2か月間続いた「当番ノート」を通して私は、公の場ではじめて、インド音楽に関する自身の体験や視点、考え方を言葉で表現した。
この音楽を習い始めて日が浅い私にとって、それは大きな挑戦であった。知ったかぶりで音楽について語ることは、師匠やそのまた師匠たちにも、真剣に音楽をやっている人たちにも、音楽そのものに対しても、無礼に当たると思ったから。
それでも、今の自分に書けることを文章にしてみようと決心したのは、インド留学から本帰国したばかりのいま、インドでの出来事を整理しつつ、今後音楽の勉強を進めていくうえでの出発点にしたいと考えたからである。
私は、大雑把に言うとヒンドゥー教というインドの宗教の歴史の研究をしている。宗教と音楽は密接に関係していて、音楽をやることは私の宗教研究に利益があり、逆に宗教研究が音楽をする上でためになることがあるのは実感している。
それだけでなく、インドの歴史を音楽という視点から眺めると、ヒンドゥーの宗教史という側面からでは見えにくいことが浮き彫りになってきたり、あるいは、似たような傾向や背景が確認できたりすると思え、これから音楽をじっくり勉強することへの期待が高まった。
この場を提供してくれた方々、支えてくださったレビュアーの方、そして読者の方々に深く感謝したい。
アパートメントという場の性質と、私が勝手に想定した読者層を意識してか、ここでの記述はどこか「神話的」とでもいうべきか、私のインド音楽に対する信仰心みたいなものに基づいた記述が多かったように思う。
感覚的に、あるものと別のものをつなげたり、「歴史的」背景は全く無視してきた。
これまでの記事はすべて、完全に私の主観によって書かれたものである。
今後も、当事者として音楽を学び続けていくつもりであるが、他方で、インド音楽とその歴史を客観的に勉強することも、始めていこうとしている。最後の記事となる今回では、少しだけそのことについて、書いてみたいと思う。
前回、私の先生が属する流派である「グワーリヤル・ガラーナー」について、音楽が師から弟子へと、そのまた弟子へと伝え続けられていくことについて記述した。
いってみれば、インド音楽を学ぶことで過去と対話し、時を超えることができるのである。
しかしながらこの伝統の継承は、時代的な制約に縛られながら、それぞれの時代の影響を受けながら、行われてきた。
音楽は、時代に応じて変わっていくものである。そのなかでも不変であり続けられるのが、第7回で書いた「マールガ」の音楽という、誰もが近づけるものではない、俗世とは一線を画したところにある音楽なのではないか。時の制約をうけず、まるで無重力空間に存在しているように、いつまでもそのままのかたちであり続けるもの。
しかし、変化するということは、良くないことなのだろうか。
変わらないものに固執しすぎるのは良くない、と、あまり保守的な人間でない私などは思う。
不変で絶対的な真理を探し求める姿勢と、真理と思われるものが変わっていく過程こそに面白みを見出そうとする姿勢。前者は神話・宗教・信仰にかかわり、後者は歴史を扱うこと―人文社会科学といってもよい―と親和性がある。
インド音楽に向き合うとき、私は両方を持ち合わせていたいと思う。
次の引用は、前回の註でも紹介した田森雅一さんの『近代インドにおける古典音楽の社会的世界とその変容―“音楽すること”の人類学的研究』(三元社、2015年)の結論からの一節である。
インド音楽の概説書において、ラーガ音楽の起源は古代のサーマ・ヴェーダの朗唱・歌詠や古代のサンスクリット古典籍に記述された「ヒンドゥー音楽」に求められることが少なくない。しかしながら、今日のヒンドゥスターニー音楽[引用者註:北インド古典音楽]におけるラーガの実践と演奏スタイルは、デリー諸王朝期におけるイスラーム音楽との融合に始まり、ムガル帝国に宮廷音楽として発展を遂げ、英領インド帝国支配下の地方宮廷において多様化し、“ガラーナーの音楽”として完成をみたものであることは疑いようがない。今日、ヒンドゥスターニー音楽に関与する音楽家のアイデンティティ構築は、常に“ガラーナーの語り”とともにあるが、その行為遂行的な発話はインドのイスラーム支配および英国支配の歴史と密接な関係を有していると考えられる(434~435頁)。
インド音楽の歴史を学ぶことは、インド音楽の神聖さを破壊し、冒涜することを意味しない。
歴史をすっとばして『サーマ・ヴェーダ』との連続性を強調したり、「元来の純粋なヒンドゥー音楽」への回帰を志向したりする方がむしろ、先人たちへの敬意を欠く行為だと思う。
これは、音楽をやりながら、インド音楽の歴史を勉強していきたいと願う私の、宣誓でもある。
どちらにかんしても、成果がいつどのようなかたちで現れるかわからないが、納得のいくものを引っさげて、また皆さまにお目にかかれる日を楽しみにしている。