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2F/当番ノート

Beautiful World

当番ノート 第53期

ある作家さんが突然この世を去った。熱心な読者のひとりである私も当然、受け入れることができなかった。その亡くなった方には多くのコメントが寄せられ、「言いたいことが言えないままだった」「会おうとしていたけど、また別の機会でと思っていたら……」など、後悔の言葉がマグマのように吹き出していた。作家さんと近しい人はみな、こういったコメントを繰り返し書いている。つまり、後悔しているのだ。

それを見ていて、ある決意をした。私は相手にどれだけ嫌われてもいいから、相手のことを慮ったがために、大切な機会を逃すことを絶対に避けようと思ったのだ。失礼「かも」しれない、ずうずうしい「かも」しれない、相手が忙しくて迷惑をかける「かも」しれない。いやいや、何を言っているのだろうか。「かも」ではない。それは自分本位の考え方で、つまるところ、どう考えようが答えの出ないことだ。答えを出すのは、私たちではない、彼らなのだから。

失礼と捉えられたら真摯に謝ればいい、ずうずうしいと言われたら「性格なんです」と笑ってしまえばいい。如何なることをしても許してもらえなければ、その程度の関係なのであって、つまりは「合わない」ってことになる。人生は短いんだから、そんな人に気を使って付き合い続ける義理はなんて、日本のどこを探しても見つかりやしない。

けれど、それでも許してくれる人とはずっと付き合っていきたいと切に思う。おそらく彼らもきっと、「しておけばよかった」を言わない人たちだからだ。改めて思う。「機会を失うこと」は、おしなべて恐ろしいことであり、とてつもなく悲しいことだ。そして、人生の長さは自分では選べない。そのことが、ものすごく恐ろしい。

人生は本当に短い。短いんだから、自分のやりたいことを精一杯やればいい。そうして得られるものが、「後悔をしない」こと、なのではないでしょうか。

岡本尚之

岡本尚之

1989年、広島県福山市生まれ。編集者。趣味がない。

Reviewed by
多村 ちょび

相手を気遣っていつかくる機会を伺うということは、言い換えれば、明日が続いていることを、疑うことなく信じているということだ。

私たちは日常生活の中で、岡本さんがこれまで書かれていたような、老いや死の切片に気づいてきたはずだ。でも、何度繰り返しても、いつの間にかまるで無かったことのように、その記憶の蓋を閉めてしまっている気がする。あるいは、気づかないふりをしているのかもしれない。

相手の時間は相手のものであると同時に、自分との時間にもなりうる。そのことについて、もう一度立ち止まって、対峙してみてもいいのかもしれない。手遅れになってしまう前に。

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