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当番ノート 第47期
大きく息を吸った。澄み切った空気。 大きく息を吐いた。白く曇った水蒸気。 僕は、このアパートメントを出る。 ガラガラとスーツケースを引くかのように、僕はここで書いた文章を引っ張って また新たな旅に繰り出して行く。 世界は沼だったとして、生きづらさは人間が抱えた砂袋のようなものだ。 袋の中に入った砂が重くて、抱えた人間は沈んでいく。 浮かべば簡単に呼吸が出来るのに、抱えた砂袋のせいで浮かび上がれない…
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当番ノート 第47期
アパートメントにきてまだ2ヵ月なのに。 1人だけれど、そっと誰かがいてくれるようなこの場所が大好きになった。心地よくて、何でもできて、ここは少し天国に近いのかもしれないとまで思う。寒くなってきたので電気ヒーターで足元を温めている。赤いケトルでお湯を沸かす。いつも飲みすぎるコーヒーはお休みにして、私は砂糖多めのココアを飲もうと思う。 昨日の晩のこと。お風呂から上がって体を拭きながら、ふと、鏡に映った…
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当番ノート 第47期
洋子は自分の薄情さに失望した。父方の祖母が死んで、悲んでいない自分に気づいてしまったからである。 「祖母が死んだ」という母からの留守電を聞いたのは、友人である美央との楽しい飲みがひと段落した頃だった。それより前の時間にもう1件、知らない番号からの留守電が入っていたのを、洋子は飲みに行く前に気づいていた。けれども、どうせカード会社からの勧誘とかでしょうと思って、すぐに聞かなかった。 「もしもし、…
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当番ノート 第47期
(以下、文字起こしでさえない概要のようなもの) こんばんは、藤宮ニアこと中西須瑞化です。 月曜日の夜、みなさん1日お疲れ様でした。今はお家でゆっくりされている時でしょうか。それとも、仕事終わりの帰り道だったりするのでしょうか。 今日でわたしのアパートメントの連載も終了です。 もし、ここまで見てくれている方がいたら、本当にありがとうございます。 正直言うと、最後は何をしようかなと考えている間にあっと…
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当番ノート 第47期
ぼうっと、生きることがどれだけ大切か。 すれ違う街の人々、過ぎ行く喧騒、いつもどこかで急かされているような気がする。 渋谷のハチ公、新宿のバスターミナル、上野の中央改札、待ち合わせの日々。 行き交う誰かを見て、ふと想う。 どうしてこうも、大人は忙しなく動いているのだろう、と。 僕は、煩いのも忙しいのも苦手だ。 制限時間があるテストは嫌いだし、遅刻しそうな時間も嫌い。 東京は、誰かが何かを急かしてい…
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当番ノート 第47期
天にまで届くような鳥の鳴き声、湿気で白く光っている空中の水滴、河原いっぱいに飛ぶ綿毛みたいなカゲロウの羽ばたき、文旦の花の砂糖みたいな香りも。写真で撮れない事が、たくさんある。 目の前いっぱいに広がるようにみえるのに、カメラから覗くと小さくみえてしまうことがある。明るく見えるようでもレンズ越しに見ると光が足りなくてうまく映らないこともある。写真の中にとどめてしまうのをためらう事もある。 でも、どう…
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当番ノート 第47期
(前の話) 洋子はワタシの天使なんだ。会社でたった一人の同性の同期。気が強くて、納得いかないことがあると真正面からぶつかっては傷つき、ぶつかっては傷つくワタシを、洋子はいつだってそのまま肯定してくれた。「そうそう係長ほんとクソだよねー」なんて軽はずみに同調もせず、「そんなことより駅前に新しくできたパティスリー行かない?」とかあしらわずに、「美央は正しくないけど、間違ってもいないよ」「私は美央を応…
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当番ノート 第47期
「言葉の拡張」として、おもむくままに続けてきた連載もあと二回で終わるらしい。あっという間だった。「週に一度何かを提出する」という行為自体がかなり久しぶりのもので、新卒すぐからフリーランスとして働いている身としては「一週間」の感覚さえ薄く、だから、毎度毎度ギリギリになって企画を捻り出しては提出するというひどい体たらくであった。 いつもは、PRなどの職業柄もあってか、こんな風に「何か」を作る際には入念…
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当番ノート 第47期
クロールの息継ぎは、難しい。 ブクブクと泡を立てて息を吐いて、顔を横向けて息を吸って、足はばたつかせながら、手は回しながら。 なんてマルチタスクをしているんだろう、と思う。 現代の世の中もそんな感じだから、しんどいのかもしれない。 生きているのが当たり前の世界、浮き袋を持っているのが当たり前の世界。 誰だって生きづらさを感じているはずなのに、誰もが隠すのはどうしてだろう。 見えやすい砂袋を持った人…
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当番ノート 第47期
11月11日の今日は誠の命日だった。無限に流れる過去から未来への時間の中の、全く違う今。2014年11月11日から時間が流れて、2019年11月11日になった。 1回目の11月11日は、職場で一日中事務作業をして過ごした。次は、おばちゃんと小籠包を食べに行った。その次は、四国で個展準備の日だった。搬入を終えて、おばちゃんと露店でご飯を食べた。去年は、おばちゃんと肉を食べに行った。命日がただ過ぎてし…
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当番ノート 第47期
みんないろんなことを言う。 あなたは何を言う? 私は何を言う? 言葉にしないと伝わらないけど、言葉はいつもうそつきだ。 どんなに言葉を尽くしても、私の気持ちは表せない。 私とあなたは違うから、見ている世界も、使う言葉も違うから。 「ラーメン」って言われて、想像するもの違うでしょう? 私は夜鳴きで、あなたは家系だったりするでしょう。 そういうすれ違いで、きっと傷つく、傷つけ合うことは避けられない。 …
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当番ノート 第47期
わたしは、「絵を描く人」のことを心底尊敬し、羨ましいと思っている。 ここでいう「絵」は意味合いとしては「画」のことで、デザインや写真作品なんかも入ってくるかもしれない。 絵は、速い。 絵は、つよい。 瞬間的に、受け手の心に届けることができる。言葉よりもずっと多くの印象や情報で、心をゆらすことができる。 中学生の頃から、絵を描ける友人を心底尊敬していた。 わたしの拙い文章力で説明する世界観を、彼女は…
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当番ノート 第47期
秋だな、と思う。 勢いを増してきた食欲、重さを増してきた布団。 ハラリと落ちるのは紅葉、フワリと浮かぶのは鱗雲。 冬だな、と思う。 在学中の通信制大学は、後期が始まった。 今は4年生だから、最後の授業が始まっていく。 「最後」と聞こえはいいものの、単位が取れなければ卒業は先延ばしだ。 大丈夫だろうか、ふとそんな自分の声が聞こえる。 徐々に、沼は凍っていく。 人々は寒さを耐え凌ぐために、人恋しいと嘆…
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当番ノート 第47期
1994年の9月、妹が生まれた。 私は小学校3年生で、夏休みが終わってすぐの土曜日。 私と2つ下の妹は、いつも別に暮らしているおばあちゃんに起こされた。 まだ生まれてないよと言われて朝ごはんをのんびり3人で食べてから、 おばあちゃんの車で隣の町の病院まで行った。 病院に着くと、まだ名前がない、初めて見る赤ちゃんがいた。 妹が生まれてくるまでの日、赤ちゃんがお母さんのお腹の中を蹴るのをさわらせてもら…
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当番ノート 第47期
久しぶりに実家に帰る。意識的に街を見回すと、少しずつ建物が入れ替わっている。 西友の前にあった駐車場持ちの広いサーティーワンは、半年前ほどにマンションのモデルルームになっていてビックリした。なくなってしまったかと思ったら、隣の隣の隣、二回りほど小さなテナントに移転していた。ただでさえ多かった美容室は、最近また増えている。 更地がある。前にそこに何の店が入っていたか、思い出せない。随分前になくなって…
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当番ノート 第47期
言葉を使ってものごとを伝えようとする時に、わたしたちは無意識のうちにそこに「時間」を読み取っている。 さしだされる言葉のまとまりは、時間軸を過去から未来へと進める。少なくとも読み手は、意識をしなければ自然とそのように理解をして読み進めていくだろう。事実、こうして文章を読んでいる間にも時間は進んでいる。細胞の分裂や生命の呼吸と、言葉という存在は近しいものなのかもしれない。 文章には、「文節」や「単語…
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当番ノート 第47期
無知は、生きづらさを作る。 「そんなことは、あり得ない」 そう大人は言うけれど、果たして本当にあり得ないかどうかなんて 世界の誰もが全く知らないことだ。 「そんな人は、どこにもいない」 そう大人は言うけれど、果たして本当にどこにもいないかどうかなんて 発言した人は全く知らないことだ。 本当は、ここにいるのに。 僕はそうやって、息を止める人生を過ごしてきた。 誰かの真似をするように、そっと息を潜めて…
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当番ノート 第47期
アパートメントに入居してからもう少しで1か月、 今週は、アパートメントの管理人さんや親友と相談して、 振り返るのを少し休憩することに。 うちのシェアハウスでは、たった今まさに、 nちゃんがこたつコードを押し入れの隅から掘り当てて、 こたつをONしたのでぽかぽかしています。 昨日は糺の森でマーケットがあって、 ミトン型のほかほかの手編みの手袋に出会えて、うれしかった。 もう冬支度。 冬支度、と聞くと…
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当番ノート 第47期
駅前のファーストフード店には、喫煙席がまだ残っていた。「ランチタイムは禁煙」という扱いにはなっていたものの、ガラス戸で仕切られたそのエリアには常に見えない煙が充満しているからか、お昼時は滅多に客の入らないスペースになっていた。あの日はそこに珍しく、一人の母親と一人の娘が座っていた。 母親は一番奥の窓側のソファ席に腰かけ、手鏡代わりのスマホを覗き込みながら、入念に眉を整えている。その向かい側の大…
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当番ノート 第47期
人で賑わう東京のハロウィン。 今年は10月31日が平日だから、一番近い土日のタイミングでハロウィンを楽しむ人が多かったらしい。 なんだそれ、という感じもする。だってハロウィンはハロウィンの日にやるからハロウィンなのであって、云々。 けれど、人間という生き物は思った以上に適当で、勘違いや思い込みも多い生き物だ。 どんなに真剣に取り組んだところで、たとえばハロウィンというものについて及ぶ理解だって、本…
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当番ノート 第47期
死にたい気持ちを抱え続けることほど、しんどいものはない。 「こんなにも幸せなのに、まだ死にたいと思うんですか?」 あぁ、そうだよ。 何でだろうな、幸せって誰が決めてくれるんだっけ。 質問の意図もわからないまま、僕はぼんやりと答えている。 「だって、いつも薄っすら自殺志願者ですから」 自殺を考えるのは、明確な理由がある人だけじゃないと思う。 僕のように、無性に死にたくなるような人だっている。 何故か…
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当番ノート 第47期
誠とのことについて思い出そうとすると、呆然となる自分がいる。 もの凄いたくさんのことがあるのに、頭の中にロールスクリーンがたくさん張られているようで、もどかしくて辿りづらい。 けれど、苦労しても思い出すことが出来ないのに、音楽を聴いていると唐突に感情、光景、香りまで脳内に蘇ってくることがある。時々、思い出したくないことまで思い出されてしまって、慌ててて曲をスキップさせる。 音楽だけではない。香りや…
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当番ノート 第47期
ついたちは 月に一度のおたのしみ 6時主婦 掃除洗濯御飯の支度 7時家内 愛し夫を起こして給餌 8時愛妻 モナリザの笑みで御見送り すまない、今日も残業で遅くなるよ わかりました、いってらっしゃい 鏡よ鏡 私は鑑 あと14610日間 続き続けるルーティーン 9時外出 財布とエコバッグとハンカチを持って 平日午前中の映画館はガラガラ …
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当番ノート 第47期
「恋」や「愛」というものは、きっと人の数だけ存在している。 「交際」や「結婚」の形も、きっと一枚面(おもて)を剥がせば多様なはずだ。 ここ数年、「好き」とか「付き合いたい」とかの意味がいまいちしっくりこない期間が続いていた。 別に仲良くするには友達でも成り立つし、セックスがしたいならそれだけの関係でも成り立つ。「結局は独占欲みたいな話なの?」という論にはすぐにたどり着くけれど、それでもいまいちしっ…
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当番ノート 第47期
生きづらさは、時に自分から、他人から、与えられるものだったりする。 人はいつだって、何かしらでマイノリティを抱えている。 多数派が正しいと見える世界で、同調圧力ほど少数派を苦しめるものはないだろう。 絶対的な正解も、絶対的な常識も、そんなものはどこにもないのに、どうして人は、白黒はっきりとしたがるんだろう。 多数派が選ぶものは、少数派にとっては理解し難いものなのかもしれない。 少数派が選ぶものは、…
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当番ノート 第47期
先週、白川通のちょっと裏にある雑貨屋さんに立ち寄ってみた。明るい座敷に仔猫がいて、猫好きな私は思わずお店の方に声をかけた。 ケージから出たそうにしてニャーニャー鳴いている。 何か月ですか、と聞いてみたら、「生後4か月で、引き取って来て3週間なんです」と教えてくれた。 そしたら急に涙が溢れてきてしまった。自分で驚いて、とっさに息を詰めて涙を堪えた。 すごい元気そうな仔猫だし、とても大切にされているこ…
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当番ノート 第47期
月末の金曜日なんて、いつもなら月次決算に向けたデータの整理やらで残業待ったナシなのに、あの日は経理部全員が16時に退社させられた。プレミアムフライデーというやつが初めて実施された日だった。課長は終日「後でしわ寄せくるだけなんだけどなあ」とぼやいていた。 大手町から丸の内線に乗り込み、20分ほど揺られ、地上に出た。まだ薄っすらと明るい夕方の新宿は、浮足立った会社員たちで賑わっていた。居酒屋やバル…
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当番ノート 第47期
以前から、わたしは「モールス信号」というものが気になっていた。 元来は可変長符号化された文字コード。単音だけ、あるいは光の明滅のみで言葉を伝える手段。SOSを伝えるために使われたりもするという、言葉の形を持たない言葉。 日本の平成の時代に生まれたわたしには、これまで一度もモールス信号との接点はない。けれど、その普遍性のようなものにひどく心惹かれる自分がいた。 国を超えて、時を超えて、その単調な調で…
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当番ノート 第47期
外は、大雨だ。おまけに雷も鳴っている。 大きく息を吸い込むとき、気管支が詰まったように、ひゅー、という音が聞こえることがある。 ごくわずかに喘息を持っているのだけど、それとは別に、息苦しさを感じるときがある。 何年も前のこと、僕はこの世界が灰色に見えていた。 ようやく色が着き始めて、彩色が薄ぼんやりと見えるようになってきた。 息も出来ないほど苦しかった灰色の世界は、何回息を吸っても上手く酸素を取り…
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当番ノート 第47期
大学3年生になる前の春休み、私は運命の出会いをした。 同じサークルのF田に誘われて、先輩と3人で鍋パーティーをした。みんなの噂では最近失恋をしたばかりらしい、いっつもpaul smithを着て、赤いFITを乗り回している、車椅子の、石井誠という先輩。それから、頻繁に何度か遊んだりまた鍋をしたりして、大した駆け引きもなく、とても自然に私と石井誠は一緒に暮らすことになった。私にとっては初めてのお付き合…
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当番ノート 第47期
とびっきりのお洒落をして 開始5分後 闇に紛れる この回だけは いつも人が入らない まばらに埋まる席 誰もワタシを気に留めない 大好きな曲と 憧れの女優 大胆不敵な 恋の駆け引き モノクロでも 色めく世界 2時間だけの 逃避行 仕事もきらいじゃない 家庭もきらいじゃない それはウソじゃない できればウソは つきたくない エンドロールの5分前 ワタシはそっと 席を立つ 魔法は解けてしまう前に…
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当番ノート 第47期
2019年10月。今日から、アパートメントで連載をさせていただくことになった。 「何ができるだろう」と考えたとき、 自由に過ごせるこの場所だからこそ、「言葉の拡張」をしてみようかな、と思った。 月曜日の夜。きっとみんなくたくたで、ちょっとの安堵と一緒に帰路についているだろう。 うつくしいものや、おかしいものを見て、感じて、ときには考えて、 ほんの少しだけ、明日からの活力にしてもらえるようなものにな…
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当番ノート 第47期
人はみんな、何かしらの生きづらさを抱えているのだと思う。 僕は、性同一性障害で、女性として生まれたけれど、男性として生きている。 僕は、発達障害で、不注意やこだわりがたくさんある。 僕は、解離性同一性障害(多重人格性障害)で、記憶が飛ぶことがある。 ずらっと並べてみれば、僕は生きづらさの塊を抱えている気がする。 確かに今まで何度も、世の中に絶望して生きるのを止めたくなったことがあった。 生きづらさ…
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当番ノート 第47期
毎日、夜中に目が覚めて、布団の中でなんとなくスマホをいじる。 今朝方はfbのタイムラインのトップに「5年前の今日」がでてきた。大阪・梅田近くにある北野病院の11階の窓から夕焼けに浮かぶ飛行機の光を私が撮った写真。誠がいつも入院していた馴染みの個室から、暇つぶしに撮った写真。 私は今日、京都市の隅にあるシェアハウスのリビングでこれを書いている。 築年数不明、ハウスルールは「風呂上りは床びしゃびしゃに…
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当番ノート 第47期
過度なノスタルジーとか“レトロかわいい”とかホント勘弁してほしい。レトロ=かわいいでは決してない、そんな消費的な代物ではない。時の流れに消費されず、形をそのままに残ってきたものなのだから。 だからこそ、流れに飲まれて消えてしまうものもあるだろう。それはさ、寿命だよ。人の毎日に寄り添ってきた生活文化は、いまを生きている人たちのライフスタイルに適応していかなければ、消えていく運命だ。変わらないからこそ…