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当番ノート 第52期
日常を憂う日々だった。理由はいいエッセイを書きたいから。私には特殊な出会いもおもしろい出来事も何もないと部屋のなかで嘆いていた。腐り朽ちていくまでいくばくもなかっただろう。生来が閉鎖的で排他的なのだ。瞼をこじ開けて世界を見ないと、すぐ繭に閉じこもる。 特殊な出会いが欲しい。おもしろい出来事が欲しい。刺激的な何かが欲しい。エッセイのために。そんなことを思い続けていたが、そのどろどろした思いは少しずつ…
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当番ノート 第52期
とうとう最後の当番ノートとなってしまいました。毎週何を書こうかな、と考えながら、自作を振り返ることができ、とても貴重な体験をさせて頂いた2ヶ月間でした。 最後は何を書こうかなーと思ったのですが、お米にまつわる作品の中で一番笑いの取れる作品「おコメッセージ」について書こうと思います。笑っておし米(おしまい)とさせて頂きたいと思います! おコメッセージ お米にまつわる言葉遊び(主にダジャレです)をさも…
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当番ノート 第52期
あの、南蛮かぶれの堺の港町。 路面電車で行くえべっさん、堺まつりと大魚夜市、ふとん太鼓に火縄銃隊の大パレード、それからザビエル公園。 町を出て10年経っていても、たとえば秋のすずしい日に火縄銃の音で目を覚まし、窓を開ければつんと火薬の匂いがする、あの祭りの朝をとても鮮明に思い出すことができる。どこの町にいても同じことで、それがことしなら、乾いた午後の風がカーテンを揺らしただけのことだった。 2…
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当番ノート 第52期
誰を失っても揺らがない人間になりたいと思っていた。自分はそうなれると思っていた。でも、違った。私は、大事な人を失ったことがないだけだった。今まさに、大事な人が死に近づいていこうとしていて、私は足元が揺らぐ感覚に襲われている。 私の世界は、大事な人とそれ以外に二分される。その区分は時に残酷だ。今回は前者、大事な人の話をしよう。 その日はあと数日で訪れる。祖父母は死ぬわけではない。老人ホームに入居する…
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当番ノート 第52期
これまでに私が制作した作品を大まかに分類すると、(パフォーマンスを除く) ・お米粒(粘土や陶でお米粒を作る作品)当番ノートの記事はこちら・お米文字(お米文字を用いて制作したもの)当番ノートの記事はこちら・野焼(紙をお線香の火でお米粒の形に焼いた作品) 大抵このパターンで延々制作してきている。特にここ数年は「野焼」の作品を多く制作しているので、今回はそれについて書きたいと思います。 宝来 私が紙を「…
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当番ノート 第52期
見かけなくなったものに、たばこ屋がある。 よく、近所のたばこ屋へおつかいに行った。 その店は2階建ての、古い瓦屋根の家の1階を店にしていて、赤い琺瑯看板にひらがなで書かれた「たばこ」の文字と、外に面したガラスのショーケースとカウンターが目印だった。カウンターの向こうでは、その店の店主でひとり暮らしをしているという丸眼鏡のおじいちゃんが、いつもテレビとラジオと新聞へいっぺんに勤しんでいた。 彼は…
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当番ノート 第52期
誕生日が嬉しくなくなってきたのは、成人を越えた辺りからだろうか。成人するとお酒が飲めて煙草が吸える。煙草はやらないが、お酒は嗜んでみたかった。そこでほろよいの冷やしパイン味を成人の瞬間に買いに行き、一人暮らしの小さな部屋で缶を開けた。 あのときの高揚感は何物にも代えがたい。大人になった瞬間を味わって、解放感に満ちていた。しかし、それを最後に、私は誕生日を歓迎できなくなった。二十歳過ぎたら、あとは老…
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当番ノート 第52期
前回の当番ノートで書かせて頂いた「お米もじルンタ」の続きです。 158枚の五色の旗の中に「馬」と「星」がいるので、是非探してみて欲しいです。馬はルンタ、風の馬、星はポラリスです。 なぜ、風の馬とポラリスが登場するかについては、吉田勘兵衛さんの故郷であり、わたしの故郷兵庫県川西市に隣接する大阪府能勢町が関係します。 吉田勘兵衛さんは京都府亀岡の本梅(ほんめ)にて生まれ、その後間もなく現在の大阪府豊能…
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当番ノート 第52期
かつて家には4匹の猫がいて、家族4人がそれぞれ猫を持っていた。 持っていた、というのは持ち物のような意味ではなくて、厳格な父を持つ、とか、素敵な娘さんを持ってしあわせね、とか、そういうふうな意味だ。 同じ屋根の下で暮らす猫なので、家族といえばそうなのだが、ペットとか飼い猫とかというよりは、お互いに馬(猫だけれど)が合う相手を自然と選び、寝食をともにする、といったほうが説明がつきやすい。 父の猫…
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当番ノート 第52期
昔から、多数決なるものが嫌いだった。いつも自分が負けていたからかもしれない。何を提案しても、私の提案は通らない。何も、おもしろくなかった。それに、最初から反対していたことが多数決で決まって実行され、失敗すると、集団として自分もその責任を取らされるのが嫌だったのかもしれない。最初から、私は失敗するとわかっていたから反対したのに、みたいな感じ。 多分、自分のしたことで一人失敗して詰むなら納得いくんだ。…
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当番ノート 第52期
今週は「お米もじルンタ」について書こうと思います。 お米文字については当番ノート3回目を是非ご覧ください。 「お米もじルンタ」は9月11日から開催される芸術祭「黄金町バザール-アーティストとコミュニティ 第一部」において川に展示する旗の作品で、ただ今制作中です。(根を詰めまくって腰を破壊しました。) スケッチ 「ルンタ」はチベット語で「風の馬」という意味の言葉です。ご覧になったことがある…
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当番ノート 第52期
いこいの森、と呼ぶにはあまりに鬱蒼とした森(じっさいは林くらい)が小学校にあった。 松の木がどしんどしんと植わっていて、小さなため池に育ちすぎた亀と鯉がたくさんいた。手入れがあまりされていないぶん、自然の生き物が自由に暮らしていた。森は静かで、つめたく湿っていて、地面は濡れた枯葉でふかふかしていた。森の奥には二宮金次郎の銅像が建っていた。 6年生は「いこいの森」にタイムカプセルを埋める、という…
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当番ノート 第52期
友人が結婚したり出産したりする歳になった。月日は早く流れるものだなあと思う。自分自身が結婚などの人生のライフイベントを想定していないと、好きな作品の新刊の発売日ばかり見て時を重ねて、自分自身が結婚できる歳なのも忘れていく。友人が結婚するとか結婚したとか結婚したいとか聞くと、ああ、そういや結婚が可能な歳なんだっけなと気づかされる。時の流れって残酷だ。 マリッジブルーって言うと、結婚前に感じる不安感な…
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当番ノート 第52期
田んぼを遠くから見ると、その整然とした風景に圧巻されることがある。緑の絨毯と例えられるその風景は、日本人の誇れるものの一つだろう。 田んぼを近くから見ると、一うね一うね、真っ直ぐに一糸乱れることなく植えられている。田植機のない時代から日本人はまっすぐに苗を植えた。 糸をピンと張ってそれに沿って植えたり、木で作った農具を定規のようにあてて植えたり、工夫して美しく植えた。雑草も一本たりとも許さなか…
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当番ノート 第52期
小学校のころ通わされていた英会話スクールでは、みそっかすだった。 毎年サマーキャンプとクリスマスパーティーがあるから、という理由だけで入れられたそこはとても熱心なスクールで、教師とはもちろん、子ども同士でも日本語での会話は禁止、毎朝5時に起きてラジオを聴いて、暗唱のテストに受からなければ教室に入れない、そして日本の名前は使用しない、という場所だった。わたしは社交性がなく、寝坊で、忘れっぽかった。…
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当番ノート 第52期
話がうまくないから、人と話すのが嫌だ。とても筋が通っているように思う。一見すれば、だけれど。でも、私の行動としては話しかけに行ってしまう。話がうまくないのに。自分では、馬鹿だなあと思う。できないことをやっても意味がないのに、どうして人と話そうとするんだろう。 人と話して、笑顔を浮かべていると、「私」が私を遠くから見ている気分になる。今、無理して笑っているなとわかる。無理して笑っているから、頬の筋肉…
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当番ノート 第52期
「手の記憶」 神様の持っている袋一杯の美しいもの それを人はきらめきと呼ぶんだけれど その煌めきをばらまいてしまうところから このお話を始めましょう そもそも神様は その煌めきにうんざりしていました 人は眩しい、綺麗と賞賛するそれも、当の神様にはただの暗がりでした そうしてある時思ったのです そんなに欲しいならくれてやろうか、 この暗がりを、暮れてやろうか そうして神様は袋の口を開き 開かれた袋の…
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当番ノート 第52期
とかく祖母には甘ったれて育った。誰に何をねだるのも下手な子どもだったけれど、祖母にだけは驚くほど素直にねだったものだ。あの、とろけるように甘い飲み物。 祖母の喫茶店は「奈美樹(なみき)」といった。立派な一軒家の一階に店を構えていて、二階は住居になっていた。とんがり屋根の家、といえば祖母の家のことだ。昔からの住人ならすぐに分かる。 アール・デコ調のこってりとした白とグレーの壁に、ステンドグラスの…
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当番ノート 第52期
一人で生きたいということは、一人で死にたいとも言い換えられるのかもしれない。そんなことを思うようになった。当たり前かもしれない。一人で生きた人は死ぬときも一人なのだろうから。 一人で生きたいと言い始めたのは、結構小さな頃からだった。家族が嫌いだったし、家族に予定を左右されることが大嫌いだった。皆でどこかへ出かけることについても、基本的に面倒くささが勝った。小さい頃は今よりも車酔いがひどく、遠出すれ…
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当番ノート 第52期
わたしは自分の作品を説明するとき「お米にまつわる作品」と言っている。なぜ「お米の作品」ではなく「お米にまつわる作品」なのかというと、「お米の作品」と言うと「お米を素材にした作品」だと捉えられることが多かったからだ。 一番多く言われることがあるのが「お米に文字を書くアート」お米一粒一粒に文字を書くものだが、やったことはなく、というかそんなに器用でないので出来そうにもない。 お米に文字は書いたことはな…
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当番ノート 第52期
秘密基地ごっこが大好きだった。 わたしたちは大きなマンションの貯水槽の下を基地にしていた。コンクリートの固く、ひんやりとした温度に背中をくっつけていると安心したし、友だちとひそひそ話すにつけても、すぐ隣のエントランスから人が出入りするたび息をころすのも、「いかにも秘密基地!」というかんじがして気に入っていた。 秘密基地での遊び方は、まず持ち物──ビニールシート、ティッシュ、ハンカチ、お菓子、…
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当番ノート 第52期
祖父がおかずをつくってもってきてくれる。その応対に出るのは、いつからか、私の役割になった。祖父に会うのが嫌なのではない。頑なに出てこない母の存在を認識するのが嫌だった。母には母の、祖父を嫌うだけの理由があって、私には私の、祖父に懐く理由があった。父と娘、祖父と孫娘、では、それぞれに見える景色が違う。そのことも、子どもの頃はわかっていなかった。今になって、ようやく理解し始めた。 それに多分、祖父がお…
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当番ノート 第52期
あるとき宇宙空間が大爆発して、たくさんの小さな塵が浮遊した。それが寄り集まって星がうまれ、やがてわたしたちがうまれた。 わたしの骨は宇宙の塵でできている、だからわたしの中には宇宙があり、宇宙のなかにはわたしがある。 そうしてわたしは日本という国にうまれ育って毎日お米を食べている。 だからわたしの骨はお米でできている。 わたしが吐く息は、炊いたお米に含まれていた水蒸気なのだが、 死んで箸でつまみあげ…
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当番ノート 第52期
週末になると、車にテントとタープ、バーベキューコンロ、アウトドアテーブルにチェア、ダンボールいっぱいの炭とランタンと油、それからクーラーボックスを詰めこんで、まだ陽も昇りきらない時間に家を出る。 小学生のころ、キャンプは恒例行事だった。 車酔いがひどく、後部座席でビニール袋を口にあてながらじっと丸まっているのがわたしの常だった。 高速道路を走っている間じゅう、母は助手席で《夏が来る》を機嫌よく歌…
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当番ノート 第52期
子どもの頃、身の回りに、よく怪我をする人が数人いた。何針縫ったとか、どこを骨折したとか、そんなことはその人たちの日常だった。私はそれが自分の怪我でないことに心底安堵しながら、その話に驚いてみせていたものだ。それが、きっとその人たちの望む反応だと知っていたから。そして、内心ではその人たちを見下していた。怪我をしないように安全に過ごせばいいのに、と。 「え、あのホチキスみたいにパチンパチンってやられる…
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当番ノート 第52期
はじめまして Rice to meet you! 今日から月曜日の当番ノートを書かせていただきます、安部寿紗と申します。わたしは普段、お米にまつわる作品を制作しています。2019年より横浜市にある「黄金町アーティストインレジデンス」で活動をしています。 「お米にまつわる作品」とは 例えば、今やっているのは、近くにある「日の出湧水」のお水で稲を子育てに見立てて育てる「日の出湧介くん」、毎日定時に(朝…
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当番ノート 第52期
貝殻に耳をあてると、海の音がする。 母はそういうことを平気で言う人だった。 友だちと喧嘩をして泣いて帰った日も、図工の時間にじょうずに描けなかった日も、ポートボールで補欠になったときも、母は海で拾ったタカラガイやクモガイをわたしの耳にくっつけた。そうすると周りの音はもやがかかったようになって、さあさあ、とか、ごうごう、とか、プールに潜ったときのようなくぐもった音がする。 貝によって音がちがうの…