あの時期あの場所あの人 【第六回:2011高知 】

第23期(2015年10月-11月)

When Where Who
The Period, The Place, The Person

あの時期あの場所あの人 【第六回:2011高知 】

2011年高知のあの人は
かわいさと強さを共存させまっすぐな笑顔を変わらずにくれた。

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小さな頃から大体のことをそれなりにこなしてきて、特にこれといって
悪いこともせず、何事にも真面目に取り組む子供だった。いつか父が、
何をするには自由だが、警察の世話にはなるな、そして周りに迷惑かけるな、
という教えを真面目に守ってきた。多分それなりに。

ただ、そう過ごしてしたからか、なんとなく人に甘えることが
あまり得意でなかった。迷惑をかけてしまうのではないかと
不安を生む種を植えてしまうようで。
そうして自分に無いかわいげ、というものに憧れるようになった。
かわいさ、と少し違う、かわいげ。どう違うのか明確に定義は
できないが、強いて言えば、凛とした表情の猫がしっぽの端っこに
みせる、嬉しさ、のような。
1997年カナダの西海岸にある大学の中国語のクラスで声をかけて
きてくれたあの人は、まっすぐな瞳の中に、そのかわいげを
もっていた。その後大学を卒業し、それぞれ日本で就職をし、
同じ東京にいながらもそれぞれの忙しさに一生懸命になっていて、
あまり会う機会も無くなっていった。ただ、久しぶりに会うと
その間の時間の経過を感じないくらい、自然体で笑顔になる。
友人というより、久しぶりの親戚にあうような感覚だった。

そんな彼女が、実家がある高知に眼を向け始め、東京と高知を二つの
拠点とするかもしれないと言った時、とても嬉しかった。私もルーツは
愛媛にあり、四国という場所が自分の中でもとても特別な場所だったから。
暮らした事がない郷里。その土地で過ごすあの人に会いに、見ている景色を
観に、初めての高知へ。

私の中での四国のイメージは瀬戸内海側。海と山と島があり、
波と水平線の無い海。同じ四国でも高知は海が広がり山は山に囲まれ、
広い水平線が広がり、島は見えない。陽の光が心なしか強く感じ、
野菜の色も鮮やかに見えた。閉じられているようで開かれている場所。
そして自身を取り巻く環境を肯定する風土があるような、
あの人が過ごすそんな場所で、光をたっぷりと浴びた野菜や米や魚を
一緒に食べる。作った人が直接販売する小さなブースが並ぶ
「市」の文化が色濃く残り、売っている大半が女性。宴会では
女性も一緒に飲んで食卓を囲めるように、一度に全てを出しておける
皿鉢(さわち)料理が定番。みんながそれぞれ、一緒に。
あの人は私をもてなす為に、高知の友人らを招き小さな集いを開いてくれた。
準備から同行させてもらった。大きな駐車場があるのが当たり前の
スーパーでは藁と鰹がまるごとで売られていて、タタキ用にさばいてもらうのは
普通のこと。凛とした秋深まる夜の風を頬に感じながら見上げる
星空と火の粉があがる藁の中であぶる鰹。さむいさむいといいながら
灯油ストーブにあたり、たっぷりの薬味が乗った鰹のタタキを
ビールと食す。昼間に腰がいたくなるくらいまで掘り続けて
やっと手に入れた野生の自然薯をすり鉢ですり、少し黄色味を
帯びた餅のように弾力のあるとろろをだしを入れて伸ばし、
あつあつのご飯にかける。食べることが大好きな私たちは
滞在中、沢山の時間を食事の為に費やした。準備から美味しいが
始まり、寝るまで美味しいが続く。食べていなくても美味しいが
ある。美味しいの領域が食べるの周辺を含むように、
人の魅力はその人を取り巻く人も含む。

あの人の周りには、強いけれど優しい眼差しの人達が
集まっていた。川でうなぎ釣りに連れて行ってくれる人、おいしい
パンを焼いてもたせてくれる人、高知の美味しい物との出会いを
大切にしている人、彼女の周りに集まる人達は、多少なりとも
あの人のまっすぐなまなざしの中にあるかわいげに
心をつかまれてしまった人達。私もその一人。
あの人のその力は自然の激しさを受け止めている高知という場所で、
威力を増していたように見えた。

私に足りないのはそんなまっすぐなかわいさだと気づけたのは
2011年高知にそれを変わらず纏い周りを魅了し続ける
あの人がいたから。