インドの朝は、特別だ。
私がはじめてインドを訪れたのは2008年の冬、大学3年生のときのことだった。デリー、アーグラー、バナーラスをまわる一週間のツアー。
多くの旅行者と同じように、「インド臭い」「神聖な」ヒンドゥーの聖地、学問の都でもあるバナーラスに魅了され、いや、きっと他の旅行者たちよりも少しばかり魅了されすぎて、バナーラスについて卒論を書いてしまったほどだ(1)。
バナーラスには二泊したんだ、確か。
列車で到着した日の翌朝早く、毛布で全身を覆ったお使いの男性が部屋に私を呼びに来た。外は真っ暗。
行先はもちろん、ガンジス川。ボートに乗って日の出を見るためだ。
ダウンジャケットを着て外に出た。まだ真っ暗だというのに、川に向かう道も川沿いも、人びとの話し声、寺院から聞こえてくる鐘の音、動物の鳴き声で賑わっていた。
ボートに乗る。暗くて、寒い。一人で、全く知らない場所で。目の前には年老いた船乗り。不安。でもやっとここに来られたという喜びと、これから何が起こるのだろうという期待でいっぱいだった。
あたりが白み始める。寒さが少し和らぐ。
対岸のほうから日が昇り始めた。太陽の力をあれほど感じたことは、後にも先にもなかったかもしれない。
朝靄のなか、太陽のまるい姿がすっかり見えた。光が川面に反映する。この世のものとは思えない美しさであった。
「ガート」とよばれる階段状になっている川辺では、沐浴をする人、祈りを捧げる人、歯磨きや洗濯をする人・・。こんな美しい世界が、彼らにとっては日常なのか。羨ましいのを通り越して恨めしく思ったほどだった。
バナーラスではなかったけれど、2014年から私はそんなインドを日常とする権利を手に入れた。
留学をはじめて2年間は、朝の川の風景は調査対象となり、博論を執筆していた3年間は朝に川に行くようなこともほとんどなくなってしまって、5年以上住んだけれど、2008年1月のあのバナーラスの朝を超える瞬間は味わえなかった。
でもインド音楽をはじめてからは、また違った、素敵な朝を迎えることができるようになった。
早朝4時から練習すると良い。多くの人がいう。
今の師につく前、SPIC MACAYという協会が主催する音楽の「合宿」に参加したことが3度ある。SPIC MACAYはその正式名称「Society for the Promotion of Indian Classical Music And Culture Amongst Youth」が示しているように、インドの古典音楽や文化を保全し後代に継承していくために若者たちのあいだに広めていこうという信念をもって1977年に設立されたNGOである。小学校から大学まで、インド各地の学校にアーティストを連れていき学生たちにトップレベルの音楽を聴かせるのが主な活動で、全国規模では年に一度、州レベルでも年に一度、子ども・若者を集めて「合宿」を行っている。
合宿の朝は「ナーダ・ヨーガ」にはじまる。午前4時からである。「ナーダ」とは何か、というテーマで本が一冊書けてしまうくらいなので、ここではひとまず、「音のヨーガ」と訳しておこう。
私が参加したナーダ・ヨーガを指揮されていたのは、ワーシフッディーン・ダーガル先生。
次の動画はワーシフッディーン先生のコンサートのもの。もちろん、私たち学生とやってくださったナーダ・ヨーガは違うのだけれど、イメージとしてはこんな感じ。だまされたと思って、ぜひ観てみてほしい。
歌が始まる前から鳴り続けているのは、弦楽器「ターンプーラー」の音。歌っている先生の後ろで、背の高い楽器を奏でている女性が二人いるのがわかると思う。これがターンプーラーで、基音を鳴らし続けて歌のサポートをする。
ターンプーラーは、深い倍音を響かせながら、演奏の最初から最後まで変わらず、静かだけれどしっかりと、滔々と流れる大河のように存在する楽器、だと思う。
ターンプーラーの音に支えられながら、先生が発したまさにその音を、先生がしたのと同じやり方で、私たちが繰り返す。まずは長い「Sa」の音からはじめる。(インド音楽の音階についてもいずれ説明できるのかな・・ここではとりあえずSaは「ド」だと解釈してもらおう。)
Saからゆっくりゆっくり、低い音へと下がっていく。Saからどれだけ下がればよいのか、頼りになるのはターンプーラーの音だけ。
こうやって音を探し、音を念想する過程は「スワル・サードナー」ともいわれる。スワルは音、サードナーは修練。
サードナーをする人のことを「サーダク(修行者)」ともいうけれど、音楽をやる私たちはまさに、至高の音を探し求める修行者なのだ。
日が昇る前の「ナーダ・ヨーガ」は、震えるくらいに気持ちが良い。
目を閉じて、音のことだけを考える。自分が空っぽになっていき、音だけが大きな存在として世界を包み込む。
日の出前の時間帯は「ブラフマ・ムフールタ」とよばれる。音楽の練習だけでなく、瞑想や、勉強にも適しているとされる。
ムフールタとは一日の30分の1の時間、つまり48分間。
厳密にいうと日の出の1時間36分前からはじまる48分間がブラフマ・ムフールタである。
創造の神ブラフマーの名を冠する、一日のなかで最も神聖な48分間。
・・ただ正直なところ、午前4時から発声をはじめるのは、私にとっては現実的ではない。
SPIC MACAYの合宿から帰ってきたあと1か月くらい続けてみたけれど、日常生活に支障が出てやめた。極端な朝型でも夜型でもない私には合わないんだなあ。今の先生にそう伝えると、先生自身も早朝練習は合わないと言っていた。
でも、早朝に歌う快感は一度味わってしまうと忘れられないもの。ブラフマ・ムフールタではないが、日の出の30分前を目安に、ナーダ・ヨーガを開始するようにしている。
ムフールタのことを調べようと思って読み返した定方晟さんの『インド宇宙誌』(春秋社、1985年)。
108~111頁から抜粋して以下に引用させていただき、今回のお話を終わりとする。インド音楽は一日の時間の流れと密接に関連しているから、これからの話にきっと関係してくるはず。
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太陽は時間の作り手である。太陽が(というよりはむしろ太陽の馬車の長いほうの車軸の先端が?)プシュカラ洲の中央ライン、すなわちマーナソーッタラ山脈のうえを、一周の三十分の一だけ移動するとき、一ムフールタの時間が経過する。一周が一日を意味する以上、一ムフールタが一日(二十四時間)の三十分の一、すなわちわれわれの四十八分に相当することはすぐわかる。
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夜はウシャーと呼ばれ、昼はヴィウシュタと呼ばれ、両者の中間(朝と夕)はサンディヤーと呼ばれる。荘厳なるサンディヤーの訪れるとき、マンデーハと名づけられる魔神(ラークシャサ、すなわち羅刹)たちが太陽を食おうとし――というのは、かれらは呪いによって昼がくるたびに死ぬことになっているから、日の出を阻もうとするのだが――、これに抗う太陽とのあいだに毎日死闘がくりかえされる。このとき敬虔なバラモンたちが密語オンカラ(=オーム)で浄めた聖なる水をふりまき、魔神たちを退治させる。そこで千の光線をそなえた太陽が雲に覆われることもなく輝きいでる。オンカラは至高のヴィシュヌ神である。太陽そのものが実はヴィシュヌ神の重要な一顕現である。このような理由で朝のサンディヤーの大切な儀式(ウパーサナ)は遅れることなく執行されねばならず、これに違反するものは太陽を殺す罪を犯すことになる。
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昼および夜はそれぞれ五部分に分けられる。太陽の半分が地平線上に現れたときを始まりとして、三ムフールタ(われわれの二時間二十四分)を経過しおえるまでの時間が朝(プラータル)である。次の三ムフールタが午前(サンガヴァ)である。次の三ムフールタが昼時(マディヤ・アフナ)である。次の三ムフールタが午後(アパラ・アフナ)である。次の三ムフールタが夕(サーヤ・アフナ)である。以上が昼の五区分である。しかし、実をいうと、このことがいえるのは春分のときと、秋分のときだけである。
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オリッサ州のコーナーラクにある太陽寺院。訪問したときは修復中だったけれど。
正面に写っているのは、太陽神スーリヤが乗る馬車の、大きな車輪である。
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(1)「バナーラス」とはムスリム統治時代の頃からの呼び名で、現在でも最もよく使われていると感じるため私はそう呼ぶが、イギリス統治時代の英語読み「ベナレス」という名前でも知られる。バックパッカーのあいだで人気(?)の「バラナシ」という言い方は「ヴァーラーナスィー」のことだろう。ヴァルナー川の古名がヴァラーナスィー川で、その川辺に発展した都として派生語の「ヴァーラーナスィー」が街の名前とされた。現在は、街の北側を流れるヴァルナー川と南側のアッスィー川に挟まれた土地という意味だと理解されている。ヴァーラーナスィーという名前は古いが現在の公的な正式名称でもある。「カーシー(光り輝く街)」という名称は王国名として叙事詩『マハーバーラタ』にも登場している。バナーラスについて、日本語では宮本久義先生が多く書かれている。名称については例えば『ヒンドゥー聖地 施策の旅』(山川出版社、2003年)の150~151頁を参照のこと。