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当番ノート 第53期
目次01-父のこと(3)02-おわりに 父のこと(3) 決して、それまでの私が父の生い立ちについて何も知らなかったわけではない。事実関係は把握していたものの、何となくうまくつながらないというか、親子とはいえ別個の人間のできごとなので、どこか他人事だったのだと思う。我ながら薄情な娘だと感じている。 前回「父のこと(2)」 それが、自分と向き合わざるを得なくなったとき、突然立体感を帯び始めた。そこに至…
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当番ノート 第53期
ある作家さんが突然この世を去った。熱心な読者のひとりである私も当然、受け入れることができなかった。その亡くなった方には多くのコメントが寄せられ、「言いたいことが言えないままだった」「会おうとしていたけど、また別の機会でと思っていたら……」など、後悔の言葉がマグマのように吹き出していた。作家さんと近しい人はみな、こういったコメントを繰り返し書いている。つまり、後悔しているのだ。 それを見ていて、ある…
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当番ノート 第53期
幼い頃、自分の名前が嫌いだった。上の名前も下の名前も大嫌いだった。 わたしの旧姓は動物の名前とリンクしていて、幼い頃は頻繁にそれについてからかわれた。小学校低学年の時は点呼のたびに誰かがその動物の鳴き声を真似てみせて労なく笑いを取った。 わたしは「女の子は結婚すると苗字が変わる」という事実を知って歓喜して、嬉々として家族に報告し父親を苦笑いさせた。「いつか名前が変わること」、大げさな話だけどそれを…
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当番ノート 第53期
カナダ南西端の都市、ビクトリアへ出張している間、日中自由にできる時間は限られていたので、昼飯休憩の合間を惜しんでレコード屋に足を運ばざるを得なかった。 会議場からチャイナタウンへ向かおうと廊下を歩いているとき、柱に貼ってあるポスターに目が止まった。 “Discover our 5 Seasons” 「5つの季節」とは一体?という疑問が頭をよぎる中、足早に通り過ぎる。 ビ…
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当番ノート 第53期
これまで「出来事」の意味を模索するような記事を書いてきましたが、これ以上この言葉を広げるエピソードをつづらずに一つの着地点を探すことにしますね。まとめると、出来事は目的と結果が異なることで生まれる。習慣化されている人の営み。出来事によってできることは、モノの用途・意味が変わること、過去の認識が変わること、日常が少し変わること。(テネットと出来事を結び付けたのはエキサイティングだったなあ) 私は建築…
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当番ノート 第53期
前回触れたように、私は父に愛されていた。それを象徴する、わかりやすいできごと一つ紹介しよう。 24歳のとき、友人としてもかねてから付き合いのあった同い年、同郷の男性と初めての入籍をする。当時東京で暮らしていた我々があいさつに行くのとは別の機会に、先方のご母堂と私の両親が対面したそうなのだ。その場にいたわけではないので詳細は分からないのだが、「ふつつかな娘ですが」とかなんとか言いそうな場面で、父は予…
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当番ノート 第53期
物忘れが激しくなったら老化の始まりだ、と言われたことがあったものの、そもそも記憶力に自信のある私だ。そんなことはありえない、そう考えるのは至極当然のことだった。 高校の暗記系科目などは、すべて満点を取るのはあたりまえで、月末に実施されることになっていた複数の〇〇検定を月の頭から勉強し始め、「そのレベルから始める人はいないからやめておきなさい」と国語や英語の教師に言われようとも、気分が乗ってしまった…
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当番ノート 第53期
この夏、友人が1歳すぎの赤ちゃんを連れて自宅を訪れた日のことを思い出す。驚いたのはきみが赤ちゃんを手厚くかまっていたこと。 きみは布団にもぐりこんで「どこにいるでしょう?ここよ、ここよ」と声だけで示したり、おもちゃのレジスターにプラスチックのカードを押し当てて「はい、ポイントをつけました」などとお芝居をして、初対面の赤ちゃんを大いに喜ばせた。 これまで自分より幼い子を公共の場や交通機関で見かけるこ…
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当番ノート 第53期
小学校5年生のときだったか、国語の授業でリレー小説を書かされた。4人か5人くらいの班の中で回して書いていくかたちだった。あるときからそれは僕にとって忘れたい過去だった。実際、今では自分が書いた内容は忘れ去ってしまった。 僕が第一走者になった物語は「何を書けば良いのかわからない」と同じ班のクラスメートに言われた。独りよがりな設定でリレーが繋がらず、殆ど一人で書いた。6年生の卒業前、学校の図書館の衆目…
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当番ノート 第53期
昨年秋に病死した父は、自分の親や一部の兄弟、親戚にまで変人扱いされている人間だった。私も、父を変人だと思っている。ただしそれは、親戚たちが言うのとはまったく別の意味。 父については『発達ナビ』のコラムでも二度触れている。(1回目 2回目) 当時は勉強不足、私の自己理解の浅さが伴い、父を「ASD(自閉症スペクトラム障害)様の傾向がある」と記したが、実際はADHD(注意欠如多動性障害)の傾向が強いよう…
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当番ノート 第53期
東京の下町を歩いていると、活気ある商店街を抜けたその先に、いくつもの空き家が密集している場所があった。近くを歩いている初老の男性に話を聞くと、建物の老朽化でほとんどの住人が出て行ったとのことだった。 残っているのは、建物の一部は破損し、ドアも「立ち入り禁止」と書かれていながら開いたり閉まったりを繰り返し、窓ガラスは割れていて、管理されないまま放置された植物が生い茂る、無数のアパートだけである。 管…
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当番ノート 第53期
まだ「美」について確かな感覚のないきみは、まつげの量や眉の形や唇の厚さなどどいうものを全てすっ飛ばして、わたしに似たがる。美人になりたいとか大人になりたいとかそんな動機は抜きにして「ママがいい」と言う。 年に何度かしかないお父さんのお迎えで、保育園の先生に悪気もなく「あら、お父さん似だったんだね」と言われたきみが、金切り声をあげて拒んだと聞いた時は涙が出るほど笑ってしまった。 同時にふと思った。ど…
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当番ノート 第53期
ヘルシンキ・ヴァンター空港は乗り継ぎで通過するだけだったし、早朝に営業している店もあまりないだろうからと思って、ターミナルに何があるのか調べていなかった。トランジットの手荷物検査を終えて、ターミナルへの扉が開くやいなや目に飛び込んできたのは「味千ラーメン」だった。店は閉まっている。みやげ店の列の中で、皆と平等に店名のサインだけが営業している。 ここはヘルシンキ・ヴァンター空港。 オーロラ、ムーミン…
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当番ノート 第53期
2年程前から、現在気仙沼に2軒残る銭湯の一つ「友の湯」に複数のメンバーで関わるようになりました。オーナーの小野寺学さんが気仙沼に帰郷後、震災後にお母さんから経営を引き継いで営業されている銭湯です。建物や配管設備などは老朽化しているものの、それが逆に良い味となっていて、地元の方や観光客の方に愛されている町の銭湯。 2年前の2018年11月26日は、「いい風呂(1126)の日」として、お客さんが入浴し…
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当番ノート 第53期
前回は、私の恨み節に相当な文字数を割いてしまい、Uの人間性についての説明がかなりざっくりとしたものになってしまった。とはいえ、彼女が優しさと芯の強さを併せ持つ人であることは、何となく感じていただけただろうか。 もちろん、それだけでも魅力的である。しかし、それだけの人であったとしたら、彼女と私が仲良くなれたかと考えると、どうだろうかと私は首をかしげてしまう。少なくとも私は「素敵な子だなあ」ぐらいにし…
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当番ノート 第53期
2010年、留学のために訪れてから何度もロンドンに行っているのだけれど、もうここ数年は行くことができていない。このことが残念でならない。最後に行ったのは3年ほど前になるだろうか、まとまった休みが取れたのでしばらく過ごしてみることにした。 少しの間行ってきます、という話を知り合いの編集者としていたら、ああ、じゃあついでにイギリスのネタで雑誌のコラムを書いてくださいよ、ということになってしまって、遊び…
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当番ノート 第53期
雨の音が好き。ぱちぱちと花火みたいな音もあれば、ぽつぽつとボールペンの走るような音もある。 わたしが小さかった時、ブラウン管の砂嵐のざあざあという音を「雨の音みたい」と言ったら、わたしのお母さん、つまりきみのおばあちゃんに褒められたんだけど……そうか、そもそもきみはブラウン管の砂嵐を知らないか。 「耳がいい」と言われその気になった流れで、同じマンションの大学生のおうちでピアノを習い始めた。でも10…
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当番ノート 第53期
『ペルシャ猫を誰も知らない』は現代のイランのインディロックシーンを描いた稀な映画だった。ロック、メタル、ヒップホップといった西欧の音楽の演奏の許可が下りないイランで、地下室や、農場や、工事現場で密かに鳴らされていた音楽を世界に開いた。 バンドマン役で映画を主演したアシュカンとネガルは実際にイランで音楽活動をしていたが、映画の撮影直後にイギリスへ亡命している。映画の撮影は当然ながら政府の許可を得てい…
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当番ノート 第53期
八日町商店街にある亀屋商店さんは陶器などを扱ううつわ屋さんです。元々船乗りだった店主さんが結婚後、奥様の家業であったうつわ屋さんを継いでいます。食器などを販売する店舗部分の入り口は上の写真の奥の部分にあるのですが、手前側が打ち合わせスペースの入り口となっていて、その独特さにみなさん驚かれるだろうと思います。 ちなみにこのテーブルの脇に店舗部分への通用口も設置されていて、かめこやさんは店舗にお客さん…
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当番ノート 第53期
小学校の入学式で初めて目にした同級生・Uの姿は、幼い私には別世界の住人のように感じられた。日に透けると赤みを帯びる柔らかそうな長い髪、白い肌、整った目鼻立ちにすらりと伸びた腕と足――平たく言えば美少女である。比喩としては陳腐だが、「こんな人形みたいな女の子、本当にいるんだな」という印象だった。 一学期が始まると、休み時間には彼女の周りに人垣ができた。そりゃ、美しいものは間近で眺めたいだろうし、あわ…
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当番ノート 第53期
昨年の話。つい、新規開拓がしたくなったため、近所の居酒屋をふらふら歩きながらお店を探していた。時間も遅かったので、たまたま開いていた居酒屋に入った。3階建ての2階にあって、その上には怪しげなスナックがある。細い螺旋階段をのぼると、お店に着いた。 「こんばんは〜まだやっていますか?」 暖簾をくぐりながらそう言うと、あれ? 返事がない。閉店の片付けをしているのだな、諦めて外に出ようとしたとき、奥の部屋…
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当番ノート 第53期
オーディション番組を見ていると、「チャームポイントは笑顔です!」と元気よく言う女の子が本当に多いのだけど、そんな相手に対して心の中でいつも「本当にそれでいいのか?」と問いかけてしまう。 彼女らは歌とダンスでわたしたちを魅了してくれる。と同時に「恋愛禁止」を公約のように掲げて、そのせっかくの武器である笑顔を恋や愛には使用しないらしい。 夢と恋愛を天秤にかける残酷さも知らずに、6歳のきみは「アイドルに…
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当番ノート 第53期
2018年、再び飛行機に乗り遅れた。 飛行機に乗り遅れるのはこれで三度目だった。 最初は高校3年生のとき、大学受験を終えて東京から帰る便だった。宿があった飯田橋から、羽田空港に向かう経路の選択を間違えた。多分、各停とか快速とか急行とかいった電車用語への理解がなかったので、どこかで遅い電車に乗ったのだろう。空港に着いた時には定刻25分前で、保安検査場が締切られていた。 振替の便の席を翌朝に用意しても…
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当番ノート 第53期
前回、私が寸借詐欺師と(半ば意図的に)遭遇した話を書いた。私自身が納得したうえでの行動あっても、相手を増長させ、新たな被害を生み出した可能性も否定できないと認識しており、現在は深く反省している。これを「借金」にすべく、次回1000円を回収する決意を心新たにした。 さて、今回も横浜中華街でのできごとについて書かせていただく。薄い鉛筆の殴り書きのような記憶の中、そこだけがくっきり描かれ、彩られた壁画の…
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当番ノート 第53期
2014年、長い長い大学時代を過ごした関西を、就職のため離れ、上京することになった。ただ、別に初めての東京だというわけではなく、学部時代に某省の研究機関(和光市)で研究をする機会があったので、1年くらい和光市と関西を往復する日々を送っていたことがある。研修で訪れた人が宿泊する寮みたいなところにしばらく住んで、気が向いたら西に帰って研究し、タイミングが来たらまた上京。端的に楽しかった、お金ももらえる…
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当番ノート 第53期
きみは次の春が来たら、これまでのお友達とはさよならをして、ひとりこの町の小学校へ向かう。わたしの仕事の関係で引っ越し後も上手く転園できなくて、きみは6年間、隣町の保育園に通っていた。そこでたくさんの友達ができて、いつも帰りの車内では「今日は誰と何をしたか」をこと細かに教えてくれた。 みんなとは3月でお別れなのだと説明はしているものの、きみは学校が離れても友達のままだと信じてやまない。その証拠に、「…
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当番ノート 第53期
2010年、モスクワ・シェレメーチヴェ空港。 初めての海外旅行で、僕はウィーンへ向かう飛行機への乗り継ぎに失敗した。 幸いにもこの日、同じ理由でモスクワで夜を明かさなければならなくなった人が20人ほどいた。世界各地から集められた20人は、まずホテルのロビーらしい場所に通される。 “トゥゲザー?トゥゲザー?ノー?” いかつい制服の青年が、同じグループっぽい集団ごとに声をかけながら、客の組数を数え歩い…
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当番ノート 第53期
タンポポの綿毛のようだ、と言われたことがある。 と言っても、ふわふわで可愛らしいという意味合いではなく、いつどこに飛んでいくともしれない、ひとところに根を張ることがなさそう、というイメージらしく、似たようなことは何度も言われたことがあった。要するに、根無し草だ。 しかし実際の私はさほど引っ越しの経験はない。22歳で親元を離れるまではずっと同じ家で暮らしていたし、35歳で帰郷してからも、同じ地域で暮…
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当番ノート 第53期
突然だが、数年前に買った真鍮(しんちゅう)のボールペンが臭い。おまけに色もちょっと汚い。購入したとき、店員さんは「経年変化(エイジング)」で味が出るからと言ったので、自分が老けるたびにこのボールペンも老けていくのだなあと感傷的な気持ちになって買った。それが今、ちょっと汚くてサビ臭いのを我慢しながら使っている。何年かすると色もにおいも馴染んでくるのか。そして、これを味わいというのか。というか、味わい…
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当番ノート 第53期
昔、きみを産んだとき。どういう話の流れだったか「へその緒を切る時は母体も赤ちゃんも痛くないんだよ」と誰かから言われ、その後に続いた言葉が「髪の毛と同じで」だった。 へその緒と髪の毛が医学的に同じとは思えないけど、その時は「そっか、それならば反対に、”髪の毛切っても痛くない”ってことの方が不思議だな」と感じたのを覚えている。 髪の毛は体の一部なのだけど神経が通っていない。神経…
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当番ノート 第53期
僕が大学生のとき、祖父が米寿を迎えたので、親戚一堂でお祝いをした。僕は大学に入ってから声楽を習っていたのだが、母に「二度と聞かせられる機会もないかも知れないんだから」と押されて、祝いの席で歌を披露することになった。 気恥ずかしいのはもちろん、我が家とはなんの縁もないイタリア歌曲を歌うのはなんとなくためらわれたが、兄に指揮をしてもらうことで寄るべを得て歌いきったのだった。 親戚は皆、僕が声楽をやって…
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当番ノート 第53期
写真は2018年2月に気仙沼市の中心市街地で撮影したものです。この頃は東日本大震災からは約7年近く経っていますが、大規模な復興工事が町のあちこちで行われている時期でした。ちなみに2020年の今も進行中の土木工事が多く残っている状態。もっと言うと、写真の風景は復興工事というよりも「復旧」工事の意味合いが強いです。区画整理して土地をかさ上げし道路の幅員や街路照明などを一新し災害に強い新たな町を作るので…
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当番ノート
重厚なパイプオルガンの音色は、澄み切った余寒の空気と相まって、礼拝堂の荘厳さをより引き立てるように鳴り響いていた。呼ばれてそこにいるはずの自分が、どうにも場違いに思えてならない。仲春の陽射しを柔らかく透かすステンドグラスを見上げ、ひとり呆然と立ち尽くしていたのは、26歳の私である。 「キリスト教のお式は初めてですか?」 振り返ると、こちらに微笑みを向ける、白髪頭をきれいに整えた男性・Mさんの姿があ…
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当番ノート 第53期
10年前の夏休み。20歳になった私は、年の近い弟とともに、祖父の家を訪れた。 帰省するたびに祖父は「勉強は頑張っているのか」と問うのだけれど、こちらが答える前に、いかに不眠不休で勉強を頑張って要職に就いたかという長い話が始まる。これが本当に長くて、しかも、同じ話を繰り返ししゃべっている。私と弟は、いつ終わるのだろうか、なんて考えながらただひたすらに待っていると、やがて、スピーチが終わる。 長かった…
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当番ノート 第53期
娘へ。 きみの撮るわたしはやっぱり盛れてない。普段どれだけ美化して撮影しているのかがよく分かる。 わたしが女じゃなければこんなに写真映りに一喜一憂しなくて済んだのかなあ、と思ったことも少なくない。ルッキズムの呪いは、生まれる直前に「おまえは女の子?じゃあ、はい。これも持っていきな」と神様に持たされてしまったんだろうか。 きみの性別が女の子だと分かった時、わたしは少しの恐れを感じずにはいられなかった…
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当番ノート 第53期
「ビクトリアは天国だ」と、会議の受付をしていたカナダ人が言った。 カナダ西海岸の南端にあるビクトリアは、カナダのあらゆる都市の中で最も気候が穏やからしい。緯度でいうと北海道よりも北にあり、10月下旬の気温は東京の12月はじめほど。しかし師走の喧騒はなく穏やかな秋である。 ビクトリアではこれから冬を迎えても、川が凍ることも、雪に閉ざされることもない。そのカナダ人によれば、内陸では冬、人家のない雪原で…
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当番ノート 第53期
「出来事」という言葉がずっと気になっています。たぶん2012年ぐらいから気になっています。世間で起こる(いろいろの)こと。出来事の連続で今日1日が終わる。私の人生も、この社会も出来事の連続でこれまで続いてきたんだな、明日もいろいろな出来事が起きるんだろうなと思います。まあでももうちょっとこの言葉について深く考えてみたいと思っていたのです。出来事はローマ字で書くとdekigotoですが、これが英語だ…
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当番ノート 第53期
何年か前、横浜港に面した飲食店で歓談していたときのこと。同席していた知人は、港の向こうを指さした。 「あのホテルの〇階の〇号室、友達の親御さんが施工したんだって」 知人がどんな意図でその話を出したのか、前後にどんな話をしていたのか、そしてどんな思いで当時の私が聞いていたのかも、残念ながら失念してしまった。しかし、なぜだかその言葉がずっと私の脳裏に焼きついて離れず、横浜を訪れるたびに思い出している。…
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当番ノート 第53期
冒頭、長い言い訳から始めることをお許しいただきたい(誰にだろう)。そして、もしかすると言い訳のまま終わってしまうこともあるかもしれない。重ねてお許しいただきたい。 自分のことを書いたり説明したりする行為はひどく難しい。いくつかの外的要因によって「それまでの価値観・人生観」なんて一気に変わったりするわけで、いつもと変わらず生活しているにもかかわらず、唐突に、予期せぬ自分に出会い続ける人生。 ふと「あ…
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当番ノート 第53期
6歳の娘がわたしの写真を撮っている。わたしが、じゃない。娘が、だ。 「自分の外側」を、いつも鏡で見ている。似顔絵にするには特徴の無いこの顔と32年間付き合ってきた。 正直言うと飽きもある。最近は加工可能なカメラアプリが主流になっていて、顔の形や瞳の色まで自由に変えられる。どうやら人々はみんな、「どれが真実の自分か」に重きをおかなくなったようだ。 だから娘が突然自宅にあるカメラを持って「これどうやっ…