When Where Who
The Period, The Place, The Person
あの時期あの場所あの人 【第八回:2013コペンハーゲン 】
2013年コペンーハーゲンのあの人はみんなの居場所に
なっていた。
東京のせわしない時間とビルが立ち並ぶ中にあった会社で
一日は何時間だったかと問うくらい、働いていた頃。
沢山の大変と沢山の楽しいを共有したあの人は
コペンハーゲンに2年間赴任することになり、いつか
いってみたいと思っていた北欧に、訪問旅をすることが
できた。
降り立った空港は穏やかな木の床、すっきりとしたデザインの
カートはポール・クリスチャンセン、生地のチェアーは
ハンス・J・ウェグナー。そこからもう心は踊り始めた。
迎えに来てくれていたあの人はタクシーに乗ると、世界の言語の
中でも習得するのが難しいといわれているデンマーク語で行き先を
伝えていた。才女ぶりは健在。これくらいしか言えないよ、と
笑っていたが、伝え方がとても自然で、ああ、暮らしている、
と深く思った。夜のコペンハーゲン中心地は日本から行くと
暗く見えたが、あの場所で過ごしてから、東京に帰った時、
全てがまぶしくて眼が慣れるのに数日かかった。
レンガ造りの建物と木枠の窓枠、建物が調和しながら立ち並んで
いて、大きな建物が多いが、空が広く、明るくても暗くても、
眼に優しい景色。あの人の住む建物も、古いが中はレノベーション
されていて白い壁のすてきな部屋。キッチンからは中庭が望め、
同じ建物に住む子供達が小さな自転車を押しながら遊んで
いるのを見ながら皿洗い。その部屋に2週間年越しまで、
お世話になった。
家具、街並、市場、博物館、カフェ、スーパー、スモブロー、
デパート、ホットドッグ。誘惑溢れるコペンハーゲンのシティライフ。
その場所にいる魅力的な人たち。ピアニスト、コーディネータ、
研究者、バイオリニスト、料理人、国家公務員。肩書きだけ書いて
しまうとあの奥行きが伝わらないので残念だ。クリスマスには
キャンドルが沢山家の中に灯り、大晦日までは花火が至る所で
打ち上がる。クリスマスにあの人の家に集まった人達は
海外に住む日本人。小さな頃からその中にいた私が今回は
日本にいる日本人。不思議な感覚だった。15年後、誰も知らない
母校に帰ったような、懐かしいけど、もうそこに属していない感覚。
ただ、そこには建物ではなく人がいて、コミュニケーションという
繋がりの道具がある。あの人がいたから、すぐに繋がれた。
コーヒー、ワイン、飲み物片手にテーブルやソファーに程よく分かれて
戸惑う事も無く座る。少し遅れて来たピアニストの髪の長い
女性は、笑顔になる前から笑顔のきらめきをもっていて、
一瞬で空気を華やかにした。フィルムカメラを持っていたので、
ファインダー越しその人をのぞいたら、絵画のようだった。
それぞれの空気感を色濃く持った人達があの人の周りで
安心感を持ちながら集う。あの人は安全圏を作る名人だと思った。
大晦日にご招待いただいたあの人の友人宅。金と銀の細いカールした
テープや大きなキャンディー型の中に紙の冠が入った
クリスマスクラッカーが上品に大きなディナーテーブルに
コーディネイトされ、手作りのおせち料理を頂く。奥には暖炉、
明かりは間接照明、テーブルにはもちろんキャンドルと、和と洋が
素敵に調和されたしつらい。海外に多くの日本の陶器が輸出され
重宝されていた時代もこのように、バランス良く取入れられて
いたのかもしれないと、見た事無い時代の幻像が少し見えた
気がした。デンマークの博物館や王宮にも多く古き時代に海を
渡った伊万里焼が数多く収蔵されている。
それぞれ違う分野を進む人達の接点にはあの人がいた。繋がる為には
あの人が不可欠。出会った人達からいつも聞く言葉。それは東京でも
コペンハーゲンでも、同じだったようだ。
戻る場所は人によっても作り出せ、そして人が自然と繋がる為には
そこにも人が必要になること。その人がいる事によって場所だけでない
安全圏が生まれるということを知れたのは、2013年コペンハーゲンに
あの人がいたから。