2010年、留学のために訪れてから何度もロンドンに行っているのだけれど、もうここ数年は行くことができていない。このことが残念でならない。最後に行ったのは3年ほど前になるだろうか、まとまった休みが取れたのでしばらく過ごしてみることにした。
少しの間行ってきます、という話を知り合いの編集者としていたら、ああ、じゃあついでにイギリスのネタで雑誌のコラムを書いてくださいよ、ということになってしまって、遊びの旅行のはずが半分仕事の旅行になった。航空会社は悪名高きロシアの某社を選んで(トランジットでもいいからロシアに行ってみたかったので)、空港でわくわくしながら待っていると「すみません、飛びません」と言われ、結局いまはもうなくなってしまったオーストリアの飛行機に乗ってウィーン経由でロンドンに向かった。
ライフスタイルにカテゴライズされる雑誌の編集者をしていたときに、定期的に海外の情報をリサーチしていたので少しずつ変化していくロンドンのことはなんとなく知っていたのだけれど、訪れるたびにびっくりする。ジューススタンドがだんだん増えている。アールズコート駅の近くを拠点にして、ネタを探すためにチェルシーやいろいろな場所に行って、疲れたら公園でメモを書き、ゴロゴロし、本を読み、また街を歩くということをしていたら、ほんとうにみんなスムージーを飲んでいる。以前訪れたときよりも、スーパーマーケットはナチュラル化しており、気付けば私も毎日のようにスムージーを飲んでいた。
ほかにも「オーガニック」をうちだしたコスメショップが増えていて、改めてヘルシズム・ムーヴメントというか、そういった健康志向・意識の高まりを実感した。ヘルスコンシャスでない私としても、もうこの波には逆らえないと思った。
ライターの速水健朗が2013年に書いた『フード左翼とフード右翼』はこのことを理解するための必読書であるし、年々日本でも食について考えるための書物を見る機会が増えた。ルイーズ・グレイ『生き物を殺して食べる』、檜垣立哉『食べることの哲学』、ラジ・パテル『肥満と飢餓』などなど。編集部にいた当時、「本当かよ(笑)」と冗談めいて言っていた「完全食品ソイレントによる食の未来」もリアルなトピックとなり「食べることについて考えること」はとても身近なテーマになった。日本でもコンビニの棚にはスムージーが並び、みな健康のために何を食べるかの話をしている。
100年 近い歴史をもつ外資企業、バイタミックスのジューサーはセレブリティのブログに限らずちらほらと登場するようになり、CEOのジョディ・バーグと会う機会があってその話をしていると、やっと日本でも根付いてきたという喜び方をしていた(日本での展開は2009年から)。ヘルスコンシャスやその周辺にあるさまざまなテーマはこれからも話題になり続けるだろうし、拡大していくことは想像に難くない。
けれど、その際に語るべきは「『私』はこの選択をした」でいいと思う。「私は好きだから」でいい。あなたはどうか? なぜしないのか? すべきだ、ではだめなのだ。選択するのはあくまで当人の意思で、他者に強いてはいけない。対立が起きるし、分断にもつながってしまう。そしてこの健康や食にまつわるテーマの先には「医療」も存在する。そのことについても想像力をめぐらせる必要があるだろう。
さて、これからコンビニでスムージーを買って、昼にはたぶんピザを食べるだろう。でも、それでいいのだ。なぜならば、それは誰にも介入される筋合いのない、私の「選択」なのだから。