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当番ノート 第51期
この連載が始まった頃はまだ、陽気のいい日が続いていたと思う。緊急事態宣言が解除されたばかりで、まだまだ不安な日々が続いていた。「今日の感染者は何人なんだろう」「明日はどうなるだろう」まずは目の前にある不安に目がいってしまって、二ヶ月先のことなんか考えられやしなかった。 あれから二ヶ月経ったけれど、状況はあまり変わっていないし、梅雨もまだ明けていない(七月二十九日現在)。自分の生活の些細な部分に目を…
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当番ノート 第51期
最後に話すのは、あの子のはなし。 毎朝、8時半には家を出て行くし、夜は早めに帰ってきて、帰ったらシャッターを開ける。洗濯物は大胆に干しているけど、下着が干されているのはみたことがない。 彼氏はそんなに背が高くないけどおしゃれな人で、ちょっと長髪。私が引っ越してきてから何度か見かけているから、誠実に3年は付き合っているんだろう。 部屋で騒いだり、うるさくすることもないけど、たまに小さな話し声や笑い声…
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当番ノート 第51期
降り続いた雨の果てに、夏空が見え隠れしています。もうすぐ8月ですね。もがくように生活し、思うようには書き進められなかった2ヶ月間の連載。とうとう最終回です。私の文章はあなたの目にどんな風に映っていましたか? アパートメントで書いてみたいと願ったのは、実は今ではなく、2年前の秋でした。他人と他人とが、ふしぎに共存している空間に、読者としての居心地の良さを覚え、私もここで書いて自分の中のなにかを変えた…
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当番ノート 第51期
自分として、いきてゆくこと それが今の自分のテーマなのだと思う。 小さい頃から自信がなかった。 何につけても自分を認めてあげられず、なにをすれば自分で自分を認められるのか分からず、 評価軸を他者に預けて人任せにいきてみたり、 自分じゃない人間をいきてみようとしたりした。 でもそうやって過ごしてみても 結局はっきりとしない、つかみきれない自分が深まっていくだけだった。 そうやってなんとなく雰囲気でい…
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当番ノート 第51期
何となく、先週あたりから体調が悪い。周囲に「体調が悪い」と言うと、通常の二倍くらい心配されてしまうので、口にしづらいけれど、体調が悪い。気圧のせいだ。 この連載は配信の一週間前が原稿の締め切りなのだけれど(つまり、この記事の締め切りは七月十七日)、いくら「調子が良くなるまで少し待ってみよう」と様子を見ていても、一向に体調がよくなる気配がなかった。前回の記事は締め切りの三日前くらいに入稿できて余裕綽…
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当番ノート 第51期
黒下さんとの出会いは、夜の帰り道だった。 近頃の私の楽しみは、このコラムの第二話に登場する渡辺さんのいるスーパーよりも、少し離れたところにある高級な食材や輸入品が多く並ぶスーパーへ行き、いつもより質のいい食材や変わった野菜、果物を買うこと。 散歩ついでに少し遠回りしながら上機嫌で一直線の道を歩いていると、公園の隣にある凹型にくぼんだゴミ捨て置き場から視線を感じた。 暗い中、目を凝らしながら進むと、…
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当番ノート 第51期
姉と二人暮らしをしている家に、妹が遊びに来ました。「彼氏とは2週間前に別れたよ。今日は新しく出会ったサークルの先輩とデートをしてきた」と言うのです。 小学生の頃から部活一筋だった妹は、この1年半、一途な恋愛を楽しんでいました。多感な思春期、部活に打ち込んだ反動か、とにかく勢いが凄まじくすべての行動の意味が彼につながっていました。「意外とあっさり別れたな」と横目に見ながら、自分の18歳の頃を思い出し…
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当番ノート 第51期
「ちょっと上がってお茶でもしていかない。」 お寺を散策した帰り、ふらっと立ち寄った陶器屋さんの店主のおばあさんに声をかけられた。 このご時世で観光客は少なく、お客さんは私しかいなかった。 立ち話をしながら、最近私が近くに引っ越してきたばかりだと言うと、それじゃあとおばあさんが誘ってくれたのだった。 店の上がり口のすぐ先が平家の住まいになっていて、やや大きなダイニングテーブルが部屋の真ん中にあり、 …
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当番ノート 第51期
初めて客人を部屋に招く時、嬉しい反面、少し緊張もする。 最寄り駅から家までを横並びで歩きながら、「この人は、私の部屋を見てどう思うだろう?」そんな他者評価が気になってそわそわしてしまう。 プライベート空間に招き入れるわけだし、正直、心を許した人しか入れたくない。大人になって、本当に付き合いたい友人が選べるようになった今だから、友人のほとんどが心許せる人物だと思っている。だから、来て欲しくない人はそ…
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当番ノート 第51期
このコラムの最初に書いた、山田さんの働くコンビニ。あまりにも頻繁に通っているせいで、山田さん以外にも、いつも出会うあの人のことを覚えてしまっている。 コンビニに行くと、必ずガードレールにもたれかかりスマホをいじっている青年の存在。時間を置いてコンビニの前を通っても、まだそこにいるので、たぶん3時間くらい滞在しているのではないだろうか。 私は、彼をミスターチェンマイと呼んでいる。 小太りではっきりと…
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当番ノート 第51期
今日は小さくて特別な話をしてもよいですか?大きな仕事がひとつ終わって、少し違う景色に目を向けたくなったのです。私のお気に入りの生活のシーン、音について。 小田急線最寄駅の踏切の音。私はこの音が好きです。例えば、この先、うんと先。月日が経って、もし別の誰かと別の地で暮らし、今の生活が過去になったら、きっと恋しくなるのはこの音だと思います。からんからんからんからん。きりっとした音とはまるで違う、ぬるい…
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当番ノート 第51期
自分は、どこで、どう生きていきたいのか。 その言葉は、その頃よく聴いていたラジオのパーソナリティーの女性が発した言葉だった。 自分はどう生きていきたいのか、は なんとなく考えるようにはなっていたけれど、 どこで というのは、そこまではっきりと考えられていなかった。 ただ、京都の里山に行って以来、近い将来自分は自然に近い場所や、自然と共にあるような生き方をしていくのではないかと感じていた。 そんな気…
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当番ノート 第51期
昨年の夏、新卒で入った職場を半年で辞めた。 今では「そういえばそんなこともあったな」という感じで受け止めているが、これをあんまりよく思わない人も一定数いると思う。私自身は、退職したことを全く後悔していないどころか、むしろ成功体験として捉えている。この感覚はおかしいでしょうか。そんなことないと思いたい。 「何が理由なの?」と聞かれても、納得させられるような返事をすることが今もできない。何人かの親しい…
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当番ノート 第51期
小学生の頃、兄の影響で昆虫を恐れていなかった私は、近くの公園にいたトカゲをこっそりと手の中に入れて家に帰った。 「ただいま、ママ見て! トカゲいたの!」 母は「かわいそうだから放してあげなさい」と言って、私にトカゲを飼うこと許してくれなかった。トカゲは可愛い顔をしながら、私の手の中でくるくると歩き回り、手のひらをくすぐる。 落ち込みながらマンションを降りて公園に戻ったが、地面に置いても逃げていかな…
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当番ノート 第51期
みなさんお元気ですか?連載をはじめてから、1ヶ月が経ち、7月になってしまいました。あっという間です。 7月というと、夏のイメージがありますが、例年ようやく猛暑がくるのは下旬で、上旬の天気は荒れています。じめじめとしていて、重苦しい。さっき飲んだ頭痛薬は全然効き目を感じられないし、髪の毛は広がって、アホ毛だらけ。1年の中で苦手な時期です。 今まで過去を振り返ってきたので、今回は現在の状況について書き…
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当番ノート 第51期
そのアトリエを見つけたのは、偶然だった。 いや、もしかしたら直感的に今の自分に合う環境を嗅ぎ分けて、選び抜いていたのかもしれない。 東京 絵画教室 で検索すると、都内に数校展開しているような中規模な教室から、個人の画家が自宅で開いているような小規模な教室まで、色々な教室が数多く存在していた。 その中で最初に見学に行った教室は、 ホームページの様子からちょっとおしゃれっぽくて、初心者でも…
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当番ノート 第51期
夏が近づいている。晴れの日の朝は、カーテンの隙間から日差しが差し込み、起きると首回りがベタついている。 起きる時間の三十分ほど前からアラームを設定し、十分おきにアラームが鳴って、それを解除する動作を繰り返してようやく起き上がることができる。本当ならばもっと寝ていたい。餃子型のクッションに顔を埋めて「うぅ」と唸る。起きてから、家を出るまでの間は最高に仕事に行きたくない。 社会の歯車になってしまうこと…
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当番ノート 第51期
家から数メートル先に、町のたばこ屋があった。重い引き戸をガラガラと開けて「すみませーん」と声を大きめに張ると、まばらの大きさの丸い木がぶら下がっている玉暖簾をかき分けて、「はいはい」と面倒臭そうにおばあちゃんが出てくる。 ある日、奥から出てくるのが中年の女性に変わった。一言も発さずに、お金を受け渡す。彼女を声を聞くことはできなかった。 玉暖簾の奥を見ると、奥に仏壇が見える。きっとおばあさんは亡くな…
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当番ノート 第51期
「あれがホタル?」 「違うよ。あれは電灯の光に照らされた塵だ」。 久我山のホタル祭りに行った。目を輝かせてホタルを探したが、神田川の川面で光るそれはホタルではなかった。(2019.6.16) 6月最後の日記。月に5日〜10日分くらい、自由気ままに日記をつけていますが、去年の7月、8月だけは空白です。 7月。家ではひたすらに眠り続ける生活を送っていましたが、職場では至って明るく働いていました。医薬品…
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当番ノート 第51期
絵を描くことに出会った頃、初めてかかった胃腸の病気の病み上がりだった。 医者からは軽度だからと入院せず自宅療養をしたが、数日間の絶食と数週間の流動食生活はなかなか堪えた。 何よりも、病気になってからは体質が根本から変わりはじめていて、 それまで食べていたものを受け付けなくなっていた。 おいしいと思って連日買っていた職場近くの弁当屋の定食が、おいしく感じられなくなっていた。 添加物の入ったお惣菜のお…
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当番ノート 第51期
「好きな人がいると元気が出る」 仕事をしていると、時々素敵な言葉に出会う。たまに激しい言葉に出会すが、大体は丸くて柔らかい言葉たちだ。 私が働いているのは、精神障害がある方が暮らすグループホームだ。六名〜八名が一つの施設で共同生活を送っている。四施設を兼務し、関わるメンバー(精神保健分野では、利用者のことをメンバーと呼ぶことが多い)は二十四名にものぼる。下は二十代から上は八十代まで、建物もマンショ…
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当番ノート 第51期
マンションの7階のエレベーターを押しても、7階には止まらず知らない階まで行ってしまう。降ろされたフロアには、私の知らない世界が広がっていて、お母さん、と小さな声で泣きそうになりながら、一生懸命7階まで階段を降りる。 702号室までやっとの思いでたどり着いて、チャイムを鳴らすと、出てくるのは知らない人で、怖くなって、お母さん!と泣き叫びながらマンション中を探す。 小さい時から、何度もお母さんを探す夢…
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当番ノート 第51期
雨の日が続きます。去年、出口のない6月を過ごしてから、1年が経ちました。深い梅雨の中で溺れていた。ここから2週間は少し苦しい話にお付き合いください。 去年の6月、地方の大学に進学したはずの妹が、都内にある実家に帰ってきました。入りたての大学を退学すると言うのです。「本当は叶えたい夢があった。自分の気持ちを無視して、4年間、違う勉強をし続けることはできなかった」それが妹の言い分でした。家族は何も否定…
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当番ノート 第51期
絵を描きはじめていた。そのきっかけは突然だった。 役者をやろうと意気込んで、家と仕事まで変えて入学した学校を辞めて、 手元に何もない、空っぽになった自分のもとに まるでどこかの誰かが絵筆を渡しに舞い降りてきてくれたような感じだった。 ある平日の夜、友達に渋谷でワインを飲みながら楽しむアートナイトイベントがあるから参加しないかと誘われた。 てっきり映画か何かを鑑賞しながらワインを飲むようなイベントを…
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当番ノート 第51期
時々、どこか遠くの街で暮らすのも悪くないかなぁ、と思うことがある。 一人も友達がいないところへ行く勇気はないけれど、一人くらい友達がいるところなら、何かの拍子でふらりと移住してしまいそうだ。私は時々、突発的に行動してしまうところがある。だから本当にそうなっちゃうかもしれない。 「一緒に住んだら面白そう」 冗談っぽくそんな話を友達としながら、でも、ほんの少し本気も織り交ぜながら、まあそうなってもいい…
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当番ノート 第51期
「徘徊」という言葉の見直しがされる昨今、目的もなく歩き回ることの意なのであれば、私は喜んで使っている。 夜が更けた頃に、近所の友人から突然「ちょっと徘徊しようよ」と誘われればウキウキした気持ちで夜の街を徘徊する。 徘徊は気持ちがいい。 目的もなく、好きな音楽を聞きながら、ちょっと歌詞に浸ったり、知らない道を通ると小さな公園や、いつの間にか新しいお店ができていたりする。 きっと、いつも家の裏で見かけ…
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当番ノート 第51期
ゆううつな朝の小田急線で、見覚えのあるおばあちゃんが目の前の席に座っていました。うつらうつらと気持ちよさそうに眠っていて、本人なのか確かめることはできませんが、モリヤマさんに似ています。最後に会ったのは、おそらく退職の1週間前でしたから、もうずいぶん経ちます。 人は本当に儚く交差しながら生きているなあと思う瞬間があります。おどろくようなタイミングで、かつてつながっていた人と再会し、ある日を境に、唐…
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当番ノート 第51期
北鎌倉に来る少し前まで、役者の活動をしていた。 稽古をして小さな舞台に立ち、演技を本格的に学ぼうとプロの役者を育てる学校に通っていた。 その学校は、ほぼ一人の先生が支配する独裁国家のような環境で、その先生から言われる指摘がそれはまぁダイレクトだった。 普通の会社で口にしたら、パワハラと言われるような言葉が授業中飛び交っていた。 人間性を否定されるようなことを言われるというか、 「お前の人間性がダメ…
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当番ノート 第51期
「なんで一人暮らししようと思ったの?」 その人は興味深そうにそう聞いてきた。 緊急事態宣言解除後の最初の土曜日、私たちは会っても良いものかと迷いながら、だけどやっぱり会うべきだと思ってオフィス街の喫茶店に入った。 「勢いですね」 私は笑いながらそう答えた。 その人は私が学生の頃からずっとお世話になっている人で、偶然にも母親と名前が字まで同じという第二の母のような人。 食事はほとんど自炊をしていると…
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当番ノート 第51期
今日こそ自炊しようと決めたのに。 家には頭の葉が成長してきたにんじん、芽が出てきそうなじゃがいもが残っている。しかし時刻は23時30分。とりあえず溜め込んだ洗濯だけでも回すかと、洗剤を求め25時まで開いているスーパーへ駆け込んだ。 この時間からの自炊はしんどい。今日は納豆と安くなっているマグロの刺身を買って帰ろう。レジに並ぶと、「次の方どうぞ、こんばんは〜」としわしわの笑顔で接客してくれる人がいた…
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当番ノート 第51期
はじめまして。梅雨入りから夏にかけて季節が移ろう、このみずみずしい2ヶ月間に、週に1回の連載を持つことになりました。あたたかなご縁に感謝します。初回は自己紹介も兼ねて、大学を卒業してから、これまでについて、少しだけお話することにしましょう。 私は現在24歳、社会人3年目です。文系の四年制大学を卒業し、半年ほど前までは、坂下にある小さなドラッグストアで働いていました。 大きな公園が目の前にあるのどか…
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当番ノート 第51期
北鎌倉の自然につつまれている。 意識をしなくても、そんな風に感じられる。 一人でいても、都会のコンクリートに囲まれた密閉空間にいた時より、寂しく感じていない。 朝、小鳥のさえずりで目覚める。その日によって聞こえてくる鳴き声は違くて、カラフルな音色が朝から楽しませてくれる。 遠くからは、早くから働き者の電車がゆっくりと走りだす音も聞こえる。 さぁ私も動き出そうかな、と小さなアパートの部屋にしては大き…
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当番ノート 第51期
夢だった一人暮らしを始めて、ちょうど一ヶ月が経った。 意外にも、新しい生活は身体と心にすんなりと馴染んだ。 朝ごはんと昼のお弁当を作り、仕事へ行き、帰ってきてお風呂に入り、寝る前のちょっとした自由時間を過ごして、眠たくなったら寝る。それを繰り返している。 快速が止まらない小さな駅から歩いて10分ほどのところにある、築15年、家賃5万7000円の1Kのアパートに住んでいる。南向きで、日中は日当たりが…
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当番ノート 第51期
東京砂漠は過酷だ。 自分で選んだ道で生きていくため「仕事」という大波で溺れそうになりながら、息継ぎする間も無く1日が過ぎていく。いつものように終電後にタクシーに乗って、家の近くのコンビニで降りる。明日からも武装していくための『チョコラBB』を買うために。 いつしか深夜のコンビニがルーティンになっていたとき、必ず山田さんはレジに立っていた。「いらっしゃいませー」という抑揚のない声、一度も合うことがな…