毎年年末になると、今年読んだ本だとか、買ったCDだとかで何が良かったか、という総括をするのだけれど、記録を調べてみて驚いたのは、今年は自分でびっくりするほど本を読んでいない。
記録用につけている「読書メーター」の履歴を見てみたら、なんか漫画ばかり読んでて活字の本が少ない。漫画だからダメというわけではないが(最近の漫画はすごいよね。最近ハマったのは大童澄瞳『映像研には手を出すな!』と、少し古いけど石塚真一『岳』)、それにしてもバランス的に活字の本が少ない。例年の半分ほどしか読んでない。老眼が進んで目が疲れるというのもある。
いやいや、軽く書いたが、老眼というのはほんとやっかいな問題だ。
僕は右目の乱視がひどいので、そのためにだけ普段から眼鏡をかけているのだが、本を読むときだけ同じく右に乱視矯正が入った老眼鏡に換える。それが正直めんどくさいのだ。外した方の眼鏡どこ置いたっけ、みたいなことにもなるし。
横着してかけ直さずに読んだりしていると、やはり目が疲労する。それで冊数が減っているのだろう。悪いことに、無理すればなんとか手元の本が読めなくはない程度の老眼なので、つい眼鏡なしで頑張ってしまう。それがいけないのだな。
要はめんどくさがるなよ、というだけの話なのだが。
あ、乱視のコンタクトを作ればいいのか。じゃあ老眼鏡の着脱だけで済むな。来年の課題とする(コンタクトしたことないので多少未知への怖れがある)。
多くはない読書量の中でだが、今年の一番は、岸政彦+柴崎友香の『大阪』。これは本当に良かった。
なんか読みながら悔しい、悔しいとブツブツつぶやいていた。
僕のアパートメント連載で言うならば『オンカ島風景』を書いたころ(4月)にちょうど読んでいて、今自分の文章を読み返したら、この本に影響を受けた感がありありしている。
ちょうど読んでる途中に自分の原稿を脱稿して、そのあと『大阪』の続きを読んでたら、僕が文中に書いていた頑固な蕎麦屋の話が柴崎友香さんの回で詳しく書かれていた。げ、めっちゃいい人やん。変人キャラで書いちゃったけど。うわ。
二番三番は詩人・小池昌代の散文集(『産屋』『屋上への誘惑』)。去年末に読んだ『黒雲の下で卵をあたためる』が良かったので続けて読んだのだ。
僕は詩は読まないけれど、詩人の散文が好きだ。
詩人は言葉に積もった手垢や腐臭をこそげていく。写真は風景に積もった安直な「意味」を剥ぐ。
詩人は削いだ言葉で世界(=言葉)のことを考える。写真は言葉以外で世界(=言葉)のことを考える。
遠いようでいて近いジャンルなのである。
なので伊藤比呂美、小池昌代、最果タヒの本は(散文ならば)読む。
詩も読めよ、と言われそうだが。
すみません。
「詩は言葉だけれども、言葉の檻に閉じ込められる以前を扱っている。言語化の前の混沌を、固定する方向にではなく、混沌のまま凝固を拒む形で発している。
言葉の後ろにうずまくものに向かう。
結果としての言葉を壊す方向で言葉を発する。
言葉を信じない人が言葉を使って書く。
ものすごい綱渡りな世界なのかもしれない。」
以前僕が詩とは何かについて考えた文章(『If I could write poetry』)で、こんなことを書いていた。
最近こういう文章を書けなくなったな。
脳細胞の死滅が甚だしい。それも読書量の減少と関連するのか。
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次に今年買った音楽CD。
古臭い人なのでダウンロードとかストリーミングとかダメで、CDじゃないと所有した気にならない。ちなみに本だと電子書籍は無理。いくら住居が本の樹海のようになっていても紙本じゃないと読めない。昭和だぜ。
で、CDで何が良かったか、と購入履歴を調べていたら、なんと珍しくベスト3が全部クラシックだった。
1) プーランク:「ピアノと木管のための曲集」(ロジェ他)
2)「20世紀フォーク・無伴奏チェロ」コダーイ他(エマニュエル・ジラール)
3)「ゴルトベルク」(曽根麻矢子)
別に普段からクラシックばかり聴くわけではなく(一番は戸川純と公言しているわけだし)、いろんなジャンルに手を出す方だと思うのだが、今年は不思議とクラシックづいていた。
曽根麻矢子のチェンバロによるバッハ・ゴルトベルク変奏曲(1回目の1998年録音の方)は、渋面の精神性みたいなのとは無縁な、軽さと速さが気持ちいい演奏。
ゴルトベルク変奏曲といえば不朽の名盤、グールドの1981年盤が金字塔のようにそそり立っているけれど、そんなもの気にせず軽やかに脇を走って抜けてったような、なんかそんな感じの録音。いいねー。いいわー。いいんですよ。
エマニュエル・ジラールの無伴奏チェロ曲集。知らない演奏家だったけど、ジャケ買いで大当たり。コダーイその他の無伴奏チェロ曲を集めたもの。僕は生まれ変わったらチェロを弾く人になりたい(今生ではもう時間的に無理)。
1位になったプーランク。
クラリネットとピアノのためのソナタ、というのを生で聴く機会があり、これがすごく良かったのでCDを探したのだ。
少々説明が必要かもしれない。
仕事でとある県立高校の音楽科の特別授業というのを撮影に行った。
名古屋にある芸大の音楽科の教師陣が来校して、音楽科の生徒の成績優秀者に特別レッスンをするという。
選ばれていた生徒たちは声楽、ピアノ、クラリネット、ヴァイオリンで、その科の一番の生徒たちなのだろう、僕は急な代打で撮影に行ったので事情も分からず記録撮影をしていたのだが、まさか県立高校の音楽科というものがこんなにレベルの高いものだとは思わず、撮影を忘れて聴き惚れてしまうほどだった。
最初の生徒の演奏だけで感動していたのだが、演奏後に教師があれこれとアドバイスをする、どこの箇所ではもっと弓を立てたほうがいいだとか、声楽なら歌う姿勢をちょっと変えるアドバイスだけで、生徒たちの演奏・歌唱が目に見えて良くなる。その的確さがまたすごい。
そこが「クラシック」たる所以ではあるけれど、そういう一つのジャンルの音楽にがっちりと堅固な教育システムが構築されているということに、あらためて驚いたのだった。
シューマンのピアノ曲、シューベルトの歌曲、プーランクの器楽曲の演奏者を育成し、またその奏者を次代へ途切れさせないように大学がある、という、よく考えたらすごいことだ。ほかのジャンルの音楽だったら考えられない。まぁ、ロックやパンクを「教える」大学とかあったら笑ってしまうけど。
逆に言えば、そういう訓練を経なければ演奏もできない技術に、ジャンルが支えられているということである。堅固だが危うい気もする。スペシャリストにしか作れない音楽。風通しは悪くなっていくだろうな。
話が長くなったが、その県立高校音楽科の特別レッスンで、芸大の木管の教師が披露したのがプーランクのクラリネットソナタだったのである。何この曲、面白い!
仕事が終わったあと、メモっておいた曲名をググって速攻でAmazonでプーランクの木管を使った曲集のCDを探して注文を入れたのだった。
目当てのクラリネットソナタのほかにも、フルート、オーボエの曲も良かった。
プーランクなんていう作曲家は、音楽史の本で名前くらいは知っていたが、ちゃんと聴くのは初めてだ。シェーンベルクより20歳くらい若い作曲家だけれども彼のように12音に音楽を分解したりはせず、調性音楽の淵で好きなことをしている印象。メロディラインがアクロバティックで楽しい。
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そうそう、本業の写真の話を忘れていた。
今年見た一番の展示はギャラリー・ライムライトでつい先日開催されていたササキ隆志さんの「車輪の上より。」かな。
写真が発見した瞬間という概念を、最近の雑音をどけてもう一度掘り起こしたような、なんだか崇高でさえあった「瞬間」の写真たち。すごかったな。
今年一番の(僕の)写真はなんだと言われたら?
例年、大阪・今里のビーツギャラリーの「ビーツ・ベスト」と大阪・帝塚山のギャラリー・ライムライトの「モノクロベスト」という企画展で、その年撮った写真のベストを1点ずつ出展している(ライムライトにモノクロを出すのでビーツにはカラー写真を出すようにしている)。
今年はバタバタしている間にビーツ・ベストの方を申し込み損ねてしまったので、ライムライトのモノクロだけになってしまったが、なんせそこに展示してあるので帝塚山のライムライトへお越しください。
僕の写真によく登場するあの人のモノクロポートレートです。
ギャラリー・ライムライト
「モノクロベスト 2021 」
2021.12.19(日)-26(土)[ 水曜休 ]
12:00~19:00(最終日は18:00まで)
出展し損ねたカラー部の方は、別の人ですが、選ぶとしたらこれかな、と考えていた写真を載せておきます。
同業の友人小松里絵さん。某駅架橋、線路の真下で、駅から漏れくる微光だけでの撮影。
写真に関して言えば、今年は過去作からの写真集編集に夢中になってしまい、肝心の「撮る」ということに、少々注力が少なくなってしまったという反省があります。もう何年も個展もしてないしね。
ササキさんの写真にアテられたというのもある。
来年は修行僧のようにガンガン撮っていこうと思ってます。
というわけで来年もよろしくお願いいたします。