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2F/当番ノート

旅をするように

当番ノート 第24期

eyecatch

旅をするように生きたい。
いつからか、そう思うようになった。

19歳で石垣島から東京に出てきた僕は、大学卒業後、就職しないで、ふらふらと気の向くままに生きてきた。夢もない、金もない、女の子にもモテない、というとだいぶパッとしない生活だが、様々な人の縁に恵まれたおかげで、楽しく、ほがらかに日々を送ることができた。そして、気がつけば、いつの間にか28歳になっていた。

「なんで自分はここにいるんだろう?」という感覚に時折、ふと襲われることがある。
そういうとき、現実感は急に失われ、ふわふわと浮遊したような気分になる。
でも、僕はたしかにここにいて、そのことに疑いはないし、これまでの人生に反省すべき点はあっても、後悔はない。
僕はなるべくして、今の僕になったし、あるべくして今、目の前の現実がある。
この曖昧な世界を漂うように生きる中で、そのことだけは、深く納得している。

「アパートメント」は、管理人の悠平さんと面識があったこともあり、以前からなんとなく気になっていた。
様々なバックグラウンドを持つ人たちが入居して、各々の部屋で、自由に自己表現しているのを「なんだかおもしろそうだなあ」と遠目に見つつも、自分には縁のない場所だと思っていた。それが今回、絵本作家をしながら妖怪を目指している友人の加藤さんの推薦で、二ヶ月間、住人として入居させてもらえることになった。

「自分はなんでこんなにふらふらしてしまうんだろう?」

「自分はなぜこんなにも変わらないんだろう?」

そんな問いを胸の奥にずっと抱えてきた。まだまだ先は長いが、せっかくいいタイミングで連載の話をいただいたので、この機に28年間の人生の棚卸しをしてみようと思う。
いろんな場所で、いろんな人たちと出会ってきた、その積み重ねが今の僕を形作っている。それらをゆっくり振り返りながら、自分なりに意味づけてみたい。

先が想像できてしまうのは、いつだってつまらない。いつ、どこで、誰と出会って、何が起きるのか、そのときになってみるまでわからない。そんな、旅をするようなわくわくした心持ちで、この連載を続けていきたい。文章を書くことを通して、自分自身と向き合いながら、すでに出会っている人たち、そして、まだ見ぬ誰かと、新たな関係を紡いでいければと思う。

最後に。今回、自分のことをどうやって伝えていこうかと考えたときに、僕を取り巻く人たちとの関係性を見せていくのがいいかもしれないと思った。語る存在としての自分と、語られる存在としての自分。その両輪があった方が、僕という人間の輪郭がよく伝わる気がした。
そこで、年齢も、立場も異なる友人たちにお願いして、毎回、一人ずつ僕について自由に語ってもらうことにした。

第一回は、今回の連載のきっかけをくれた加藤さん。
加藤さんとは、早稲田の学生時代に、僕が声をかけて、大学の近くのとある雑居ビルで2年間シェアハウスをしていたことがある。年はひと回り違うが、今でも、何かあったり、なかったりに関わらず、定期的に連絡を取り合う仲だ。僕は勝手にソウルメイトと呼んで慕っている(笑)
不器用で、やさしくて、まっすぐな加藤さん。妖怪になれるかはわからないけど、夢に向かってひたむきに進んでいくその姿は、僕に生きる力と勇気を与えてくれる。僕はそんな加藤さんをずっと応援し続けていきたい。
加藤さんについては、アパートメントの過去記事に詳しいので、ぜひ読んでみてください。

https://apartment-home.net/author/katoshii/

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「喜屋武はポストモダンだ!」

「いや、あいつは自然そのものなんだよ」

僕が昔住んでいた、早稲田にある九龍城みたいな怪しいビルに、夜な夜な若者が10人近く集まって、喜屋武悠生とは何者なのか朝まで語りあった。
若者達は皆、知性ある論客だった。
そして社会には考えなければならない様々な問題が渦巻いていた。
しかし彼等は毎晩、喜屋武について、ひたすら知恵を使って考え続けた。
社会問題よりも、喜屋武問題が気になったのである。
喜屋武は就職するべきか。
喜屋武の恋愛は倫理的に正しいか。
喜屋武について考えることで、彼等は自分自身の問題を再発見することができた。
喜屋武問題を語ることは、彼等にとって喜びであり、貴重な青春の時間を使う価値があったのだろう。

そして時がすぎ、あのビルが取り壊された今も、僕は喜屋武君のことを考えている。
彼について考えることが、世界の謎を解く鍵になると信じて。

妖怪
加藤志異

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喜屋武 悠生

喜屋武 悠生

1987年8月15日生まれ。沖縄県石垣島出身。2浪1留を経て早稲田大学文化構想学部を卒業。3年のひまんちゅ生活後、28歳ではじめての就職。求人広告の代理店で約2年間の営業マン生活を送る。現在は、墨田区の長屋でシェア生活をしながら、友人と2人で立ち上げたソーシャルバーPORTOを経営してます。

Reviewed by
大見謝 将伍

“どこで、誰と出会って、何が起きるのか、始まってみるまでわからない。予定通り、想像通りにいくことはほとんどないし、そんな予定調和な旅はつまらない。” ー 旅と文章は、似ている。

まだ見ぬ景色、そこにしかいない人に出会うため、電車にゆられ、空に近づき、ときに、荒々しい砂利道の振動に心をドギマギさせながら、人は「旅」をする。どちらかと言えば、動的だ。

対照的かもしれないが、同じ机に向って、同じ紙、同じ画面を、繰り返し繰り返し眺めては、言葉を掬い、つなぎ、文章として形にしていく。こちらは、静的。

やっていることは、字面からしても違うのだけど、それらの行為が本来求めているものは、同じことかもしれない。どこかにある社会的で理性のある自分の眼から離れ、一個人としての本能的な自分を見つけ、ふかく真摯に向きあうこと。

白紙の上で旅をする、そして、そんな生き方をかたちにしようとする、石垣島から来た彼は一体なにものなのか。語る存在としての自分と、語られる存在としての自分。主客の視点で、ぼくらは彼についてなにを知れるのか。そして、ぼくらは、彼について考えることで、自分についてのなにを知りうるのか。

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