どうしても今の自分を肯定できないときは、知人の結婚式に出席するのがいい。
それは何もかも肯定しようとする空気が満ち満ちている場所。
もしくは、知人のお葬式に参列するのがいい。
それはこの世に残されたものをすべからく肯定しようとする場所。
事実がどうであれ、喜びと悲しみという違いはあれ、どちらもしあわせの在るべきカタチをイメージする場所。
あまのじゃくだろうがひねくれていようが、結局なんとなく心動かされてしまえばいいんじゃないか。
では、周囲にいる誰も結婚しなかったり亡くならないときはどうすればいい?
もしくはご祝儀やお香典の枚数が足りないときはどうすれば?
とにかく風呂上がりにヤクルトでも飲んでおのれと向き合い、自分を奮起させるライバルを見つけるしかないのである。
それはあの時の友人だったり、あの時の先生だったり、あの時の親だったり、あの時の自分なのである。
若さを漲らせて「おれは過去は振り返らない」と豪語していた友人がいた。
格好よろしいですな。彼もわたしもその時は二十歳そこそこだった。
比べてわたしはいつも過去を振り返ってばかりだった。
二十代が振り返られる過去なんてたかが知れているのだが、いつもおのれの軌道を正すきっかけは過去にあった。
人生の師のような存在が居ない(もしくはまだ出逢っていない)わたしには、過去の自分が一番の師だ。
そして三十代を迎え、わたしはほとんど嫉妬をしなくなった。
それは自分へのあきらめから来ているのものだ。
もうどう頑張ってもあいつには勝てないし、冷蔵庫にヤクルトはあと四本あるしまぁいっかなのだ。
しかしながら困ったもので、人間は過去の自分にも嫉妬をする。
あの頃はぜんっぜん周りが見えてなかったけど、飛び越えないといけない壁は意外と低かったな、なんて。
先日、テレビで伊丹十三のドキュメンタリーを面白く観た。
それは、自尊心を取り戻そうとする孤独なひとりの革命家の話であった。
幼い頃から様々な才能を発揮し、イラストやデザインで、俳優やエッセイストで、そしてCMディレクターやドキュメンタリー作家として、そして最後には映画監督として名声を得た伊丹。
彼の様々な創作の源は、映画監督として確固たる地位を築いていた、厳しい父に対するコンプレックスにあったという。
何をやっても抜群のセンスを感じさせる仕事をしながら、本人はそのどれにも満足していなかった。
その後伊丹は、偉大な父が亡くなった年齢を過ぎてから、父と同じ映画監督としてデヴューを飾る。
これには妻で女優の宮本信子の助言も一役買った。
御年、五十一歳の時のことである。
その伊丹の記念すべき第一作目の映画作品が「お葬式」だ。
「葬式というのは振り捨ててきたふるさとにいきなり首ねっこを掴まれることだ」と、彼は語っていた。
人は一番忘れたい過去から最も遠い場所へと向かって全力疾走で暮らしている。
ところがある日、突然のハプニングによっていきなり自らの「ふるさと」に襲われるのだ。
そしてひどく戸惑いながら、否が応にも自己の生き方を見つめなおしてゆく。
「ふるさと」というものが、必ずしも思い出してじんわりあたたかくなるような精神的支柱だとは限らない。
そつぎょおーしゃしーんのあのひとはやさしいーめおーしてるって?
久しぶりに開いた卒業写真のわたしはどちらかと言えば荒んだ目付きだし、遠くの誰かを呪ったりはしても叱ったりはしない。
あの頃に帰りたいという観念がわたしにはまずない。あの頃よりヤクルトを飲み干した今の方がずっといい気分。
そう信じて今日もわたしは自転車ギコギコ仕事に向かうのだ。
極端な例を出すと、脳波だけ動いている植物人間はあの頃は良かったとは言わないわけだが。
その肉体は生命運動を維持しながらも、生まれる前の無というふるさとを否定しているのではないか。
ドイツの哲学者、ヤスパースは、人類はひとつの起源とひとつの目標を持つと述べた。
起源と目標の間を、わけも判らず漂っているのが人間の歴史だと。
起源から離れることで目標へと近づくのだが、目標の方はいつだって起源の後ろ盾を求めている。
たとえば木はその太い幹から逃れるように四方八方に枝を伸ばす。
しかしながらそのエネルギーは、その幹を支えている根っこから吸い取ったものだ。
そして葉脈まで行きわたったエネルギーはまた根元を目指す。
自分のルーツのルーツが生きるモチベーションの源泉となる。
必要なのは「否定していたふるさとの肯定」だ。
いや、人によっては「肯定していたふるさとの否定」かも知れぬ。
そんなところに、煮詰まった現在の解決策があるのではないか。
余談だが、ヤクルトヤクルトと連呼していたわたしは阪神タイガースが好きだ。
たとえ球団が五年ぶりの六連敗を喫していても。
まぁそれほど野球ファンでもないのだが、愚直で口数の少なかった死んだじいさんの影響である。
祖父が生前、唯一感情を露わにしたのがワンカップを啜りながらのタイガースであった。