入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

長期滞在者

夜、橋の下で暗い水面の写真を撮っていた。
ほとんど真っ暗で、橋の外れにある遠い人工照明が青く弱く水面に漏れるだけ。
かなり長時間シャッターを開けなければ写らないような暗さで、揺らめくかすかな青い光が面白く、つい30分以上そこにかがみ込んでカメラのファインダーを覗いていたのだった。
30分間微光の下にいて、ふと気がつくと、青いと思っていた光からいつしか色が消えている。
白い光が水面に揺らいでいた。
不思議に思って顔を上げ、光源の照明灯に目をやると、青の色が戻ってきた。
白いと感じてから撮ったデジタルカメラの画像も、やはりちゃんと青い。

青い微光をあまりに長時間見つめていたため、視神経に補正がかかったのだろう。脳が青色を消してしまったのだと考えた。
明順応・暗順応というのがあるから、きっと色順応というのもあるのだ。

橋の下で色順応のかかってしまった僕の目が見つめる水面の光は無彩色である。
だが色温度固定で撮っていたカメラのセンサーは、そんな順応に左右されることなく青色を青色に写し続ける。
僕の目が見た白い光と、カメラが写した青い光、さてどっちが「本当の色」だったでしょうか?

そんな質問に答えはないのである。
どんなに色の定義を厳密に規定したところで、結局は受容する脳の側の都合でどのようにも振れてしまう。
万人が同じ色を見ているわけではないのだ。
(ちなみに、僕の場合、右目と左目でさえ見える色が少し違う。相対的に左目は少し青く、右目は赤く偏っている)

そんなことを考えると、「色」を確定するための条件なんて限りなくあやふやなものなのだと気づく。
フィルムカメラで撮っていると「色」は感材の特性とラボの技術に左右されたが、デジタルカメラの時代になって、色温度設定を自由に換えられるようになった。
自由に色を変えられる、という言い方は乱暴な気がするが、控えめに言い換えれば、写真フィルムの色特性の縛りから抜けることができる、という意味でもある。

デジタル化によって色を自在に操れる自由を得た。
その代わり、「だから色って何なんだ?」という問いを背負わされた、ということも自覚が必要だと思う。

橋の下で色が失せてしまった経験が面白く忘れがたく、あれから何度か同じ橋の下で川岸にしゃがみこんでみたのだが、意識すれば意識するほど脳に変なバイアスがかかるのか、なかなか再現してくれない。
まぁ「これから騙してやる」と言われて素直に騙されるというのも、なかなかに難しい。
脳は騙されやすいものだけれど、けっこう警戒心も強いようである。

ap1706a2

[展示のお知らせ]

グループ展 JFK 客頁糸彖之展~自作のフレーム飾ってます~ → click here

2017年6月15日(木)~6月25日(日) 10日間
アイアイエーギャラリー
東京都中央区日本橋小伝馬町17-5 7(セブン)ビル

火-金 12:00-20:00、
土 12:00-19:00
日 12:00-17:00
月曜休

出展者 : 新垣 裕子、諫山 道雄、和泉 浩之、稲葉 和久、上田 健次、 大沼 秀璽、加藤 由佳、カマウチ ヒデキ、菊池 俊輔、 北田 竹美、狐塚 英雄、木野 正好、坂田 成司、櫻木 綾子、 砂田 陽一、竹内 直人、ちま、富樫 一公、那須 潔、楢林 洋介、 成田 貴亨、林 朋彦、針本 陽一朗、平野 珍十郎、蛭田 英紀、 藤原 敦、柳川 千秋、吉崎 英二郎、吉澤 美季、松田 和弘、 松成 絵理子、村川 哲也 Kanako Endo、Mitsue Kobayashi

自作の額で写真を展示する企画ですが、僕は自作ではなく、額ではないあるものを使って写真を展示しています。
お近くの方ぜひに。

そしてもう一つ。

カマウチヒデキ + Sophie 写真展 『9×9』

2017年7月12日(水)〜16日(日)
バーディー・フォトギャラリー(神戸・元町)
神戸市中央区元町通1丁目11-7 千成堂ビル4F
Tel / 090-3654-2304

水-金 15:00-20:00
土日12:00-17:00
月・火定休

元町の怪人・Sophieとの 9 to 9 対決写真展です。
勝山信子、兒嶌秀憲との連続二人展より1年半。久々の真剣勝負にわくわくしてます。

ap1706c

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

記事を読み、色に関して、自分でも理解していないことがいくつか思い浮かびあれこれと検索してみたのだが、それぞれどれひとつとして確証たる内容にたどり着くことができない。

五感の中で、視覚は70〜80%強の割合を占めているといわれているそうである。

記事によってそのパーセンテージは異なり、その記事そのものも、「〜らしい」とか、「〜だそうだ」
というような、確証まではしていなさそうな表現で書かれているので、わたしもこのようにしか書けなかった。

そして今度は、色角、というものが視覚の中でどのくらいの情報を占めているのか、と調べると、だいたい
80%ほど、だという。(だがこれも確証のないネットで拾った数値で、どのくらい信憑性があるのかわからない)

ひとまず、80%だとして、本文を読んで、そのあやふやさを自身も体感した人なら、じゃあ、いま感じているこの視覚情報って何なのさ?

いわば「(仮)」みたいなものなの・・・?

みたいな、そんな疑問はわいてきませんでしょうか。

我々は皆、同じ目玉で世界を見ることができないので、赤とされている赤が、果たしてどのくらい同じ色なのか、知る由はない。色相、彩度、明度、なんかを使って、なんとなく共通の物差しで認識しているような気になったりすることはあるけれど、それらをどの程度誤差なく感じ取れているかはわからない。
それなのに、「素敵な色」とか「好きな色」とか、口々に、根拠があるわけでなく、でも「大勢の人が特別に好む色」があったりする。名画の特定の色だとか宝石の色だとか。だから、つい、忘れてしまうのかもしれない。

ちょっとしたことで、その色とやらを感じ違えたりもするものなのに。(本文参照)

最近、個人的に色に関して驚いたニュースといえば、200年ぶりの大発見で、最近「YInMn(インミン)ブルー」という新しい青色が発見されたとか。
しかし、かたや、色の概念のない民族がいる(ピダハン語には色の概念がないかもしれない)とか。(これは少し前のネット記事だったけど最近知った)

そんなあやふやな「色」なのに、実際、世界は色で溢れているように思えるし、色がいきなり増えたりするし、そんな中でも色なんてお構いなく生きているかもしれない種族の人類がいる(かもしれない)。

そんな世界に生きながら、Photoshopなんかのソフトやちょっとしたカメラアプリまで、私たちは当たり前のように写真の上で色を操るようなことをしているけれど。
この「かもしれない」だらけの「(仮)」の何かを、写真をするわたしたちは、ほんのちょっとの数値(レベル)の違いを、ああでもないこうでもないと言ってみたりしている、けれど見落としてはいまいか?と、人が無意識に立っているその足元を実体験からノックする今回の記事。

「仮にそうだとして、だから?」ということは、もっともっと、大きなものに、幾千もつながっていくんじゃないかと思う。

カマウチさんの過去の記事「青空」や「ソシュール・サイクリング」も、同じような気づきを与えてくれるので、まだの方も、もう一度の方も、合わせて是非。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る