歩いていると、こぽこぽと、頭に言葉がわいてくる。
歩きながら書くのは危ないし、かといって、それら全てを書き留めようと何度も立ち止まるのは途方も無い。なんとなく勿体無いな、という気持ちはあるのだけれど、目的地の方を優先させてしまって、言葉を後へ後へと流してしまう。
そうして、歩き終えたら、跡形もない。
どうなんだろう、この夏に。
いつも「わかりやすさ」とか「伝わるかどうか」とか、余白の中にそういうものを背負い込んだ文章を書いているせいか、白線をはみ出さないような文章にまで縮こまってしまったような気がする。
「わかりやすさ」とか「受け取り手からの見え方」を考える時、頭の中には鏡があって、私がひょいっと置いた文章を、反対側から見たらどうなのか、鏡越しで反復横跳びを繰り返している。すり合わせて、ちょうどいいを見つける。そうするうちに何が「わからない」の下限が異様に低くなって、あれもあれもと付け加えているうちに一周まわって、わかりにくいに漂着していたり。
それはそれで大事で、あとは不本意に誰かを傷つけないだとか、守ることをまず考えて、書きたいことはいつも流れに身を任せているうちに味が薄まってしまった。食べやすい、残りにくい、のどごしの良い文字たち。
積もり積もって、思い余って「書きたい!」と言ったら、お部屋を貸していただけた。幸運にも、このアパートメントで2ヶ月間を過ごします。
何の意義も志さずに、クスリにも毒にも薬にもならないようなことを書きます。
それは月の無い夜、てくてくと帰りながら奏でる口笛のように、無意識に零れる独り言のように、ただ響くこと、それだけが意味。
ここで書けることが決まった時「フィクションとノンフィクションの間のようなものが書きたい」と思った。自分でもよくわからないものを、わからないままにしておける勇気というか、ある種、諦めにも似た何かが持てたらいいな、なんて思う。
月有る夜に空を仰いで、虚構の夜には口笛を。
これからこうして書いていくことは、時に日記で、たまに私的な詩としての何か、よちよち歩きの短歌や本物の独り言かもしれなくて、
そうして、それ以外は、フィクションです。