイヴの日に近くの教会に娘と行った事がある。

そこで行われていたのは、ひたすら祈り、賛美歌を歌う人たちの姿で、ヨーロッパの音楽文化が発展した理由が腑に落ちた瞬間でもあった。

クリスマスをどう捉えるかは人それぞれだと思うけれど、娘の幼稚園をきっかけに考え方が少し変わったのは事実で、私の中のクリスマスは改めて家族に感謝する日にしよう、そう思っている。

さて、この時期作るシュトレンは勿論天然酵母で仕込む。

発酵の良さは日が経つにつれて味わい深くなること!う~んワクワクする!!!

閑話休題。

前回、腸内環境が整ってきたら気持ちまで前向きになってきた、という事を書いたのだが、私はそれがたまたまそうなったのか、それとも何か原因があるのか、それとも気のせいなのか、とても知りたくなった。

何故ご機嫌な日が増えたのか。

勿論日々色んな事があるし、この頃はまだ娘が小さくて手がかかる事もあり、小さな小言や小さなため息がよく出ていた頃なので、ご機嫌な日、という表現が正しいのかは分からない。

ただ、明らかに気持ちが軽くなったのは事実で「ま、いっか」と思える回数が増えた。

よく分からないけれど気持ちがすこぶる元気で、調べる気持ちも満々な私は「腸」とつくタイトルの本を読み漁ったのだけれど、すると驚くべき事に、腸内細菌の種類によっては性格に影響を及ぼす可能性が高く、そしてストレスを軽減するものがある事、そして腸内の炎症と鬱は関係がある、という言う内容を目にしたとき、読みながら興奮の渦に巻き込まれるような気分になった。

一言で言えば「やっぱり!!!」なのだが、それと同時に果たして人間は本当に自分だけの意志で生きているのだろうか?という疑問が湧く。

ストレスを軽減する菌があるのなら勿論その反対もあるはずだ。

不安に敏感になる菌も存在し、もしかしたら不安症の人や、物事をネガティブに捉える傾向のある人はその菌の割合が多いという事なのか?(勿論それだけではないと思うが、ただ、ストレスがかかると腸内細菌の種類が変わる、という研究発表もある)

もしそうだとしたら、自分自身がご機嫌でいるためにはストレスを軽減してくれる腸内細菌自体がご機嫌でいてくれるようにしなければならない、という事なのか。(因みに、ストレスを軽減してくれるような腸内細菌をご機嫌にするには食物繊維を与えることだそうです。野菜や豆を食べようって事ですね)

まてよ、そもそも「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」ってあるけれど、何で悪玉菌の存在はあるのだ?どんなに頑張ったとしても悪玉菌の存在は無くならないわけで、それは一体人間にとって何かメリットがあるの?

疑問は尽きない。

話は反れますが、腸内細菌は指紋と同じで一人一人違うらしく、同じ腸内細菌を持つ人は誰一人いないそう。

そして面白い事に腸内細菌は国によってもパターンがあるのだそうです。

まずは日本人、という大まかなパターンの腸内環境があって、後は個々に違う腸内細菌がある。(因みに日本、フランス、スウェーデンの腸内細菌パターンが似ているそうです)

これ、面白くないですか?

で、ここからはあくまで私の勝手な考えなので、物語のように読み流してほしいのですが、私はこの腸内細菌の種類や数が多い人ほど穏やかで、協調性が高いのでは、と思っています。

ある時腸内細菌の本を読んでいた時の事。

腸内細菌の世界は混沌とした世界なのだと思った事があります。

だけど、その視野をもっと拡大した時それは不思議だけど「調和」というものに変わる。

逆説的のようですが、菌の種類が多いほど調和がとれる。

それは自然界も一緒で、沢山の生き物がいて、多様性があるからこそ調和が保たれる。

人間社会だってそうだ。

多様性があるからこそ発展するし、何だかんだとバランスが保たれる。

で、そんな「多様性」のある腸内細菌がバランスを上手く取り合っていたのなら、その宿主である人間はやはりバランスがよく、かつ穏やかな性格になる事が多いのではないかと私は思うのです。

その中に日本人(特に昔の日本人)は当てはまるのではないかと私は思う。

何故なら、昔の日本の食卓は今よりももっと発酵食品だらけで、食物繊維が豊富な食生活を送っていたと思えるから。

野菜や魚を保存する手段はほとんどが発酵によるものだったし、調味料も発酵を止めていないものでいっぱい。

世界には色んな発酵食品があるけれど、日本ほど発酵三昧な国は無いのではないだろうかと思うし、それと同時に日本人独特の「協調性」の強い性格は、実は腸内環境も一役買ってのではないかと私は密かに思っている。

勿論それだけではないとは思うが、でも無関係ではないと思う。(昔の日本の年貢事情は個人に課せられたものではなく、「村」で課せられた、というので、協調性のない人物は村八分になり生き辛さがあったという歴史があります。周りを気にする、協調性が必要とされる、という生き方を長くしてきたようなので、その影響は何より大きいとも思うのですが)

腸内細菌どころか、寄生虫までお腹に飼って(?)いる人がほとんどだったらしいし。

今はお腹に虫がいる日本人はほぼいないと思うけれど、それと同時に花粉症の人が増え、驚いた事にこの花粉症と寄生虫の関係は非常に関係が深い事が分かってきている。

何だかなーと思う。

衛生的になって良くなった事って本当に沢山あると思うのだ。

でも人間の体は寄生虫に対応できるようなシステムになっていて、その寄生虫がいなくなったため、花粉に反応するようになったそうなのだ。

そして残念な事に、今の日本人の腸内細菌の数(種類)は減っているそうな。

それと同時進行するかのごとく、日本人の人との関わり方が変わってきたのではないか、と心のどこかで思っている自分がいる。

昔に比べて(腸内細菌の)多様性が失われつつある、という事だと思うのだが、これは食生活が大きく関係してきているようだ。

まず、「本物の」発酵食品を摂る機会が減った事。

残念ながら、スーパーで売られている調味料は発酵を止めてからしか売る事が出来ないし、(直接蔵元から買う商品は、素晴らしく美味しい上に発酵を止めていないものもある)そもそも調味料も漬物も「〇〇風」がほとんどで、実際は発酵しているものではない。

あとは添加物の問題。

食べ物を長く保つ科学的な技術は、私達の暮らしを豊かにしてくれたけれど、失うものも、そしてリスクも多い様に思う。残念だけど。

因みに今、人間の死体が腐りにくくなっているらしく、それは食品に使われている添加物の「防腐剤」が原因だと言われています。

抗生物質の問題も。

抗生物質のお陰で人間の寿命が延びたことは事実。

だけど頼りすぎて使いすぎて腸内細菌までもがいなくなってしまったのなら、本来の健康は残念ながら遠ざかる。

一度いなくなってしまった菌は、もう戻ってくることはない。
(抗生物質を使う時は、くれぐれも乳酸菌も一緒に摂るべし!)

因みに間接的に抗生物質を私達は食べている場合が多く、それは家畜たちに使っている抗生物質。

実は家畜たちは薬漬けの場合がほとんどで、その肉を人間が食べる。

で、実際に抗生物質が必要な病気になった時に、抗生物質が効かなくなる可能性があると、今は問題視され始めてきているのだが
(実際、ヨーロッパの方ではかなり家畜に対する投薬基準が厳しくなっている。残念ながら日本はまだまだ。頑張れ~日本!)
だけどそれを阻止しようと今、家畜達が薬をあまり使わずに乳酸菌の力で家畜を元気に育てよう、という研究が大学でもされ始めてきているし、こだわった生産者は発酵の力で育てようと頑張っている所もある。

ここ数年、腸内細菌の研究が進んできて色んな事が分かってきて認知もされるようになってきた。

だからどうか、日本人が日本人であるために、そして自分自身がベストな自分でいるために、発酵食品を食べようと思うし食べてほしい、と切に思う。

因みに、発酵食品を摂ったら何が起こるかというと、自分の持っている腸内細菌のパワーが増幅する。

例えば発酵食品を食べ続けたからと言って、その菌が腸内に住み着くわけではない。

だけど元々持っている自分の腸内細菌が発酵食品のお陰で元気になり、元々自分の中にいる菌の良さを引き出してくれるのだが、それはきっと、同時に自分自身のよさをも引き出してくれるのではないかと私は思うのだ。

因みに、乳酸菌を摂取する際に菌は生きていようが死んでいようが実はあまり関係がなく、そもそも胃酸で大抵の菌は死んでしまうし、納豆菌のように胃酸でも生き延びる菌でも、今度は腸内の環境で死んでしまう。

でもその死は無駄ではないし、それでも良いのだ。

その亡骸はもれなく善玉菌のエサとなり、善玉菌は元気になる。そうすればおのずと日和見菌は善玉菌に加担する。

ただ、自分の体に合う発酵食品、合わない発酵食品もあると思うので、その辺りは自分の体と対話しながらですが。

今回はこの辺りで。

すっかり話が飛びましたが、次回は善玉菌と悪玉菌と日和見菌について書こうと思います。

これらの菌って、人間関係に共通する部分があるなあと私は勝手に思っていて面白いのよね~。

カヲリグサ

カヲリグサ

目には見えないけれど、確実に存在するもの。
その中の1つに発酵があります。
発酵を通して見えてきた、私なりの解釈と世界観です。

Reviewed by
はしもと さゆり

都会の暮らしで発酵食と聞くと、強さ引き出す乳酸菌だとか、納豆がスーパーから売り切れただとか、こう健康のためによい何がしかだという認識がぼんやりある。

他方、田んぼや畑が身近にある地方に滞在していると、夏や冬、収穫期ごとに野菜をどっさりお裾分け頂くことがあって、保存食、つまりニアリーイコール発酵食の必然性に驚き、知識や加工技術のなさに慌てたりする。

人間の体にいい発酵、食べ物を腐敗から守る発酵。カヲリグサさんの言うような、菌に活かされる、菌と共にある暮らしは合理的かつ当たり前に存在するのかもしれない。

ますます深みを増して行く、混沌とした腸内細菌の世界。時をためる発酵やお腹の中の見えない菌、祈りを込めながら食べるクリスマスのシュトーレンは、どれも似ている気がしてる。

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