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2F/当番ノート

あの時期あの場所あの人 【第五回:2005上海 】

当番ノート 第23期

When Where Who
The Period, The Place, The Person

あの時期あの場所あの人 【第五回:2005上海 】

2005年上海のあの人は
衝動で動く旅の楽しさを教えてくれた。

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バンクーバーの大学時代に同じ寮の上の階に住んでいた一学年上のあの人。
おいしいご飯と自然とわくわくが大好きな広東省出身の母をもつ
中国系カナダ人。住み慣れたその土地を離れ、中国で働く事を決めたという
便りが届いた。彼女には、会話はできるが読み書きできない中国語力と、
なにか面白そうだという感覚だけで十分だった。
中国の在カナダ企業との仕事などをしていたのだが、
いつの間にか中国の面白いところを旅する事を考えていきたいと言っていた。
そんなあの人から、東京から上海は近いよ、そしてね、一度離れるんだ、
というメールがあった。そしてその前にシルクロード付近を旅しようと
思っていると。一部分だけでも同行したい。彼女は快諾の返事をくれ、
そのメールを見るや否や上海行きの飛行機チケットを手配しに
旅行社へ向かった。

再度、言葉の通じない国へ。香港で過ごしていたので中国語も
喋れるのでしょう?と良くいわれるが、少しなじみがあるくらいな
広東語で、普通語といわれる所謂「中国語」はそれとはかなり違う。
香港では漢字でなんとか分かる事もあったが、大陸で使われているのは
簡略字で逆に難しい。大学で中国語を一年学んだはずなのだが、
得たのは良き友人だけ、だったようだ。

あっという間に着いた上海はそんな心配をよそに、
早くから開かれた貿易港でもあったからか
租界地域などでは比較的英語も通じた。
コロニアルな建物や緑が多く手入れが行き届いた公園が広がり、
液晶モニターで番組が流れている公共のバスなど、
都会的な街にあの人は住んでいた。古いヨーロッパ形式の
建物をレノベーションしたレストランバーやクラブ、おしゃれモダンチャイニーズ
レストランなどで少しドレスアップして彼女の上海在住の外国人らと
駐在員的な夜を過ごした後、上海ー桂林、行きと帰りの飛行機を決めただけの、
バックパック女二人旅に出た。
桂林行きの飛行機の中で今回の旅の行程をざっくりと擦り合わせたが
土地勘もなければ、土地の名前も聞き分けられないので記憶できない。
結果的に桂林−龍勝−龍脊−陽朔−桂林だったのだが、あの人も
漢字に弱いので、音でしか伝えられない。グーグルも携帯も使えない。
ガイドブック風のものを一冊手にしただけで果敢に挑む。
とりあえず、安全に、貴重品は大切に、過ごせたら合格。

宿泊施設もなにも予約ない。繋がる携帯もお互い無い。
言葉も通じない。
バスの乗り継ぎ、今考えればどこかで彼女とはぐれたら、
1週間後の上海へ戻る飛行機までどうにかして過ごさなければ
いけないというリスクがあったこと、少数民族が住む村の宿に
着いて荷物を降ろしながら思った。
行き当たりばったりのアナログ旅は一人よりも二人の方がスリリングだ。

棚田が龍の背の様に広がる、龍脊棚田。まさかこんな景色が広がる
ところに来るとは登りきってみるまで分からなかった。
検索しても、本を探しても、写真は出てこなかったに違いない。
知らなくてよかった。先入観のない心の揺さぶられ方はすごい。
こんなにも自分は感動できるのかと、驚いた。
山道を10キロくらいのバックパックを背負い、どれくらい歩くか
知らされず、どんな場所で泊まるのか分からず、少数民族の女性が
背負子さんとしてサービスを提供してくる。あの人はすぐに荷物を
預けた。私は最後まで、なんとなく払いたくないのと、どうなるか
わからない不安で、預けなかった代わりに、体力の限界を
知ることができた。山の上にある大きな集落の立派な木造伝統建築の
ゲストハウスに泊まり、そこら辺を歩き回る鶏は夜の食卓に上り、
新鮮な野菜と米は疲れた身体に染み渡る。あの人がいたから、
心はすり減りながらも、それ以上に満たされた旅になった。
その後の陽朔でのカイヤックだけを渡されたルートもなければ
ガイドもない川下りなど、不安があるから達成した時の感動も一入。
調べすぎてしまう私はあの人と旅をすることによって
自分では楽しめない度合いの楽しさを感じる事ができた。

2005年上海のあの人は
動きながら決める旅の不安とそこから生まれる楽しみを教えてくれた。

travellrei

travellrei

日本、香港、カナダ。それぞれの場所、同じくらいの割合で過ごした思春期。
ものの見方、軸の置き方、それは文化によって様々であることを肌で感じ、魅了されてきた。
どんな事を思っているのだろう、どんな風に思っているのだろう、
いつも気がつくとそんな事ばかり思っている。
出身地がどこといいきれないことに対して持ち続けたコンプレックス。
歳を重ねるたび、日本という国で培われた文化の層の多様性に
膨らむ恋心。
人はなぜ旅をするのか。
色々な事を思う事が、とりあえず好きなんだと思います。

Reviewed by
oco

自分を知らない人々の所に行くなら沢山の準備と荷物が必要。それは自分しか守る人がいないから誰もが自ずとすること。でもそれを取り払ってみたら?
日常にいれば自分の限界はここまで、となんとなく線引きをするし、リスクを犯して足を運ぶことは非常に少ない。日々のルーティンはやっぱりどこか決まっているし、衝動で動くこともあまりない。でも旅に出れば、少しだけ衝動的に動いてしまうことはありませんか。イギリスを旅行した時、ロンドンから数キロ離れた知人が住む街に行こうと決めた。東京にいた時これといって仲が良かったわけではなく、ただなんとなくそこにその人がいるから、どうせ行くなら行ってみようかと軽い気持ちだった。かろうじて通じる程度の語学力と、たった一人で見ず知らずの場所を歩くというのはよくよく考えれば怖いことでもある。空港でトラブルがあったら?ホテルがちゃんと予約されていなかったら?電車を間違えてガイドブックにすら乗っていない場所に行ってしまったら?案の定その旅行中、ビクトリア行きの電車に乗ったはずがレッドヒルに行く電車と切り替わり、それも真夜中。赤い丘、名前からして怖い、もう生きて帰ることはないんじゃないかと震えた。
旅先で会った人の顔や言葉を、もしいつもの日常の延長線上、例えば仕事帰りとかに会社の近くのレストランで聞いたとしたら、全く響きは変わるだろう。経験したその感じ方もきっと違う。その土地の空気がそうさせるのか、いつもとは違う場所にいる自分に、感覚が研ぎ澄まされていつもより多くの扉が開かれているからなのか。
reiさんの記事を読むと、その感覚に近いものを感じて、いつも歩く景色が少しだけ色彩を変えてくる。衝動で動くことがもう随分となくなった自分に、少し脅しをかけて動かしてみたくなる。

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