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当番ノート 第50期
一周忌を終えると、一般に「喪が明ける」と言われている。 ずっとどこかで父のことをじゅくじゅくと考えていた1年だったので、いざ喪を終えるとなると、なぜか少し焦った。もう喪に服さなくていい、ということは、父にかまけず晴れ晴れと生きていかなくてはいけない合図のように思えた。どのように振舞っていたんだっけ、父が亡くなる前は自分はどんなことに興味がある人だったんだっけ、と思い出そうとする。 でもそれは、難し…
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当番ノート 第50期
「将来は新しいカフェをつくりたいと思うんです」 青色が白く透けている空からまっすぐに太陽の光が落ちる、カラリと暑い昼下がり。土曜日だけの珈琲店に来てくれた20代前半だという男の子が、目を輝かせながら話してくれる。とても面白いアイディアがあるという。 考えていることは確かに新しくて、聞いているだけで楽しい気持ちになれた。でも何をするにも結局、人に応援してもらえるか、好きになってもらえるかが全てだと思…
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当番ノート 第50期
昨日の夕方頃に、雷を伴う雨が降っていた。いつもは気圧の変動で頭痛がひどくなっていたり、過呼吸になりやすくなったり気象病が誘発される。 しかし、特別、心が揺れる感覚を味わえた雨だった。 1週間ぶりに打ち合わせをした。うちの近くである池袋・豊島区をエリアブランディングの観点から、盛り上げていくU30のリーダーとだ。 ぼくの今の現状を赤裸々に吐露した。ことばにノイズが入ってしまい、伝達不足であったと思う…
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当番ノート 第50期
4月頭から二ヶ月に渡った連載も今回が最後。1週間ごとにその時に感じていることを書いていたように思います。箸休め的に楽しんでもらえていたら幸いです。 振り返って見るとこの二ヶ月は住んでいるフランスはコロナ一色でした(多分日本も同じでしょうが)。5月11日に外出禁止令が解除されるまではスーパーに行くのさえ許可証を印刷してサインしなければならないほどの厳重さでもちろん遠出は禁止。私権がここまで制限される…
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当番ノート 第50期
今年の誕生日で、30歳近くなろうとする私は、連載の最終話を「どうしようもなさ」というテーマで締めくくってみようと思う。どうしようもないものは、いかんともしがたい。 かつて女の子を好きだったことがあった。さながら村上春樹の小説に出てくるような恋で、嵐のように激しく、それゆえ怒り、泣き、笑った。 かつてのことを「いい思い出だった」と美談に仕立てあげられようともするのは、簡単なのだけれども、居心地が悪い…
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当番ノート 第50期
こちらの花、「桜かな?」と思うかもしれないが、これは「アーモンド」の花である。ナッツのアーモンドを想像する人が多いだろうが、植物としては春に花を咲かす落葉樹である。実が成るのは夏から秋にかけて。ちなみにアラビア語では”لوز (Lauz)”と言う。 ヨルダンでは首都アンマン、北部の街イルビッド、南部のダーナ自然保護区などで見ることができる。この写真は今年の2月にアンマン…
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当番ノート 第50期
父の見舞い行ったり介護を手伝ったりしたあの時期は、振り返れば迷いばかりだった。やってきた全てのことが成功だったし、失敗だった。この世からいなくなってしまったのは、1mmも自分のせいではないのに、大きな敗北感があった。負けた、と思った。大切なのはどうやって過ごしたかなんじゃないの、なんていう言葉に、そんなのは嘘で生きていなくちゃ意味がない、と悪態をつけながら、すがっている。 — 入院中の…
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当番ノート 第50期
「お店でカレーつくらせてくれませんか?」 レイくんがそんなことを言い出した時、前のめりな所がアンドサタデーの真帆さんに似ているなと思った。 それが確か2年半前くらいだったと思う。レイくんは都内の企業で働きながら、暮らしの拠点を逗子に置いていた人。今はちょっと都内に戻っているけど。 普段の仕事が目に見えにくい大勢を相手にする仕事なので、カレーを通して目の前の一人一人と接することをしたいと言っていた。…
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当番ノート 第50期
5月6日に初めてのEPをリリースしました。 今回のコンセプトは”五大要素を辿る軌跡” 空・風・水・火・土の要素を5つの音楽的尺度で捉える、または移す(写す)。 そして、そこに視える(視えたような)根源と永久。物質と精神。有と無。 大きな幅を行き来してみる。時間と空間をこえれる宇宙(ある意味の超自己)旅行。 そのイメージをコアに抱き、音を紡ぎ5曲を収録しました。 また「…
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当番ノート 第50期
気持ちの良い日々が続いている。この5月という時期は最高である。風が気持ちよく若葉が美しく光が心地よい。 そのタイミングで鳩が巣を作り始めた。今私の住む家は少し郊外にあって、3F相当の高さなのだが、ふと目をやると向かいの木に鳩の巣がある。コロナの影響で人の移動が少なくなって自然が戻って来たと言うニュースはよく流れているが、確かにいろいろな鳥を見る回数が増えている。しかし巣を見ると嬉しく、小躍りしたい…
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当番ノート 第50期
「気づけばそうなっていた」ことについて書いてきたわけで。これはつまり衝動を扱ってきたということなんだろうと今になって思う。 衝動といって思い浮かぶのは、ボディペインティングのこと。写真を撮りたいと言ってもらって、これまで3度やることになった。 一度目は2019年10月の千葉の海にて。仕事が終わった後、海へ向かう電車に乗って1時間とちょっとの時間、揺られる。友人がセブンイレブンで買ったバスクチーズケ…
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当番ノート 第50期
新型コロナウイルスの影響を受けてヨルダンから日本に一時帰国しているが、ヨルダンの職場の同僚や友人とは頻繁に連絡を取り合っている。ヨルダンでの新型コロナウイルスの情報はインターネットで拾っているが、現地の人からのリアルの声が実態を把握する上で貴重な情報源となっている。ヨルダンでも日本のニュースは時々流れるようで、「ラミの家族は大丈夫か」、「外には出ないで、家でアラビア語の勉強でもしてろ」と、温かいメ…
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当番ノート 第50期
どうゆうふうに悲しんだらいいのか、どうやって強くい続けたらいいのか。振る舞い方がわからない、その迷いに一旦区切りをつけたのは、思い返すと、半年の月命日だったのかもしれない。 — 半年の月命日は、奇しくも父と母の結婚記念日だった。 もういないのに祝うのはなんだか不思議な感じもしたが、悩んだ結果、プレゼントを贈ることにした。一人で結婚記念日を迎える、丸い背中が震える様子が目に浮かんだのだ。…
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当番ノート 第50期
逗子の小さな神社に2500人が集まったのは、昨年の11月26日のこと。 抜けるような青空の下で、境内には珈琲の香りが漂い、陽だまりのような音楽が響いている。 これは、「逗子葉山 海街珈琲祭」の風景。 アンドサタデーが主催した、初めての大規模イベントである。 地元だけではなく東京や横浜からたくさんの人が集まり、普段人が多い訳ではない街に賑わいをつくった。逗子葉山の11の珈琲店は、どのお店も行列が途絶…
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当番ノート 第50期
5月13日、朝6:30頃に目が覚めた。フラッシュバックで寝れていない。愛犬がぼくの左脇あたりに前足を直線に伸ばして眠っていたのをみて朝の心は和らいだ。 朝陽が窓から射す中、お風呂の掃除をする。水蒸気に太陽の光が当たり、やっと目が冴えてきた。汚れを落とすこと。磨くこと。あるべき姿に治すこと。行動にできると、心身の整理と浄化に繋がる。 朝ごはんには納豆をよく食べる。卵も入れる派だ。ここ一年は鮭が欠かせ…
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当番ノート 第50期
私はこの文章を5月11日の午前1時に書いているのだが、この1時間前に50日間以上フランスで続いていた外出禁止令が一部解除になった。とりあえず単純に嬉しい。もともと引きこもり系の人間で、こもりつつ作品を作ることが好きなので家にいることは苦ではないと思っていたが、いやはや、予定がない日々が50日も続くと時間の感覚がおかしくなってくることがよくわかった。 宇宙飛行士が訓練で日常の繰り返しを繰り返し練習す…
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当番ノート 第50期
誰もいないよりは誰かがいたときのほうがおもしろい、たまにでいいけど。適度に安らげる孤独のほうがあったほうがいい。適度にね。 そういえば最近とてもいい演劇を見た。つめたい人、あたたかい虫の話。演劇が善いと思うのは「弱い」とされることも、肯定されるからだ。胸が苦しくなるくらい、愛おしい、弱さ。そのあとが破滅だったとしても、一瞬にとんでもないエネルギーを注ぐっていうのが、演劇。暴力も、狂気もある。 結局…
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当番ノート 第50期
ヨルダンの街を歩いていると直ぐに分かることだが、道路沿いのいたるところにゴミ箱が置いてある。 銀色で、蓋が無く、口が空いたゴミ箱。おおよそ縦50 ㎝、横120 cm、高さ100 cm。脚が2つ。一カ所に3~6個がまとまって置かれている。 近隣の家庭やスーパーから出たゴミがこのゴミ箱に捨てられてくる。ヨルダンではゴミの分別回収はまだ普及していない。生ごみ、プラごみ、金属ごみ、すべてまとめて捨…
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当番ノート 第50期
妹がいる。 1人でものごとを決めてしまい、自分勝手でわがままで、でも実は人情深い。 2つしか離れていないためか、ライバルのように意地を張り合った幼少時代だったので、お互いにあまり優しくなかったし、疎ましく思っていたこともあった。 妹とは似ていないと思っていたし、似ていると言われるのは、たぶんお互いに嫌だった。でもユニクロのカーディガンやプチプラのアイシャドウ、読んでいる詩集など、生活の端々のものが…
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当番ノート 第50期
「突然すみません、台中の珈琲フェスティバルに出ませんか?」 アンドサタデーを始めて半年ほどのある日、一通のメッセージが海の向こうから届いた。 これは新手の詐欺だ。そうに違いない。 なぜって、当時メディアにも出た事はなかったし、錚々たる日本の珈琲店を差し置いて、海の街の小さな珈琲店に声が掛かることなんてないはずだから。 逗子の街でもまだまだ知られてないのに、どうして台湾の人が知ってくれているのか。 …
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当番ノート 第50期
写真の話をしよう。 モノクロは撮った瞬間から死んでいる。というのは荒木経惟の言葉だったろうか。それは違う言い方をすれば時を持たないもの。また別の言い方をすれば永遠を持つということだ。物理的には多少違うところもあるが、認識のレベルではモノクロは色あせることなく「ずっと同じで、変わらずここにいる」ことが担保されている。一方でカラーは絶対的に生であり時間を持つ。それは物理的にプリントされた写真は時間と太…
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当番ノート 第50期
名付けについて考える。 かつていくつかの名前を持っていた。 名前は、コートネームと言って、部活のコミュニティ内だけで通用するものだった。部活が始まった初期の頃からのもので、代々引き継がれてもう何十年と続いている制度らしい。2つ上の先輩が名付け親になる。 名前をもらい、帰宅後「〇〇という名前になったよ」と家族に報告する時は変な心地だった。 体育館の舞台上に新入生が30人集まって、名前の候補のレジュメ…
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当番ノート 第50期
メッカへの巡礼から帰国した同僚の机の上に、見慣れない木の枝が置いてあった。 長さは10センチより少し長い程度。太さは5ミリくらいだろうか。木の枝であることは分かったのだが、そこから先が分からない。そこへ同僚がやってきて自慢げに話す。 「ラミ、これは歯ブラシだ。しかも歯磨き粉が必要無い。」 この木の枝でどこをどう磨くというのだろうか。納得していない私の表情を察したのか、カッターナイフ…
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当番ノート 第50期
アパートメントで文章を書くことを通じて、一人の死によってさまざまな人や物事と出会い直していたことに気づく。 亡くなったのは一人なのに、自分に見えていた世界のあちこちの形が、否応なく変えられていく。 — 父に花嫁姿も孫の顔も見せられなかった、というに対して、悲壮感にかられるかと思いきや、案外そんなことはない。 男兄弟がいない長女のためか、小さいときから家を継ぐように度々言われてきた。婿を…
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当番ノート 第50期
「やぁやぁ」 今日も自転車を走らせながら、珈琲店の前をやっちゃんが駆け抜けていく。 すぐ近くにある魚勝という歴史ある料亭で働く、妖精みたいなおじいちゃん。 通り過ぎるときに必ず手を振ってくれるので、こちらも手を振り返すのがお約束の日課だ。 やっちゃんはこの街の守り神のような存在で、毎日のように自転車で街中をぐるぐる走り回っている。 おそらくは仕事で駆け回っているのだが、自転車のカゴはいつも空だし、…
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当番ノート 第50期
感動。挫折。後悔。幸福。大切な体験には、姿と音が記憶に残っていることがあると思う。 16時から18時ごろ、街に響き渡る帰宅へ導くチャイムと「バイバイ」視界のぼやける朝、台所に立つ母の姿。頭痛になりながら、とぼとぼと歩く傘の下。 … 音を聴くと記憶が蘇ってくることもある。近日だと、家にいるときに聴こえるのはどんな音だろうか。 犬の遠吠え。スマホのスワイプ。パトロールカーのサイレン。左から右にゆくスケ…
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当番ノート 第50期
1週間が7日というのは、子供の時はなんとも長く感じるものだった。まだ月曜、火曜たるいな、水曜日やっと半ば、木曜日まだあるのか、金曜日やった金曜だ、土曜日はやっと週末を感じ、日曜日を迎えていた。 それが、いまではビュンっていう感じ。いや、早過ぎだろう。7回寝ているはずなんだがね。アリの感じる時間と鯨の感じる時間が違うことは聞いたことがあるが、同じ人間でも年齢で大きく変わる。そう考えると、時間というの…
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当番ノート 第50期
たまには仕事の話をしてみよう。 療育施設で働いている。うちに通ってきている方は小学校に入学するまでの未就学児と呼ばれるお子さんたち。小さいと1歳から、大きいと6歳の就学直前、と年齢はさまざまである。 働き始めて3年目になる。彼らにとって最適な学びの環境を作り、よりよい成長を促すことが私の仕事。集団生活に沿うことで彼らが幸せになるなら適応のための練習をするし、時間管理や言葉の獲得を促したり、ボタンや…
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当番ノート 第50期
2019年7月にヨルダンの空港に到着したのだが、それから3ヶ月近くは雨に遭うことは全く無かった。折り畳み傘と長靴を日本から持ってきていたが、しばらくの間はスーツケースから出て来ることは無かった。 ヨルダンの観光名所の一つが「ワディ・ラム」と呼ばれる砂漠地帯だが、ヨルダンは国土の7割近くが砂漠である。 ヨルダンより年間降水量が少ない国は10カ国程度しかない。首都のアンマンは砂漠地帯では無いものの、春…
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当番ノート 第50期
5月を迎える上野公園は、徐々に緑が鬱蒼としてきて、軽やかな桜の時期よりも、なんだかたくましい。 田舎の自然に比べたら、都会の緑なんてたかが知れているのかもしれないが、それでも夜にすっと耳を澄ませると、上野公園にも、夏に向けて芽吹きはじめた、たくさんの草木の気配を感じる。 — 四十九日が過ぎ、次に帰省すると、蛙がゲコゲコと鳴き、葉は水に揺れ、実家のまわりはまた新しい風景になっていた。あん…
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当番ノート 第50期
「こんにちは」 逗子の春は、潮風が桜色をして街を舞っている。そんないつかの土曜日も、ずけずけと店内に入ってくる一人の男。 顔見知りの仲間たちと挨拶を交わし、渋い顔をしてどっしりと席に腰掛けくつろぐ。 いつものように、お冷やを男の前に置いた。 その大きな態度に比べると決して大柄という訳では無いが、どこか只者では無い空気感を纏っている。ビール腹のようにも見える膨らんだお腹、日頃から羽振り良く美味しいも…
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当番ノート 第50期
美味しい音。円い音。和み在る音。 それを音楽として編んだり和えたり、可変させながら生きれること。人生の中で何よりも生命の悦びと感じている。 お風呂の中で息をするように、まずはイメージをつくることが音楽制作のベーシックライン。 水のある場にいると湧いてきたり、降ってくることが多く制作しやすくなる。 時間と空間の中に身を任せる勇気のリアクトとして音になって返ってくる。 音だけに限らず、ビジュアルやコン…
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当番ノート 第50期
色あせたポジフィルム。その先で手をあげるあなた。あなたが「何者」か私は知らない。いつ、どこで、誰に手をあげていたのかさえ私は知らない。もちろん、国籍も人種も年齢も。何も知らないあなたは、しかし手を上げて、足をしっかり締め、良い角度でわたしに手を振ってくれている。 嬉しいなあ。 おそらく、このフイルムの色あせ具合と、たぶんピンボケしているであろうがそれでもわかる年齢具合から、2020年の今、あなたは…
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当番ノート 第50期
暮らしている中で、言えなくてもどかしい、が何度もある。今日は演劇のことから話しはじめてみようと思う。 あれは演劇をはじめて最初の年のこと。3年前、人生ではじめて台本というものを手にした。縦に書かれたセリフとト書きの数々に当時の私は、非常に感銘を受けた。 「言う」と「読む」の違い。私は、台本の中に書かれたセリフを「言う」ことの意味が、長らくわからなかった。もちろん、識字力と発音する能力がある限り、読…
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当番ノート 第50期
3週目の投稿ということで、簡単に自分自身とヨルダンの紹介をしたいと思います。 青年海外協力隊として2019年7月からヨルダンに派遣されています。海外で年を越すことは初めての経験でしたが、ヨルダンは日本に比べると年末年始のムードが薄く、特筆するイベントは無いまま2020年を迎えました。 ショッピングモールに行くと少しだけクリスマス気分を味わえます。 青年海外協力隊とは国際協力機構(JICA)の事業の…
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当番ノート 第50期
高校の時、物理の授業で、「この世に一度生まれたものは絶対になくならない。形を変えて、残り続ける」と習った。 はたして、それは本当なのだろうか。 だとしたら、今年もまた変わらず咲いた八重桜を、父も楽しめているといい。 — 四十九日の朝、空は珍しく快晴で、緑色になった桜の木がさわさわと揺れていた。 納骨が終わり、ぐったり疲れて帰宅する。 骨さえいなくなってしまった居間は、なんだかとても広い。広くて、寂…
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当番ノート 第50期
「あ、この歌なつかしい」 不意に流れた『葛飾ラプソディー』を聴いて、なんちゃんとひとみちゃんがその続きを口ずさんでいる。 普段はお客さんに勧めていただいた『ハンバートハンバート』が流れるゆるやかな店内。平日に何かの拍子で久しぶりに聴いていたこの歌が、土曜日に何かの間違いで紛れ込んでいた。 「いい歌だよね」 店内にいた他の同世代もうなずいている。子どもの頃の夕食時に、テレビで流れていた国民的アニメの…
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当番ノート 第50期
回転していなかったかざぐるま。よく動く普段とはまた違った姿をみれた。風力発電には風車が地面に対して垂直にまわる水平軸風車と風車地面に対して並行横に回転する垂直軸風車の2種類がある。今回出会ったのは主力の水平軸風車。より細かくなると、揚力型のプロペラ式で日本では多数の風力発電のフォームがこれである。この横浜に1台ある風車は横浜市風力発電事業の一環で別名ハマウィングというらしい。いつか真下から眺めてみ…
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当番ノート 第50期
春夏秋冬というが、冬から春に明確に変わったなと思える日が好きだ。そう、一つネジが動いたなという感じで嬉しい。2020年春。あまり春が好きと感じたことはないのだが(どちらかといえば新緑の美しい5月の方が記憶に残っている)私の誕生日は4月。人生のネジもこの月に動く(正直このネジは動いて欲しくないなと思える年齢に達してしまった)。地球の時点のスピードは少しずつ遅くなっているみたいだが、宇宙レベルの変化に…
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当番ノート 第50期
踊り疲れて眠ってしまう。踊りきったね.という自分への労いなどする暇もなく、ただ気がつけば。 曲は一時停止。別の世界線に放り込まれる。 寝たくて寝たくて仕方がないというわけではなくて、気づけば寝入っていた。窓から燦々と日が差している。まだカーテンのない我が家、家の奥のほうに入ると暗くなっているスペースが現れる。そこに布団を移動させる。その日は、アパートから歩いて5秒の所にあるパン屋さんでパンを買って…
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当番ノート 第50期
アブドゥッラーさんという友人がいる。30代前半のヨルダン人、男性。難民支援を行うNGOの職員で、ヨルダン国内でシリア難民の支援を行っている。 2011年のはじまり、「アラブの春」が中東全域に広がり、シリア国内でも反政府デモが始まった。同年5月にはシリアからヨルダンへの避難民が報告された。11月にアラブ連盟がシリアの加盟資格停止を決定すると、ヨルダン政府はシリアからの避難民を「難民」として認定するよ…
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当番ノート 第50期
命日には、父が好きだった奥穂高に登って頂上で線香をさそうと思ったのに、なかなか旅行もしがたい。 仕方ないので、近場で空が開けた高い場所を探し、線香をさす真似事をしようと思う。家にはチャンダン(インドのお香)しかないのだけど、やはりダメだろうか。 実家の墓も東京も、きっと同じ空の下。 — 父の旅立った翌々日、父をよく知るお坊さんから、高級な線香をもらった。「いい匂いがするから、やってくれ…
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当番ノート 第50期
「可愛いお店、テーブルの下の青いタイル好きです」 自分のお店とか場を持ちたいと思う人は多いようで、今日も話を聞きたいと都内の大学に通う女の子が、土曜日に遊びに来てくれている。白い光が差し込む店内を、珈琲を飲みながら興味深そうに見渡していた。 「この棚なんかも自分たちでつくられたんですか?」 隙間に3列の黒板が埋め込まれた棚には、「Coffee Wrights」の豆や、台湾の作家「Rainy」に逗子…
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当番ノート 第50期
2019年5月。自主制作MVのロケハンで訪れた横浜。元町・中華街駅へと降り立つと、潮の香りが広がっていた。 道に迷いながら、マリンタワーを目印に徐々に空が開けてくると、海に面した山下公園へと入っていった。日本郵便氷川丸の鎖にはカモメがびっしりと並んでいた。辺りの人よりも多くいたと思う。後日、横浜にいる友人に聞いたら、カモメのたまり場であると巷ではよく知られているみたいだ。また対面するであろうカモメ…
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当番ノート 第50期
光合成。高校の時に通っていた河合塾で我慢比べのように西日をずーっと浴びていたのを思い出す。あれが光合成(日向ぼっこ)初体験だったかな。直射日光はなにか挑みかかりたくなる感じがした。当時鬱屈しまくっていた自分にとってあの光と熱に挑みかかりながら血が沸騰して、最後にはのぼせたように熱と一体化する感覚が好きだった。あれからだいたい20年くらい経ち、最近の光合成は午前中になっている。それは今住んでいる家に…
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当番ノート 第50期
脱いだ靴がバラバラになる。 授業の開始時間が数分遅れる。 気がつけば買ったじゃがいもは芽を生やしている。 お酒を道の真ん中と電車で飲んでいる。 脱いだ服は床に散らばるばかり。 (気が向いて、脱いだパジャマを畳んだいつしか昔には母親から「今日自殺するんじゃないかと思った」と驚かれる。) アパートメントで書きませんかというお話を頂いてから、書くテーマを考えていた。ヨガと演劇と療育、これが自分の生活の多…
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当番ノート 第50期
ヨルダン北西部の古代遺跡「ウンム・カイス」を訪れた。 ローマ帝国の軍事基地として栄えたこの地からは、パレスチナとイスラエル、そしてシリアとの国境が見渡せる。国境を巡って争っている場所と言った方が正しいかもしれない。 ウンム・カイスから北の方角を見て撮影した写真。正面に見えるのがチベリアス湖。その右側にはゴラン高原が広がり、イスラエルとシリアが主権を争っている。 雲一つない快晴。ゴラン高原の奥にはう…
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当番ノート 第50期
桜も見頃を過ぎた4月、父の一周忌を迎える。 本当はたくさん人を呼んで悼みたかったが、高齢者ばかりの親戚で集わない方が賢明だろうということになり、家族だけのほんの小さな集まりになった。 —– 昨年の今頃、父は闘病のすえに、旅立っていった。 最初は半身麻痺から始まって、徐々に体のコントロールが効かなくなり、できないことが増えていった。 良くなる方と悪くなる方の岐路があったとき、…
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当番ノート 第50期
「なんで逗子を選んだんですか?」 「そうですね、肌が合ったとしか」 東京から1時間、海を見に来たという20代半ばの黒髪ショートボブが似合う女性は、暮らす街を選ぶ理由について期待した答えを得られず、すすっと珈琲をすする。 逗子で編集者夫婦により土曜日だけ開店する「アンドサタデー珈琲店」で、何百回と交わされては一度もスイングしたことがないこの会話。 どうして自分たちはこの街で暮らすことを選んだんだろう…
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当番ノート 第50期
アパートメントに入居しました、中野目崇真(なかのめそうま)といいます。 最も長く続けてきたことは、3歳から始めたタップダンス。表現にすることもあれば企画にすることもあります。2016年頃からはジャンルとフィールドを広げながら音を基軸に音楽へと昇華させたり、文脈を描いたり写真に納めたりもしています。 考えと思いを文章にして伝えることがとても苦手なので癖がでてくる場合もありますが、捉えにくいところがあ…
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当番ノート 第50期
思いがけず、6年ぶりにここで書くことになった。前回も同じ4月頭に始まった。今回は前回より7日だけ早い4月1日から。東京の桜はもう盛りを過ぎてしまっただろうが、やはりこの日から春が始まる感じがする。4月はそんなワクワクドキドキ感があるのが良い。 いやー若いな、6年前の自分笑。ざっと6年前の記事を見返した。考えている事に大きな変化はないかな。ただ、変わった部分もあるのだろう。人は変わる、成長し、退化し…