修行に明け暮れた1年であった(少し嘘)。
今年1月から参加したビーツギャラリーの写真修行僧企画。
ひと月1冊、その月に撮った写真のみで写真集を作り、順次ギャラリーに展示。それを1年間続ける。
12冊の写真集制作を完走したら、その後12冊分の写真から選りすぐってベストオブ写真修行僧の写真集を編集、2月にビーツギャラリーで展示販売する。
その最終月、12冊目の撮影を今まだ続行中であるが、まぁ、ここまで来たら何とか完走できるであろう。
昔、写真を始めたころは何が良い写真なのかよくわからず、ただ闇雲に撮っては現像し、現像してはプリントし、へたくそな紙束を量産していた。
今は、何が良い写真なのか相変わらずわからないが、わからないくせに闇雲でもなくなってきている。変な分別がシャッター数を減らす。
撮っても撮ってもわからぬものが、撮らなくては余計にわからなくなるだろうに。
そういうことを思い出させてくれた企画だった。
写真を始めたのは、僕は遅い。残っているネガで一番古いのは1992年である。25歳だ。
この年に初めて自分のカメラを購入した。ニコンFEという安価な中古一眼レフ。安価というのは現在のカメラ機材の値段から言ってるだけであって、35-105mmの暗いズームレンズと合わせてたしか5~6万円くらい。当時カンテグランデでアルバイト生活(月収は10万円そこそこだった)していた僕には決して安い買い物ではなかった。
以来30年間写真を撮っている。写真を仕事にもしている。そう考えれば結果としては高くない5万円ではあったが。
闇雲に写真を撮るのが要らぬ分別によって難しくなっていると書いたが、それは本当に要らぬ分別で、写真を始めたころにはよくわからなかったことが、昔のネガを見返してやっとわかりはじめることもあるのだ。
当時はなぜシャッターを押したかわからないクズな写真だと思っていたコマが、今の目で見て初めて面白さに気づいたりすることもある。その時わからなくても、30年後の自分の目を開くためにそのシャッターボタンは押されたのかもしれない。
今から30年経ったら僕は85歳である。運良く生きているならば、この写真修行中に撮られた写真が、85歳の僕を驚かせるかもしれない。
何であれ心の動くもの撮る。
こう書くと嘘くさいキャッチコピー風だが、「何であれ」の部分が重要なのであって、その「何であれ」をどこまで完遂できるかが肝である。快であれ不快であれ。幸であれ不幸であれ。喜でも怒でも哀でも楽でも愛でも嫌悪でも欲でも美しい心でも邪心でも、精神の震度計のようにカメラを使えたら良いと思う。そういうのが写真だ。
とにかく「撮り続けること」を課した年だった。
もっと色んなこと(ある月はスマホカメラだけで撮ってみるとか、ある月はフィルムで撮ってコンタクトプリントを綴じて1冊作るとか)を当初は目論んでいたのだが果たせず、結局は数台のカメラを同じように使ってただ「続ける」ことに注力してしまった。まぁ同じようなカメラで同じような場所にいても、ちゃんと1年間撮り続けられることを確認したのは良かったかなと思う。
できたら来年は「持続」の方ではなく、何か新しいこともしてみたいものである。
長い間ちゃんとした展示もやってないし( → 展示の記録 。おお、もう6年近く個展やってない!)。
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↓ 最近の修行僧写真集(10月号)より
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というわけで、最近は年一回、ほぼこれにしか出展していない、ギャラリー・ライムライト『モノクロベスト2022』が、この記事が公開される頃ちょうど開催中です。25日まで。
→ ギャラリー・ライムライト (大阪・帝塚山)